114話 別人
───夢を、見た。
俺は学生で、何でもない日常に生きていた。朝起きて、ご飯を食べて、面倒だなんて言いながら学校へ言って。
優等生でも劣等生でもない、どこにでも居るような普通の男子高校生だった。
ただ、俺の学校へ来ていた人物たちの中には、案外普通じゃない奴も居たらしい。
理由は夢でも思い出せないけれど、誰かが、俺と口論していた。俺の口論相手は、どこか有名な金持ちの人でなし。少女漫画でしか見ないような、典型的な悪役坊っちゃんだ。
どうして、今更こんな夢を。
どうして、そんな坊っちゃんとの口論の中心に───今なお記憶にある、あの少女が立っているのだろうか。
場面が変わる。気が付けば、俺の視界には公園が広がっていた。
いつかどこかで見たことのある、青原遊夢の死んだ場所。白い月がやけに輝いていた、俺の運命が終わる夜。
心の奥底では、まだ覚えているのだろうか。
「ずっと、言いたいことがあったんだ」
そう言いながら、頬を染める少女の顔を。
今、冷静に見ると何となく分かる。……違う。今まで、気付いていても知らないふりをしていただけなのだ。
「私、ずっと───」
声を震わせ、勇気を振り絞って、彼女が声を張り上げる。
周囲には何の人影もない。彼女の言葉を聞く者は、俺一人。
「青原君のことが、好きなの!」
───告白された。好きだと言われた。
この時、俺は一体何を考えていたのだろうか。緊張でドキドキしていたのかもしれないし、意外と冷静だったのかもしれない。もしかすると、放心状態だったのかも。
でも、確かに覚えている。この時の青原遊夢には、好きな人なんて居なかったから。
誰かが自分を愛してくれるということが、尊いものだと感じているから。
「───ああ。俺で良ければ、付き合ってくれ」
彼女の告白を受け入れて、俺たちは恋仲になったのだ。
………その時だった。
受け入れられると思っていなかった彼女が、涙を流した。寸前まで赤かった顔色は一転、真っ青になっている。
そこからの記憶は、妙にあやふやだ。覚えていることと言えば───何か刃物のようなモノで、胸を刺されたくらい。
倒れこんだ俺に向かって、涙を流しながら彼女は凶刃を振るった。何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も─────────。
灼けるような痛みだった。こんなに痛いのは、生まれて初めてだった。痛くて痛くて。それでも運良く、運悪く生きていた俺は、彼女に何か言った。
何を言ったかは覚えていないが……多分、どうでも良いことだったに違いない。
最後に、暁によって腹を刺されて、俺はあの世界から消え去った。
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「………」
目を開けると、真っ先に暁の姿が見えた。彼女を見上げる形で倒れている俺は、どうやら膝枕されていたらしい。
俺の意識が戻ったことを知覚した彼女は、すぐさま両手で、俺の首元に手を当てた。
「動かないで、遊夢君。動いたら、殺しちゃうから」
覚悟を決めたように見える瞳が、俺に向けられる。けれども、それは無駄な脅しだ。
彼女の決意はハリボテで、俺が行動を起こせば崩れる物であることを、先の戦いで既に知っている。
気絶時に【獣人化】を使用していたお陰で、俺の敏捷性はかなり高い。勢いよく起き上がって、彼女から距離を取った。妨害はされずに呆気無くその行動は達成され、俺と暁は正面から向き合った。
「………」
「ほら。俺の首はまだ繋がってるぞ」
軽く首を叩いて、挑発する。そんな俺にもさして大きな反応を見せず、暁は無言で、ある物を俺に見せた。
「武器はここだよ。それに、もう手遅れ。疑ってるなら、その扉を潜ってみてよ」
見覚えのある短剣は、間違いなく常世刃。あの武器が無ければ、俺は邪神とまともに戦うことは出来ないだろう。
そして………。暁の示す通りに、俺は部屋の中央にある扉に触れる。
「───っと」
瞬間、電撃が走るような音と共に、俺の手が勢いよく弾かれた。
どうやら俺が気絶した時点で勝敗は決まってしまったらしく、今の俺にこの扉を潜る権限はないらしい。
「分かったでしょ?もう、遊夢君はここに居るしかないの。諦めて」
「嫌だ」
諭すような口調の暁の言葉に、即座に否定を返す。こんなところで諦めるなんて、冗談じゃない。
どんな手段を使ってでも、俺はここから脱出して、邪神を倒さなければならないのだ。
そうでなければ……鈴音を助けることが出来ない。
「………仕方ない」
幸い、扉を突破する方法にはもう目星が付いている。だから、重要なのは暁だ。
彼女から、どうやって武器を取り返すか。強奪という手もあるが、出来れば力は使いたくない。
「暁、武器を渡してくれ」
「嫌だよ。これを渡したら、遊夢君が何しでかすか分からないから」
「扉を潜れないって言ったのはお前だろ?俺が武器を持ってても、何も出来ない」
「私が知らないだけで、抜け穴がある可能性はあるよ。……遊夢君なら、抜け穴があれば絶対に攻略出来るから、その言葉は信用出来ない」
どうにもならないからという理由をでっち上げて武器を返してもらおうとしたが、あえなく失敗。
……というよりも、彼女にとって、前世の俺は何者だったのだろうか。嫌な意味で、信用され過ぎている気がする。
「なぁ。暁はなんで、俺に止めを刺さなかったんだ?」
ふと、思い付いたように質問する。
一瞬だけ彼女は顔を顰めたが……質問には答えてくれた。
