55話 神と戦う
「痛……」
目を覚ますと、体の自由が戻っていた。
焦った様子の狂夢に交渉されたから、思わず体を明け渡したことまではハッキリと覚えている。
その後あったことは───覚えてはいるが、夢を見ていた感覚に近い。
【狂人化】を起動することで伝わった狂気。
リリィの肩を潰そうとしている少年。
彼を殺そうとした狂夢。
そして、躊躇い無く俺たちの意識を吹き飛ばした、白い少女。
「リエイトだよなぁ、アレ」
『だろうな。あんなこと出来る子供はアイツしかいねぇよ』
いつの間にか、寝室まで運ばれていたようだ。
痛みを訴える頬に触れながら、何となく部屋から出る。
先程までの睨み合いなんて無かったかのように、家の中は普通だった。
「降りるか」
『警戒しとけ』
狂夢の呟きを聞き流しながら、俺は普通に下の階へ降りていった。
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「あ、起きたんだ。災難だったね、イレギュラー」
「おはよう。気分はどうだい?」
「今はユウムなのか」
「なん、で……!?」
何か、居た。
俺の視界に入っているのは、例の子供とリエイト、ラックと、彼らに恐る恐るお茶を差し出しているリリィだ。
絵だけ見ると、子連れのお兄さんが家に居るようにしか見えないがその実、子供たちの方が気配は黒い。
何でもないように話しかけてくるが、それでも少なくない圧を感じてしまう。
「なんでって言われてもさ、仕方ないよ。レイダーは退かないって言うからね」
「レイダー?って、ソイツのことか?」
リエイトの言葉を受けて、俺は少年を指差す。
少年ことレイダーはコクリと頷いてから、何でもないように衝撃発言をかましてきた。
「うん、俺のことだよ。邪神って言えば分かるでしょ」
「そうか邪神か。───【狂じ──】づっ!?」
レイダーの正体が邪神と分かったので、問答無用で【狂人化】を起動させようとする。
だが、それはリエイトによって止められてしまった。
具体的に言えば、脛を爪先で蹴られて。
「大人しくしてよ、遊夢。別に、今すぐ殺し合いする訳じゃないんだから」
「というか、そうだったら今頃死んでるな。当然こっちが」
「そうは言ってもな!」
あくまで冷静過ぎる二人に、思わず声を荒げる。
それでも二人は、俺の言葉に耳を貸す素振りを見せずに、ずっとレイダーを睨んでいた。
それが、どうしようもなくもどかしい。
敵は目の前に居るのに。
世界の敵、魔族の神、そして、鈴音を生き返らせるための踏み台が。
そこまで考えた所で、急にレイダーが笑い始めた。
「ぷっ。あははははは!面白いね、君。俺のこと、そう思ってるんだ」
「……ぶれないなぁ、ホント」
「なにがだよ」
リエイトにも呆れられて、少しばかり怒りが募る。
彼らはクスクスと、俺を変なモノでも見るような目で見続けた。
暫くの間を置いて、レイダーはその理由を話し始める。
「いやだってさ、俺のこと知ってる筈だよね?世界を滅ぼす邪神だよ?それを、寄りによって踏み台扱いなんて───怒りを通り越して、笑っちゃうね」
「?……あ、成る程」
どうやら、心とか、そういうのを読まれていたらしい。
それに理解が及ばなくて、一瞬呆けてしまっていた。
それが更に面白かったのだろう。
レイダーはまた、クスクスと笑う。
「……」
「ゴメンゴメンって。いや、こんな人間見たことないからさぁ。ちょっと新鮮だったんだよ」
軽い調子で謝罪してくる。
それで気が削がれた俺は一度溜め息を吐き、空いている席に座った。
それで集めるべき人員は揃ったのか、リエイトが取り仕切るように話し始める。
「それで、レイダー。君の目的は何?」
「何って、言うまでもないでしょ?俺を殺す予定の人間。つまり、そこのお兄さんの様子を見に来ただけさ」
「それは、本当に?」
「他にもあると言えばある。けど、それはどうでもいいことだよ。ここで言うべきことじゃないし、言ったとしても信じてくれるかは分からない」
レイダーは何の警戒もなく、リリィが淹れた茶を飲んだ。
その味が気に入ったのか。
レイダーは僅かに表情を和らげる。
「うん、悪くないね。これなら、リリィは殺さない方がいいか」
当然、彼から放たれる言葉は物騒極まりない。
けれど、彼は心から楽しそうにリリィを見つめた。
「───ええ、と」
