36話 小細工では越えられぬ壁
「……こんなものだな。【常人化】」
魔物の討伐も一通り終わったので、俺は【妖人化】を解いた。
正確に言えばエルフからヒューマンに変身したというのが正しい表現なのだが、元がヒューマンなので別に良いだろう。
変身時に一々魔力を消費してしまうのだが、何となくヒューマンで居るほうが落ち着くのだ。ビーストの時は少し血が熱くなるような感じがするし、エルフの時には魔力が澄み過ぎて逆に落ち着かない。
まぁ結局、俺は根っからのヒューマンだと言うことだろう。
「そうだね。そろそろ帰ろうか?」
「なんか、【絶魔砲】手に入れてから敵が弱く感じるのよね。まぁ、便利と言えば便利な訳だけど……正直調子狂うわ」
「······私は、嬉しい。···皆を、癒せるから」
皆も思い思いの事を言っている。実際の冒険者はどうなのかは知らないが、俺たちはいつもこんな感じだ。
ここの魔物は決して弱くないらしいのだが、【スキル】を発現させた影響なのか神の領域に足を踏み入れた影響なのか、皆が皆自分の力が上がったと確信しているらしい。
別に俺はそうは思わないが。ただ『輪廻の森』に居た魔物が強かっただけなのかもしれない。
「じゃあ、行くぞ」
──────だからなのかも知れない。
少なからず自信を持っていた俺たちは、同じように少なからず慢心していたのだ。
だから、あの敵から逃げることを選ばなかった。
俺の心が再び壊れるまで、あと数十分。
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「……あ!?」
ガチャンという音と共に、ガラスの食器が砕け散る。
それを引き起こしたアグニは一瞬硬直したあと、慌てて破片を回収し始めた。
「うぅ、やっぱり木製がいいなぁ」
トーラが魔族の少女の面倒を見ているため、これを一人で処理しなければならない。
その手間を思い、アグニは小さく溜め息を吐いた。
それと同時に、部屋の中が暗くなった。窓の外を見ると、灰色の雲が太陽を覆い隠している。
それを待ち望んでいたかのように、数羽のカラスが鳴き叫ぶ。
少し耳障りになったので、アグニは少し顔をしかめた。
「なんか、不吉だね……」
その小さな呟きはカラスの叫びに掻き消され、誰にも届くことはなかった。
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その男は、当たり前のように俺たちの前に立ちふさがった。
黒い髪に紅い瞳、背中と腰には悪魔を思わせる大きな翼と長い尻尾が生えていた。
「……人間か。だが、微かに神の力も感じるな。それも、我らが主とは対極を為す魔力を。貴様ら何者だ?」
俺を睨みながら、男は小さく呟く。
俺は殆ど無意識に殺意を募らせながら、返事をした。
「お前は、魔族か?」
「俺の質問に答えろ。人間風情が」
帰り道の草原。ここには俺たちとこの男しか居ない。
空には灰色の厚い雲がかかっていて、遠くからカラスの鳴き声が聞こえてくる。
まるで、この魔族の襲来を報せるかのように。
「俺は、お前らの神を殺す者だ」
「ちょ、ユウム君!?」
「バラしてどうするのよ……」
「·········」
俺があっさり正体をバラすと、ユートたちが俺を咎めてきた。
俺自身も少し驚いている。答える気も無かったのだが、口が勝手に動いてしまった。
「そうか、貴様がか。……冗談か否かは知らぬが、神殺しを名乗るなど万死に値する。俺が裁きを与えてやろう」
そう言いながら、魔族は俺たちから距離を取った。
そして手に闇の魔力を集めて、こちらに向けてくる。
どうやら、話し合いは不可能らしい。
……まぁ、するつもりもないのだが。いい加減、殺意を抑えられなくなってきた。
俺は剣を構える。少し遅れて皆が武器を構えた。
空は余計に暗くなり、今にも雨が降りそうだ。
鳥たちは慌ただしく空を飛びまわり、各々の巣へと帰っていく。
「やれるものなら、やってみろ!」
俺は《電光石火》を起動して、未だに魔力を溜めている魔族に接近した。
それと同時に、風船のように殺意が大きく膨らんでいく。
殺せ、殺せ、殺せ、殺せと俺に呼びかけてきた。
(言われなくても、殺してやる!)
『鉱石の魔窟』の時のように抗ったりはしない。俺は殺意に従って剣を降り下ろした。
魔族はその剣を闇を纏った手で受け止めて、それを爆発させてくる。
「《ダーク》」
「……こ、のっ!【獣人化】!」
「何っ!?」
普通に動いては避けられない。そう判断した俺はその場に倒れ込み、【獣人化】を起動。
ビーストの身体能力にものを言わせて魔族の顔に蹴りを放った。
それを予想だにしなかった魔族は、ギリギリのところで一歩後退って俺の蹴りを避ける。
そして俺の足を掴もうと一歩踏み出して手を伸ばしてきた。
だがしかし、戦っているのは俺だけではない。
「させないわよ!」
「くっ……厄介だな」
エストレアの《風の槍》が俺の脇を通り抜けて魔族に襲いかかる。
魔族は後ろに大きく飛び退いてから、《闇の槍》でエストレアの魔法を相殺した。
その隙に俺は起き上がり、ユートと同じタイミングで再度接近。同じタイミングで剣を叩き付けた。
俺はビーストの力と身体強化を合わせ、ユートは両手剣と自分の体重を上手く乗せている。
どちらも威力としては申し分ない。
かすり傷程度なら、相手に傷を付けられると思っていた。
「……この程度か?《闇の剣》」
「うがっ!?」
魔族は両手から闇の剣を生み出して、そのまま回転。俺とユートの剣を弾く。
俺は剣を放さなかったものの、ユートは剣の重さが祟ったのか剣を放してしまう。
それを見逃す魔族ではなかった。
魔族は俺を蹴飛ばしてから、ユートに向かって剣を突き出す。
ユートは咄嗟に身を捻るが、魔族の刃はユートの腕に深く食い込んだ。
「……ぁづ!?」
「ユート!?」
俺は全力で魔族に接近し、剣を突きだした。しかしそれは避けられ、逆に肩を浅く斬られた。
それでも俺は止まらない。俺はユートの無事な方の腕を掴み、セティへ向けて投げ飛ばした。
「セティ、ユートを頼む!」
「······っ!?···分かった」
いきなり人間を投げつけられたせいで驚かれるが、セティは直ぐにユートに治療を開始してくれた。
俺は魔族から距離を取り、睨めつける。
「少しはやるようだな。人間風情にしては、だが」
魔族は余裕の笑みを浮かべながら俺を見下ろしてくる。
それを理解すると同時に殺意がまた膨れ上がるが、今は抑えて頭を回した。
(少なくとも、【獣人化】では勝てない。身体能力で劣ってるんだ。他の要素で勝てるわけない。【常人化】も……微妙か?)
