118話 最期
闇が渦巻く。これから放たれるは、全てを潰す一撃だろう。
城を貫き、風を灼き、ともすれば───王都にすら、届くかもしれない。
「本当に、駄目だよこれは」
震える足に力を込めて、しっかりと立つ。腰を落とし、右足を後方へ。同時に剣を後ろに構えて、全力で横に薙ぐ体勢を取る。
そして、迫り来る死を視る。目を見開いて観察して、自分の身体に染み込ませる。
アレは駄目だ。アレは迎撃出来ない。アレを受けてしまえば、自分の全てが砕け散る。
「ただの火力じゃない、僕には分かる」
分かる、判る、解る。あの一撃は、ただの一撃ではない。
邪神の総てを賭けた、文字通りの全身全霊。エストレアさんの一撃と同じように───ともすれば、それ以上に「全て」を乗せた、破壊の極光だ。
大気の魔力が悲鳴を上げる。パレードの中心に居るかのような音の衝撃が身を打って、台風の最中に立っているような圧力が押し寄せる。バチバチと迸る雷光と燃え盛る豪炎は、夜よりも暗い、絶望を象徴するような闇色をしていた。
「……そう、だね」
視れば視るほど思い知る。不可能という言葉が脳裏を反復して、どこにも勝ち筋が見えてこない。未来は決定しているのだと嘲笑われている気分になって、不快な感情が込み上げてくる。
ならば、それは。
「──────『理不尽だ』って、言えるよね」
見える、視える。あの一撃は、そういうモノだ。結果を先に決めてから放つ、『運命』の一撃だ。放てば最後、世界滅亡が決定付けられる破滅の波動だ。
心から、そう思う。
であるなら、それだけで事足りる。
だって未来が決まるなんて、理不尽にも程がある。どうしても変わらないなんて馬鹿げてる。だったら、そんな未来───断ち切れなくて、何が理不尽殺しか。
思考が冴え渡る。───あんな未来を認める訳にはいかないと、静かに思った。
手に力を込める。───刀身に不可視の力が入っていくことを、確かに感じた。
『ははは、ははははははははははは!!これが、これが俺の───今の世界の決断だ!この世界の一撃を、ちっぽけな君に凌げるかい!?』
「───」
返事をする必要はない。あの邪神は気付いていないのだ。僕の力を知っていようと、それが今発揮出来ていることに気付いていない。とても高揚している彼には、それを知る由はない。
『解き放て、喰い散らかせ、壊し尽くせ。是より放つは、彼方まで灼き尽くす破滅の極光!』
きっと、さっきの一瞬で何かあったのだろう。その詳細を僕が知る由は無いけれど、その必要はない。
『畏れよ、讃えよ。邪の神たるこの我を!』
邪神が吼える。その一言一言に魔力が宿って、鼓動のようなリズムで暴風が吹き荒れる。まるで、誕生を待つ龍のようだ。
『我は、この世界を───破壊する!!』
「理不尽、不条理を断て。我が欲する未来はただ一つ、希望に溢れる日常のみ」
聖剣に力を込めると、不思議と頭に詩のようなものが浮かんできた。言葉に出してみると───剣に魔力が注ぎやすくなる。初めてやるが、これが詠唱と言うものらしい。
「であるなら、ソノ未来は不要なり。我が刃はその理念を顕すもの。
聖剣よ───今こそ、その全てを解き放て!」
自分の理想を思い描く。迫る未来を否定する。そんな理不尽があってはならない、そんな未来は認めない。
ならば斬られる。この僕が望むのであれば、この刃に斬れぬモノなし。
もとよりこの刃は、ただそれだけしか断てぬモノ───。
『灰燼に帰せ、《遍く未来を亡ぼす極光》!』
「理不尽を断て、【絶対斬り】!」
聖剣から、光の斬撃が放たれる。それは、あの黒い極光には比べるまでもない程ちっぽけで、けれど鋭い光。本来なら、闇に呑まれて消えるはずの光は───理不尽を断つという特性を持っているお陰か、真っ直ぐに突き進んでいく。
けれど、けれど。幾ら『運命』という理不尽が剥がれたとしても、あの一撃がとんでもないものであることには変わりない。王都にまで届くようなことにはならないだろうが……。この城を壊す程度なら、造作もないだろう。
最後に悪あがきとして、剣を盾のように構えて踏ん張ろうとする。
結果、僕はこの決着を見届けることなく───極光の余波により、意識を手放した。
