38話 全てを飲み込む底無しの───
「······良かった」
ユートとアイコンタクトを取った私は、魔族の注意を引かないように気を付けながらユウムに駆け寄った。
そして、《治癒》を発動させる。
私の回復魔法は、あの女の子魔族や先程までのユートとは違い、順調にユウムの傷を治していった。
私の【スキル】である【慈愛の心】は、無条件に回復力を増長させる。
もっと回復力を上げる条件もあるのだが···それはあんまり人には言いたくない。
人に言うと、あることがバレてしまうからだ。
「……セティ?」
「···大丈夫?」
暫く続けていると、ユウムが目を覚ました。
彼はゆっくりと体を起こしながら、私の名前を呼ぶ。
とりあえず安否を確認すると、彼は自分の体を見て、私にお礼を言いながら肯定してきた。
「あぁ、大丈夫だ。セティが治してくれたみたいだからな。……ありがとう」
「······当、然」
面と向かってお礼を言われて、少し照れくさくなる。私は目を逸らしながら返事をした。
そう言えば、ユートとエストレアはどうなっているのだろうか?
そう思った私は、ユートとエストレアが居るであろう場所を見た。私の動きに釣られたのか、ユウムも私と同じ場所を見る。
······そして、二人して絶句した。
「「·········っ!?」」
「ちっ。目が覚めたか、妖精もどき」
魔族がユウムを見て、そんな言葉を吐き捨てる。でも、私たちにそれを気にする余裕は無かった。
エストレアは闇に体を貫かれ、ユートは遠くで血を流しながら横たわっている。
私は思わず、エストレアに向かって駆け出した。
「セティ!?」
「愚かだな。女」
ユウムの叫び声が聞こえるが、私はそれを無視して走る。ヒーラーである私が傷付いた仲間を放っておくなんて、あって良い筈がない。
私は走りながら、魔族を足止めするために魔法を放つ。
「···《ホーリー》!」
《光の剣》や《光切》、《光の槍》では攻撃範囲が狭すぎる。
だから私は、波状の魔法である基本魔法を発動した。
《ホーリー》や《ファイア》などの基本魔法は、範囲が広い分威力が低い。
けれど、私の目的は魔族の足止めだ。威力は足りなくても問題ない。
事実それは効力を発揮したらしく、魔族は闇魔法で《ホーリー》を相殺することに手一杯の様子だった。
······相殺と言うよりは、貫通と言ったほうが正しいのだけれど。
魔族が放つ闇は、《ホーリー》を易々と突き破り、私に迫る。
当然だ。エストレアの魔法を相殺出来るのだ。私が相殺出来る筈もない。
でも、それでいい。それなりに威力が衰えたのなら、私でも回避出来る。
迫り来る闇を、走りながらかわしていく。
時々、完全には避けきれずに体を掠めるが、この程度なら問題ない。
私は、ついにエストレアの下まで辿り着いた。私は彼女の側でしゃがみこむと、彼女の様子を覗き見る。
エストレアの状態は、最悪と言っても良かった。
大量出血に加え、魔力も殆ど空だ。幸い毒は受けていないようだが、それでも致命傷だ。
急いで治療しないと。
「······《治──》あっ!?」
《治癒》を発動させようとした瞬間、体に衝撃を感じて地面を転がる。
数度転がって、仰向けの状態で動きが止まる。それとほぼ同時に、私は魔族に首を掴まれ、そのまま持ち上げられた。
「···離、して」
「断る。ヒーラーは面倒なのでな。殺させて貰う。……まぁ、あの小僧が倒れた今、俺の【回復封じ】を妨げる存在も居ないが……まぁ、気が向いたという奴だ」
淡々と言葉を紡ぎながら、魔族は私の首を締め上げる。
片手しか使っていないにも関わらず、私の首がミシミシと悲鳴を上げた。
口からは言葉にならない呻き声だけが漏れ、足をバタつかせるが上手く力が伝わらない。魔族の腕を引き離そうとするけれど、それをするには私の力は余りにも小さかった。
「セティ!?……がっ!?」
「手出しするな、妖精もどき」
ユウムが魔族に向かっていくが、魔族はユウムに蹴りを放つことでユウムを吹き飛ばした。
ユウムは鳩尾を押さえて踞るが、それでも目は憎しみと怒りを宿し、魔族を睨み付けていた。
それが気に食わなかったのか、魔族の腕に力が入る。
全く呼吸が出来なくなり、苦しみが心を蝕んでいく。それでも私は必死に意識を留めていた。
だけど、突然その苦しみから解放され、地面に倒れ込む。
「···けほっ、けほっ!」
堪らず、首を押さえて大きく咳き込む。そして、痛みに耐えながら呼吸を始めた。
───でも、それも直ぐに終わる。
急に、私の体が再び持ち上げられた。やったのは、魔族だ。
「見ていろ。この女の、無惨な死に様をな」
「······ぁ、ぐぅ······!?」
魔族はユウムに向かって何かを言う。
それと同時に、私を地面に叩きつけ、何度も何度も私を踏みつけた。
───痛い
一度踏みつけられる度に骨が軋み、意識を保つのも辛くなる。
ユウムが何か叫んでいるが、全く耳に入らない。
何十回も踏みつけられてボロボロになった私を、魔族は持ち上げ、顔をユウムの方に向けさせられる。