そこまで考えれば、やれることは一つ。【妖人化】だ。
「いくぞ。【妖人化】!」
「これは…面白い。貴様、見世物としては最高だぞ?」
【妖人化】を起動すると、筋力が衰えるのを感じると同時に、周りの魔力を感じやすくなった。
それだけではなく、魔力の質と量もまた、【常人化】の時よりも上がっている。
髪色が黄緑になり、耳が尖る。まるで、ナチュルのように。力を取得した相手と容姿が似るのは【■■化】の仕様なのだろう。
俺の変化を見た魔族は、もう一度笑いながら俺を見下してくる。
魔族戯れ言を無視して、俺は《電光石火》を起動。
精度を上げたそれは、脳の力を最大まで引き伸ばす。
素の身体能力が大したことないので単純な速さは【獣人化】に劣るが、それでも反応速度は最高だ。
それに加えて、【常人化】では出来なかったことも、今は出来る。
俺は剣に魔力を込めて、叫んだ。
「《サンダー・付与》!」
青白い光が剣を覆い、無数の稲妻が迸る。
その稲妻が発する音は端から見れば、剣が悲鳴を上げているようにも聞こえるだろう。そして多分、それは間違っていない。
分からないが、何となくそんな気がするのだ。
「雷を纏う剣、か。高等な技だが……あの妖精もどき共なら可能か」
そんなことを呟きながら、魔族は俺の剣を闇の剣で受け止める。
押し切ろうと腕に力を込める。ミシミシと剣が悲鳴を上げるが、それだけだ。魔族の体に剣は届きそうにない。
それはそうだろう。今の俺に、剣術は向いていない。むしろ、剣術以外の技で戦うべきなのだから。
俺は空いている手に魔力を込めて、最早お馴染みと化しているあの魔法を放った。
「《マッド》!」
「……目眩ましのつもりか?」
案の定、魔族はその可能性を指摘してきた。
当然だ。この世界ではまだ、知られていないのだから。
俺は更に力を込める。手から生み出したのは、大きな炎だ。
事象具現魔法で生み出されたそれは熱い。周りの魔力を燃やしているので、自然に魔力により強化されたこの世界の肉体は苦しさを訴えてくる。
だがそれで構わない。それであの魔族を殺せるのだと思うと、むしろ清々しさすら感じた。
そして、その時が来る。
「《炎の球》!」
瞬間、爆発のような燃焼が起こる。
───粉塵爆発。粒子を燃やして起こる燃焼の現象だ。元の世界と同じような法則だが、違う点が一つだけある。
それは、『魔力』を燃やす、という点だ。
詳しい原理は知らないから省かせて貰うが、この世界では、大気中の魔力を媒体として魔法を発動する。体内で発動する魔法、つまり身体強化などでは問題ないが、《ファイア》などの体の外で発動する魔法は、例え事象具現でも属性付与でも外の魔力を集める必要がある。
外の魔力を集めるのにも自分の魔力を使うので消費する魔力量は大差ないのだが、俺からしてみれば、そのワンクッションの隙を突かない手はない。
もう一つ、例を挙げよう。
もし、酸素がない瓶の中に火が着いた棒を入れればどうなるか?
答えは当然『火が消える』だ。燃焼の源である酸素がないのだから燃える筈がない。
それと同じだ。外に魔力がないなら、集めようがない。そうなれば、魔法は発動しない。
しかし、それも一瞬だ。移動されれば普通に魔法を使えるし、仮にこのまま動かなくても直ぐにあの場は魔力で満たされる。空いているスペースに行こうとする性質は、魔力も同じなのだ。
だから、俺は体内の魔力だけで《電光石火》を起動して、止めを刺すべく魔族に接近した。
煙はまだ完全には晴れず、視界は悪い。
それでも、影は見えた。俺はそこに向かって剣を振り下ろし、それと同時に──────、
「小賢しい真似をするなよ、人間風情が!」
魔族の蹴りをモロに喰らって吹き飛んだ。
慌てて体勢を立て直そうとするが、もう遅い。
目の前には、《闇の槌》を振りかぶった魔族が居て──────、
「潰れろ」
その声が聞こえた瞬間に、俺は意識を手放した。
【スキル】解説
【妖人化】
妖の力を身に宿す。魔力量が増大し、魔力の制御、感知をしやすくなる。
しかし、その分身体能力は減少する。
※遊夢の【■■化】で手に入れた【妖人化】である場合、力を手に入れた相手の容姿に少し似る。今回の場合は髪と目の色がナチュルと同じ黄緑色となり、耳が尖る。