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『───あは、ははは』
極光と斬撃の激突により、呆気無く城は全壊した。城の全てが瓦礫のように乱雑に積み重なっており……その中に巻き込まれる形で、邪神の姿が確認出来た。
彼を取り巻く瓦礫に付着している血飛沫の量は尋常ではなく、常人であれば即死しているであろうことが見て取れる。それでも生きているのは、彼が神であるのが原因だ。
『あーあ。全部、ぜーんぶ、破られちゃったな』
悔しそうに笑いながら、邪神はただ空を見上げていた。そこに広がっているのは不自然な程白い空などではない。どこまでも青い───ありきたりな空だ。
『……白い空、気に入ってたんだけどな』
一見すれば霧にでも覆われているように思えた、あの白い空を。
今にも雷が落ちてきそうであった、あの黒い雲を。
彼は彼なりに気に入っていて、そう設定していた。つまりあの空は邪神のモノであり、それが消えてしまったとなると───。
『……城は砕け、邪神は朽ち、何より未来が書き換えられた。終わるはずだった世界は存続の道を歩んで───終わらせるはずだった俺は、こうして死んでいく』
それで全ては解決する。邪神が死んで『運命』が壊れて。この終幕こそ、世界に生きる人々が足掻いた結果だ。幾ら世界が決めたことと言えど、世界と同価値とも言える人類が明日に向かおうとしたならば、そういうことも有り得るのだろう。
……当然ではあるが、勇者の姿は見えない。二つのエネルギーのぶつかり合いにより、城の外へ弾き出されたのだ。もとより死人であるセティは言うまでもなく、気絶していた三人の勇者も、墜落死は免れない。
であるならば、個人としての勝負は引き分けだ。世界の単位で見るならば人類の勝利であるが、邪神と勇者の戦いは引き分け。どちらも死に絶えた、両者が敗者の終わり方。
『……どうせ、居るんでしょ』
「ああ、分かった?」
邪神の呼びかけに応じるように、第三者の声が響き渡る。元気で可愛らしい──この場にそぐわない、子供の声だ。
『そりゃあそうでしょ。最初から気付いてたよ。『運命』に縛られてるクセに、何も出来ないことを知ってるクセに走ってくる、ちっぽけだった神様のことくらい』
「あはは。そんなちっぽけな神様を覚えてるなんて───『ずいぶんと余裕だったんだね』
『わざと言ってるでしょ、ばーさん』
呆れるような声色で、邪神は声の主に語りかける。それに再び笑みを返してから、声の主は抱えていたモノを地面に下ろす。
どさどさどさ、と三回。地面に柔らかいものが落ちる、鈍い音がした。
『───はぁ、酷いや。最後の勝ちくらいは、譲りたくないと思ってたんだけどね』
『それに関しては本当に君の負けだよ、レイダー』
声の主の手によって地面に落ちた三つの物体───厳密に言うのなら、三人の人間は未だに生きていた。爆風に吹き飛ばされ、墜落死するその前に、声の主に回収されたのだろう。
宙を舞う、三つの人体を取りこぼさずに回収出来る人物など、この世界にはそう多くはない。
『……この世界の最高神。最強の一つである【進化】を持つ神様だ。もし『運命』が破られたら、その瞬間に負けだと思ってたよ』
『いや、それは違うよ。君の認識通り、確かに僕はこの世界より強いけど、『運命』にだけは勝てない。あー……例外は居るけどね。とにかく。勝ったのは僕じゃなくて、勇者たちだ。そこを間違えたら駄目』
優しい声で、最高神は邪神に注意する。そして、告げる。
お前を倒した者はお前より強い神ではなく、お前よりも弱い人間だったのだと。
『──────。まぁ、そうだね。さすが、選ばれた勇者たちだよ。あの獣人以外、化物しか居なかった』
『エストレアの魔法は人間辞めてるレベルだし、遊夢は色々おかしいし。ユートなんて、『運命』に勝つための【スキル】みたいなものだからね。
………君が気付いたってことは、表に出ちゃったんだ。セティの二つ目の【スキル】』
『本人がどこまでもヒーラーで助かったよ。聞いたことはあるけれど、あれが……』
困ったように頭を掻く最高神に、邪神は合点がいったように声を零した。
『……まぁ、いいや。死に際に、そんな化物の話はしたくないよ』