「セティ!セティ!」
「·········」
それで、分かった。
ユウムは縛られていて、動けないのだ。今も必死にもがき、抜け出そうとしている。
でも、それは意味を為さず、闇の縄に縛られた彼の体が悲鳴を上げるだけだった。
「···───」
私は、殆ど無意識で何か言った。
それが何だったのかは、もう覚えていない。
それと同時に、右腕に衝撃が走り、感覚が無くなる。
嫌な予感を覚えながら腕を見ると、予想通り肩口から先が無くなっていた。
(···麻痺、してる)
しかし、それでも痛みは余り感じない。
······多分、もう助からないだろう。
私は静かに、意識を闇へと落としていった。
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セティの首が締め上げられるのを見た俺は、魔族に向かって駆け出した。
そのまま剣を振り抜くが、剣は闇の魔力に防がれ、俺は蹴り飛ばされてしまう。
「セティ!?……がっ!?」
「手出しするな。妖精もどき」
【妖人化】でエルフになっている俺に対して、魔族はそう吐き捨ててくる。
それにも怒りと憎しみを感じて、俺は踞りながらも魔族を睨み付けた。
それが気に食わなかったのだろう。魔族はセティを解放した。
セティは重力によって地面に叩き付けられる羽目になるが、あのまま首を絞め続けられるよりはマシだろう。
その間に、魔族は俺に接近してくる。
「喰らえ、《サンダー・付与》!」
「……この程度か」
呆れた様子で魔族は呟くと、雷を宿した剣を闇を纏った腕で弾き、《闇の縄》で俺を縛り上げる。
そしてもう一度セティを持ち上げ、宣言した。
「見ていろ。この女の無惨な死に様を」
「っ!?……止めろ!」
何をするかを察した俺は、全身の力を使って縄を引きちぎろうとする。
しかし、魔力で出来た縄はびくともせず、寧ろ俺の体に食い込んできた。
身を裂くような痛みが俺を襲うが、それに構っている余裕はない。早くしないと、セティが殺されてしまう。
「止めろ、止めろぉ!」
何も出来ないことが悔しい。俺はただ、悲鳴を上げることしか出来ないのだから。
それと同じくらいに、魔族への怒りが増えていく。
……不意に、魔族がセティの顔をこちらに向けた。
彼女は、苦しみと痛みのせいか涙を流していた。顔も踏みつけられたのだろう。顔の皮も破けて血が滲んでいる。
俺は堪らず、セティに呼びかけた。
「セティ!セティ!」
「·········」
俺の呼びかけに気づいたのか、セティは俺を見る。
そして、今にも消えてしまいそうな声で、こう言った。
「···ユウ、ム」
「──────ぁ!?」
彼女が俺を呼ぶと同時に、辺りに鮮血が舞う。
魔族がセティを離すと、彼女はそのまま地面に落ちる。
腕が無くなった肩口からは、じわじわと血の池が広がっていった。
赤い、紅い池の中心に倒れる水髪の少女は、目が虚ろなまま俺を見ていた。
「───ぁ、」
その目に光を取り戻すことはなく、ただのガラス玉のように俺を映していた。
それは、俺の怒りや憎しみを塗り潰し、新たに絶望と虚無感で心を染め上げる。
「いや、だ」
もう、既に《闇の縄》は解けている。
だが、足に力が入らない。
俺は這って、セティの傍まで移動した。
血溜まりに手がつき、血が跳ねる。
まだそれは生暖かく、正真正銘、彼女から溢れ出たものと理解するには十分過ぎる。
俺はただ、静かにセティを抱き上げた。
やはり、それにも反応を示すことはない。そのせいか、彼女の体は異様に軽く感じた。
「セ、ティ」
以前助けたとき、セティが涙を浮かべて抱き付いて来たのを覚えてる。
……でも、今はどうだ?
残った腕は力無く垂れ下がり、目には一切の光もない。
「あ、ぁ」
また、失うのか?
結局、何も変わってないじゃないか。
「───ははっ」
先程までは、絞り出したような呻き声しか出なかったのに、何故か、笑い声だけはすらりと口から出てきていた。
「はは、はははっはははははははは!」
笑い声が大きくなると同時に、俺の意識が何かに染められていく。
黒でも、白でもない。それには希望も絶望も無く、ただただ純粋で不純な力が俺を取り巻き、飲み込んでいく。
───あぁ、知っている。
俺はこれを知っている。
あの時にも、同じことがあったのだ。
『思い出したか?』
もう、現実を見たくない。
目的も、約束も、誓いも、全部全部ソレに飲まれて消えていく。
全身の感覚はあるのに、体が動く気配はない。
そして俺の口は勝手に動き、ある言葉を紡いだ。
『さぁ、俺に委ねろよ。怒りも悲しみも憎しみも、嬉しさも愛情も楽しさも、全部全部、俺が狂気に変えてやる』
「──────【狂人化】」
【スキル】解説
【回復封じ】
傷付けたものの回復力を消す【スキル】
能力そのものを打ち消すか、【スキル】保有者を殺すか、回復ではない傷の修復を行わない限り、傷付けられた者の傷が治ることはない。