「…殺す理由が無かった。それだけ──」
「『違うだろ?』」
言い切る前に、彼女の言葉を否定する。狂夢まで同調して、挑発でもするような声を発した。当然ながら、狂夢の声は暁には届かない。ただ、黙っていられなかっただけである。
「暁は、俺を殺さないんじゃない。殺せないんだ」
「……こ、根拠はあるの?あの、鬼の山で言ったよね?私は、一回遊夢君を殺してるんだよ?」
声を震わせながら、暁が俺に問いかけてくる。一度殺しているなら、二度目も出来る。そう、彼女は言いたいのだろう。
「一回殺したからこそ、だ。暁。お前はまだ普通の人間なんだよ。だから───」
魔族でありながら、頑なに殺害を拒んだ。
魔族でありながら、吸血行為を拒んだ。
それはつまり、彼女の精神性が未だに歴とした人間であることの証明だ。俺が【■■化】を使って種族を変えた場合、多少なりとも精神に変化がある。その種族の体を扱いやすくするために必要な変化だ。
だが暁にはそれが無かった。
……で、あるならば。
人を殺した記憶を覚えていて、それでも普通の人間であり続けているのなら。
大きく息を吸って、その言葉を告げる。
先程の夢で得た、ある情報。それをここで言うことがどれだけ酷いことか理解しながら、それでも俺はこう言うしかない。
「───だから、前世で好きだった奴を、一瞬だけ付き合ってた恋人を。二回も殺せないんだろ?」
「………………!?」
彼女の目が大きく見開かれる。きっと、予想もしなかった言葉だろう。
この世界で初めて彼女と会った日、その別れ際に、恋人が居たか否かを聞いてきていた。アレは、俺の記憶を確かめる為の行動だったのだ。再会したにも関わらず、俺は彼女に何の声もかけなかった。
また会えて嬉しいとも、よくも殺したなと怒ることもなく、一人の魔族として認識していただけだった。
だから、彼女はあの時にそう問うていた。自分の存在が俺から消えていることを確かめる為に。
……とにかく。
忘れていたはずの記憶を語られたせいで、彼女の注意が武器から逸れる。その隙を突き、俺は暁に急接近。武器を奪おうとした。
しかし、そうは問屋が降ろさない。飛び出した俺を、無色の壁が阻む。【拒絶】の壁は、俺の力で砕くことの出来ない強固な壁だ。
「【狂人化】」
であるならば、その耐久性を無視してしまえばいい。
すぐさま【壁の存在】を捻じ曲げ、消滅させる。これで残り回数は七回。概念的な防壁であるせいか、一つ分の力で消すことが出来た。
「嘘…!?」
「取った!」
動揺する暁の隙を突き、今度こそ武器を奪うことに成功する。そして俺は迷いなく、扉へ向かって飛び出した。
『……『運命』が絡んだ概念だ。最低二回。最悪五回飛ぶぞ』
「となると……形態変化は使えないな。普通に二回残しておいた方がいい」
「な、何を───!」
「【狂え】」
こちらに駆け寄ってくる暁を後目に、【狂人化】を複数回発動。
最優勢事項は、部屋の権限を強奪すること。その為に【狂人化】が出来ることはただ一つ。部屋が定義した勝者を、魔族から俺に変えることだけだ。その為には───回数消費は惜しまない。
発動は一瞬。扉を中心として、部屋全体に魔力が走る。それが一周して扉に返って来た時、確かな手応えを感じた。
「狂夢!何回使った!?」
『……四回だ!後三回だから気を付けろ』
「ま、待って!」
狂夢と回数確認を終えると同時に、暁の手が、俺の腕を掴もうとする。しかし、その行動は勝者に対する妨害行為ととられたのか。
暁の手は、俺に触れる前に不可視の力に弾かれた。
それに息を飲んだ暁を一目見て、俺は扉に一歩踏み込む。
「待ってよ!どうして、どうして!?」
目を向けていないけれど、彼女が今どんな顔をしているのかは分かる。
さっきの一瞬で、壁を突破され、武器を取り返され、あまつされ部屋の所有権さえも奪われた。これで困惑しないはずがない。
しかし、彼女が一体何に対して「どうして」と言っているのかは分からなかった。【狂人化】の能力について答えれば良いのか、彼女を殺さない理由を言えば良いのか。
何を答えれば良いか分からないが……このまま無視をするのも良くないと、思ってしまった。
「俺は───お前の知ってる青原遊夢じゃない。アイツの記録はまだ残ってるけど……。アイツの気持ちは、もう俺には残ってない。俺は、お前に恋していない。今は、別に居るんだよ」
何も考えずに、頭にふと浮かんできた言葉だけを告げて、扉を潜る。
彼女がどんな顔をしていたのか。ついぞ俺は、見ることは無かった。
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一人取り残された暁は、その場に崩れ落ちた。
体には傷一つ付いていない。けれども、立っていることが出来ない状態だった。
「……別に、か」
顔を伏せて、ぽつりと呟く。余りに小さいその声は、泣いていることを押し殺そうとしているように聞こえた。
「そっか。遊夢君は、もうユウム君だったんだね」
自身の頭の中でのみ表記を変えて、かつて知っていた彼と今の彼を区別する。自分でも驚くほど、すんなりと彼を二つに分類することが出来た。
「───遊夢君は、私が殺した。でも、ユウム君は私を怨まなかった。殺さなかった。
酷いよ。せめて、貴方の手で殺されて、罪を流したかったのに」
仰向けに倒れて、目を腕で隠す。
「…………こんなことを言うのは、許されないけど」
──────大好きだったよ、遊夢君。
誰にも聞こえない声で、小さく呟く。けれど無音の空間には、その音すらも、響き渡った。




