52話 自立
『───暇』
どこかの城で、彼は目を覚ました。
彼はその小柄な体を起こしながら目を擦る。
それは、小さな子供と同じそれである。
だがしかし、子供とは何かが、圧倒的に違っていた。
『うーん。良い加減早く来てくれないかなぁ?』
彼は手から闇を生み出して、玩ぶ。
風船のように膨らんだかと思えば剣のように鋭くなり、部屋全域に広がったかと思えば小石に満たない大きさになる。
その間、0.5秒未満。
それは、並みの魔法使いが生涯をかけてやっと出来る技だ。
それを、彼は易々とやってのける。
当然、彼は人間ではない。
『邪神っぽいこと、何も出来てないし』
彼の名はレイダー。世界を滅ぼす運命を背負わされた、神である。
『思い付きで運命の加護がかかるなんて予想外だったけど、これもまぁ、仕方無い』
邪神らしくていい、と彼は笑う。
だが、運命の加護を授かると同時に、彼は運命に縛られてもいた。
一つ、女神からの使者をこの城で殺さなければ世界を壊せない。
一つ、使者は任意のタイミングでこの城に攻めいることが出来る。
一つ、世界破壊を邪神が阻止しようとすれば、邪神の自我は消え失せる。
主にこの三つだが、制約はまだまだ存在する。
とにかく、邪神はまだ何も出来ないのだ。
『退屈だなぁ。俺もちょっと、出掛けようかな?』
自分の脳裏に、適当な土地を思い浮かべる。
だが、それらは既に見知った土地。
退屈しのぎにはなりそうにない。
だが、当然のように彼は、それを思い出した。
『そう言えば、魔族が一人逃げたんだっけ?』
逃げ出した魔族が居たことを思い出す。
魔族は本来、同族嫌悪などしにくい種族だ。
趣味嗜好による好みの差はあれど、根本の目的が一致しているため、わざわざ魔族から逃げ出そうとは思わない。
加えて、魔族以外の種族は魔族の敵だ。
魔族を裏切ったとしても、他種族に迎え入れられる訳ではない。
『ねぇ、ヘルピン。ちょっといい?』
「なんでしょうか?我が神よ」
『うん。この前逃げた魔族の名前、教えてくれる?』
ヘルピンと呼ばれた魔族は邪神に跪いて、邪神の要求した名を口にしたあと、恐る恐る問いかけた。
「…それで、我が神よ。如何なさるおつもりで?」
『何って、決まってるじゃん』
それに意も介さず笑顔を浮かべながら、邪神は言い切った。
『折角だし、挨拶してくるよ。『殺し合い、楽しもうね』って』
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「………」
リリィをメイドとして雇った次の日。
俺は何をするでもなく、ベッドに横たわっていた。
別段眠いという訳ではないが、ぼうっとすることすらも久し振りに思えて仕方無い。
『まぁ、あの魔族といい俺といいリリィといい、この頃トラブルだらけだったからなー』
「いやホント、もうちょっと大人しくしてほしかった…」
正直、今までの戦いの中では【狂人化】を倒すことが一番厳しかった。
魔族との戦いでは精神が一度擦りきれたし、リリィとは色々あったし。
最近、碌なことが起こっていない気がする。
『まぁ、それはそれとして、だ。そろそろ神殿に行こうぜ』
「そうか。そうだったな」
渋々ベッドから体を起こす。
そして俺は、自分の部屋の外に出た。
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「やぁ、なんだか久し振りだね」
「そうだな。お前も、この空気も久し振りだ」
一人で神殿に入る。
どうやら、俺以外は大なり小なり予定があったらしく、俺とは別行動している。
神殿に入ると、当然のように白い子供が俺を出迎えてきた。
「それで、何の用件かな?」
「ラックから聞いてるかもしれないが、数日前、魔族の少女を保護した」
「うん、聞いてるよ。ラック曰く、裏切り者らしいね」
あの頃は正体不明だったはずなんだけどなぁ、とか思いながらも、俺は報告を続ける。
ラックのスペックが凄いのはいつものことだ。
「それで、色々あった結果、その魔族──リリィって言うんだが、ソイツをメイドとして雇うことになった」
「……へぇ」
報告が終わると、リエイトが意地悪な笑みを浮かべる。
それに妙な気味悪さを感じてしまったが、もう遅い。
「色々って、具体的には何があったのかな?」
「……い、色々、だ」
「…………ふぅん。結構、お楽しみだったみたいだね」
「ぶっ!?」
当然のように、何があったかを見透かされる。
冷静に考えれば分かるが、コイツ相手に隠し事なんか出来る筈もない。
馬鹿みたいに強い神なのだ。記憶や心を読む【スキル】を持っていても何ら不思議ではない。