悪意も邪気も無い視線に、リリィが一瞬たじろぐ。
それは畏れや照れなどでは断じてない。
ただ単に驚いているだけ。
どう対応していいか分からないだけだろう。
『こういう時に言う台詞は、決まってるな』
「心配しなくて良いぞ、リリィ。そもそも、こんな奴に世界は壊させない」
狂夢も口出ししたかったのか、頭の中で呟く。
なので、若干ズレたことをリリィに言い聞かせる。
別に、彼女は世界を壊す云々には反応してはいなかったのだが。
ついでに俺が思ったことも言っただけである。
「何を根拠に?」
リリィが気に入ったのか。
リリィとの間に割って入った俺を少し不機嫌そうに見つめながら、レイダーは声を低くして問いかけてきた。
それに対する答えは、決まっている。
「遊夢がそうするべきだと思ってる」
───言ってしまえば、だ。
狂夢と向き合う。つまり、自分の弱さとか脆さとか狂気とかに無理矢理触れさせられたせいなのか。
若干、我が強くなった感覚がするのだ。
だから、これは【常人化】ではなく遊夢の意志だ。
…正直、毒されてる感は否めない。
だが、『全く危険じゃない狂夢』を見たせいか嫌悪感は消えつつあるのだ。仕方ない。
「…うーん。ま、こんな所でいっか。そろそろ帰るね」
そんな俺を見てどう思ったのか。
少なくない愉しみと、帰りの挨拶代わりの殺意を抱きながら、レイダーは家から姿を消した。
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──────と、こんな感じの出来事を、現場に居なかった仲間に伝えると、ちょっとした騒ぎになった。
「邪神って、子供だったの!?」
「······」
「これは…ちょっと予想外だわ。てっきり触手とか鱗とか、人間とは思えないあらゆる要素を注ぎ込んだ存在とばかり思ってた」
「でも、アレは本物だったよ。私とラックの同時攻撃に対応してたからね」
「そんな人に絡まれて…リリィさん、お気の毒に」
「い、いえ。そこまで酷くはありませんでした。ご主人様が助けてくださったので」
…訂正。
主にユートが騒いだ。
セティは無言だし、エストレアは自分の邪神像との違いに驚き、トーラはリリィを案じているだけだった。
狂夢に至っては、興味無さそうに欠伸している。まぁ、俺にしか聞こえないのだが。
「でも、どうしてここまで来たのかな?」
「戦力を測るためじゃないのかしら?仮にもアタシたちは敵なんだから」
「いや、それはない」
ふと、思っていたことが口に出てしまった。
皆の視線がこちらに集まる。
「···どういう、こと?」
「あ、いや…。そんな感じがしただけだ。何て言うか、アイツはそんなことを考えるタイプじゃない気がする」
「あー、それは分かるよ。戦いそのものを楽しもうとする気配はあったからね」
俺の意見にアグニが同意して、リリィも小さく頷く。
それきり話すことが無くなって、この場は解散となった。
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『……で、どう思う?』
眠りに入り、精神世界に引き摺り込まれる。
夜に支配された『輪廻の森』で、狂夢が俺に語りかけてきた。
主語が抜け落ちた問いかけだが、狂夢だって遊夢なのだから、何を言いたいかは何となく分かる。
「邪神のことだろ。───幾ら見た目が子供でも、やることは変わらない」
『それもあるが、そもそもだ。勝てると思うか?』
「──────」
今まで抱かなかった疑問。
それを、狂夢は当然のように指摘してきた。
───そう。
言葉の上でしか理解していなかったのだが、俺が戦おうとしているのは、神なのだ。
しかも、今日の様子を見る限り、俺よりも格上である。
勝てる見込みは、実はそんなにない。
だが、
「ああ、勝つ。勝って、鈴音を取り戻す」
『…..そうか。分かってはいたが───』
俺の返事を改めて聞いた狂夢は、小さく溜め息を吐く。
それから、俺に聞こえないレベルの声量で何か呟いた。
「言いたいのはそれだけか?」
『いや、まだある』
狂夢がその場に座り込む。
倣って俺も座り込むと、狂夢が問いかけてきた。
『もし、鈴音が───』
「──────」
それに、何と答えたかは覚えていない。
ただ、暗い空と静寂に包まれた空間が相まって、余計に不気味だったのは、何となく感じ取れた。