『そうだね。せっかく事件が終わったんだ。別の問題児──児、なんて言える奴じゃないけど、そいつの話はしたくない』
初めて二人の意見が一致して、互いに小さく笑う。面識自体は殆ど無い最高神と邪神であったが、それでも互いのことは理解しているつもりだった。
邪神は、高名な最高神のこと一方的に知っている、最高神は、『邪神』という神を知っている。ならそれは、相互理解と言っても良いのかもしれないものである。
『じゃ、そろそろ死のっか。───まぁ、俺が死んだところで邪神は消えないんだけどさ』
『【悪は何度でも甦る】だね。邪神という神が持つ固有の【スキル】。形を変えて、永遠にこの世界に留まり続ける祝福であり、呪いだ』
『そういうことだよ。……引導を渡して、神様』
邪神の声を聞き届けた最高神は、邪神の居る方向に向かって息を吹きかける。単なる行動に明確な意志と魔力が備わったそれは、瞬く間に邪神を圧し潰している瓦礫を粉砕した。けれども、邪神に新たな傷が加わることはない。そうなるように、調整したのだろう。
『吐息でこれ、かぁ』
『冥土の土産って奴だよ。僕の強さ、ちょっとは知って逝ってね』
邪神に手をかざして、ゆっくりと空へと腕を上げる。その動作に連動するように、邪神の身体が持ち上がった。試しに抵抗してみようとするが、邪神の身体は邪神の指示を聞く気配が無い。きっと全快の状態でも同じ結果になるであろうことを、彼は察知した。
『邪神らしく、闇属性の爆発で派手に殺してあげるよ』
『あはは、それは有り難いね。悪役冥利に尽きるよ。ああ、でも。ここからちょっと離れた所にも建物があるからさ。それは巻き込まないでね』
『当然だよ』
この地域に居るであろう全ての生命体を守るように、障壁を張る。これで、何があろうとも爆発に誰かが巻き込まれることはない。
『───じゃあね、リエイト様。せめて一回くらいは、君に挑戦したかったよ』
最高神──リエイトが手を握る。瞬間、《遍く未来を亡ぼす極光》のエネルギーを遥かに上回る熱量の超爆発が起こる。聞けば鼓膜が破れ、ショックで死に至るであろう爆音は───彼女の張った障壁に、全て防がれることとなった。
爆発の衝撃は外には響かず、爆発が届いた場所には何もない。邪神が蘇生するのは時間の問題であろうが、それは今までの邪神とは何もかもが違う。
『……これで終わりだよ。ばいばい、レイダー。君はきっと、他の邪神よりも強かった』
こうして事件は終わる。亡びる筈だった世界は救われて、代わり映えのない日常が、未来が訪れる。
【スキル】解説
【進化】
進化の神であり、この世界の最高神であるリエイトの固有能力。
元々完成された存在である神でありながら成長を続け、元々限界だった故に果てが無い進化を可能とする。成長する要素は無数にあり、単純な身体能力、魔法能力から体格、思想。果ては他者の【スキル】に『運命』への抵抗力確保さえも会得することさえ可能。
……しかし、本人は体格、思想に関しては進化させようとしていない。進化は出来ても退化は出来ない。体格であれば変身系の【スキル】を真似ることで事足り、思想を変えてしまっては「リエイト」を名乗れない──それはただの進化神であるため。
勇者たちが『運命』を破ったことで、『運命』への抵抗力を獲得した。しかし、「神は『運命』に逆らえない」という世界の原則があるために、実質的には皆無に等しい。精々、「全身を貫かれて一時間苦しんだ果てに死ぬ」を「全身を貫かれて一時間一分苦しんだ果てに死ぬ」に変えられる程度だ。それだけ、世界が定める『運命』は、神にとっては重いものなのである。
【悪は何度でも甦る】
この世界における『邪神』が持つ固有能力。
死した際に、一度『世界を管理する世界』を通ってから、再び『邪神』として同じ世界に降り立つだけの能力。しかし、それは『邪神』という神であり、別の名前があった個人ではない。
具体的に言うならば、身体能力に魔法能力、思考思想趣味性別【スキル】記憶名前など、全ての要素がリセットされる。
故にこの世界から『邪神』が消えることはないが、レイダーという名の邪神は二度と戻ることはない。魂を共有しているため、仮にレイダーを甦らせた場合、転生後の邪神は死ぬこととなる。