「で、メイドっていうのはやっぱり遊夢の趣味なのかな?」
「……違う、と思いたい」
『いや、俺の趣味だぞ?』
「…だってさ」
ヘラヘラ笑いながら俺には視線を向けるリエイトを少しだけ睨み、自分の内側に怒りを向ける。
どうやら、こうすると【狂人化】を黙らせることが出来るらしいのだ。
『あ、待て待て!?俺だって用があるんだよ!?なぁ、リエイト!』
「あー、そうだったね」
「…?」
心当たりが全くないので、首を傾げる。
そんな俺を放置したまま、勝手に話は進んでいった。
「それで、やっぱりアレでいいの?」
『普通に考えてそれしかねぇって。遊夢の主権が取れなくなった今はな』
「別にいいけど、後悔しても知らないよ?」
『は?何でだよ。むしろ大歓迎だね』
「そこまで言うなら仕方ない。それじゃ、いくよ」
「いや、訳が分からないって!?説明しろよ、お前ら!?」
「大丈夫、すぐ分かるから」
そう言って、リエイトは何か呟き始めた。
『──────』
何を言っているのかは分からない。
だが、リエイトの魔力が俺の中にあるナニカに接触し、引き抜こうとしていることは理解出来た。
「っ!?──────ぁ゛」
飛び退こうとするが、遅すぎる。
不可視の魔力は俺の心臓を掴み、中に眠る欠片を引き出す。
それと同時に、心臓無くなったかのような錯覚に陥った。
「──────、は、ぁ」
それはあくまで錯覚。
本当に心臓を抉り出された訳ではない。
それでも、消えてくれない痛みと喪失感を抱え続ける体は立つことを拒み、気付けば俺は、その場に座り込んでいた。
「……ふぅ。とりあえず、これでいいよね。【狂人化】」
「あぁ、上出来だぜ。これで俺も───アレ?」
「はぁ、は───ん?」
聞き覚えのある声を聞いたので、顔を上げる。
すると、見慣れたような人間が一人、俺の傍で立っていた。
白い髪、白濁した瞳、得体の知れない気配。
それは完全に、ある人格と一致する。
だが、違う。
アレは、決定的に何かを間違えている。
「って、待てよオイ!?」
「何?僕は君の注文通りに、君専用の肉体を作ってあげたよ?【狂人化】」
───それは、子供の姿になった【狂人化】だった。
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「───っていうことだけど、わかった?」
「……あー、成る程」
要約すると、【狂人化】とリエイトの間で、勝手にこんな約束が取り付けられていたらしい。
・遊夢と戦って、【廃人化】を引き摺り出す。
・【常人化】を倒して【狂人化】がメインになっても、リエイトは手を出さない。
・【常人化】が【狂人化】を打倒した場合、リエイトは【狂人化】専用の肉体を創る。
一番上がリエイトの要望で、ソレ以外は【狂人化】の要望だとか。
「…お前、いつの間にこんなことを?」
「さぁ?何日前だっけな?」
あくまで話をぼかしてくる【狂人化】。
リエイトに視線を向けるが、彼女もヘラヘラ笑ってばかりで説明はしてくれない。
それで俺から言うことが無くなり、少しの間沈黙が訪れる。
「───」
言うことは言った。
【狂人化】も報酬を貰った。
リエイトからの話は無さそうだ。
つまり、もうここに用はない。
だから踵を返して帰ろうとしたのだが、その前に【狂人化】が叫んだ。
「って、待てよ!?なんで子供の姿なんだ!?」
「あ」
俺とリエイトの声が重なる。
どちらも考えていることは同じで、要は「忘れていた」のだ。
「あ、じゃねぇよ!?」
「そうは言ってもさ、しょうがないよ。だってさ───」
小さな神は笑顔のまま、【狂人化】に告げた。
「だって、あくまで君は脇役なんだからね。遊夢が持ってる狂気の分したカタチに出来ないよ」
「な!?」
言われてみれば、納得だ。
俺から自立して肉体を得るのは、あくまで【狂人化】の部分なのだ。
それ以上の魔力は得られないのは道理だろう。
「だけど、遊夢から独立した以上、人間として過ごすことは出来る。だから、十年も過ごせば今の遊夢の姿に戻れるよ」
「………」
淡々とリエイトは語る。
一方【狂人化】はと言うと、頭を押さえて真剣に何か考えていた。
自分のことだというのに、何を考えているのかさっぱり分からない。
やがて、【狂人化】が少し重苦しそうに口を開いた。
「…とりあえず、今日はこれでいい」
「分かったよ、それじゃあね。もう一度同化したいなら、また来るといいよ」
【狂人化】の言葉を受け止めてから、リエイトは俺たちを送り出す。
俺たちは彼女に背を向けて、神殿の外に歩きだした。
「……あれ?感覚鈍いなぁ」
最後に、リエイトのそんな呟きを耳に入れながら。




