111話 勝者
思考の海から意識が戻る。時間にして、約五秒の空白。
それだけの間立ち止まっていたにも関わらず、俺の体には傷一つ付いていなかった。
目眩ましの魔法と、俺の動きを阻害するための壁が魔法を弾いてくれたお陰だ。
「……」
脳を苛む疲労感を隠すように、フラフラと歩く。まるで、そういう戦い方であると思わせるように。
「不気味ね、今の内に……」
チェリスから魔弾が放たれる。それを、大きく足を動かして動くことで回避。
《電光石火》は使わない。一度【廃人化】を使ってしまったら、もうそんな魔法を使う余裕は無いのだから。
ただ普通の──【常人化】のまま、俺はチェリスへ向けて飛び出した。
「……なんだ、お前」
加速の魔法を使わないことを訝しみながらも、ヴァリオが俺の前に立ち塞がる。
───ああ、分かってる。【廃人化】になって一度考えたのだ。
仮初の未来で、ヴァリオが俺に剣を突き出してくる。剣を薙ぐ、縦に振ってくる。
角度、速度、殺意。その全てがバラバラである無数の可能性。今の俺に視えるのはその程度で、数えきられる程度の数に抑えることは出来ないが───。
「《サンダー》」
剣を振って攻撃してくることだけは、確定事項として俺の中にインプットされていた。
ならば対策は単純明快。一度だけ、剣の範囲外から牽制して、
「【獣人化】───」
彼が雷に対応している間に形態変化。剣の間合いの更に内側へ接近。
ヴァリオの背後に回り込み、チェリスへ向けて短剣を投擲した。
位置関係で言うのなら、ヴァリオの背後にチェリスが居るのだ。回りこんでしまえば、不可能なことでも何でも無い。
ただ、その攻撃は絶対に当たらない。
チェリス本人が魔法で撃ち落とせるし、暁の【拒絶】でも弾けるだろう。そんなこと、誰でも分かる。
「この!」
当然のように、チェリスの手から魔弾が放たれ、常世刃はあえなく撃墜された。
分かっている、分かっているのだ。短剣を投げたその一瞬───人を殺せる凶器を手放すと、お前の注意は絶対に逸れることが。
「【鬼人化】」
「お前───ガ!?」
近接攻撃力が最高の形態、【鬼人化】の状態でヴァリオの鳩尾を蹴り上げる。
仰け反るヴァリオに再度蹴りを放ち、今度は吹き飛ばした。
獣人を軽く凌駕する、鬼の圧倒的なパワー。それを正面から受けたヴァリオは───地に伏せ、白目を剥いている。気絶か死亡かまでは分からないが、とにかくこれで戦闘不能。一人目だ。
「ヴァリオ!?」
チェリスから悲鳴が上がる。その隙を突いて、俺は地面を踏み砕く勢いで足に力を込め、前に跳ぶ。
正面から何発か魔法が飛んでくるが、それらは腕で叩き落とす。
そして接近すること、あと一歩。
先程ヴァリオを倒した時と同じ力を腕に込め、大きく振りかぶる。
「次だ」
「きゃっ!?」
声を出来るだけ冷たくし、腕をチェリスに叩き込む。まるで岩が転がってくるような衝撃を持つそれは、きっと少女の意識を奪うだろう。
───当然、当たればの話である。
金属板を殴るような音と共に、俺の腕がピタリと止まる。言わずもがな、暁の【拒絶】だ。
「……」
だが、そんな壁にも一つ、弱点がある。
俺の知る中で、一番の破壊力を持つエストレアの魔法。それをほぼ完全に防いだ彼女の壁を破壊する手段は、今の俺にはない。
破壊する手段は無いが……消滅させる手段は二つ、持っている。
一つは、【狂人化】による事象変革。
もう一つは───彼女の意識を、別の物に逸らすこと。
そして、彼女が最も注意を引くものを、俺はもう知っている。
俺は【獣人化】を起動すると、素早くチェリスに撃墜された常世刃を回収。すかさず【妖人化】を起動。武器の形を弓へと変えて、何本もの魔法の弓矢を魔族二人に射出する。
チェリスの魔法に矢が撃ち落とされている間に、常世刃の形を短剣に変形。《電光石火》を起動して、暁に向けて駆け出した。
「───っ」
「止まりなさい!」
頭への負担が大きくなり、意識がブレ始める。
その隙を突き複数の魔弾が飛んでくるが、《電光石火》の出力に緩急をつけることで回避。止まることなく、暁を狙って短剣を再び投げた。
「来ないで」
しかし、短剣は暁の目の前で静止し、からんと音を響かせて地面に落ちる。
それを確認してから、俺は《雷の槍》を手に取り───くるりと回転し、チェリスに向けて投擲。
同時に【獣人化】を起動して、全速力でチェリスに向かってジャンプした。
ちょうど、《雷の槍》を対処した瞬間に攻撃出来るよう調整した、渾身の拳。
後方で戦っていた彼女は、俺の予想通り近接戦が得意では無かったらしい。ヴァリオなら間一髪で凌げたであろう一撃は彼女の鳩尾に吸い込まれるように直撃し、彼女の意識を飛ばした。
「……二人目、終わり」
小さくそう呟いて、残った魔族を真っ直ぐ見据える。
案の定暁は俺が投擲した短剣を拾い、両手でしっかりと握っていた。
「……」
「……」
数秒間見つめ合う。
あちらの思惑は知っている。だから、あちらから攻めてくることは無いと分かっている。
……簡単なことだったのだ。
俺が彼女を殺そうと思えなかったのは、青原遊夢という人間が、彼女を戦う人間だと認識出来なかったから。王都の人々を殺そうとしないように、殺人までは好まない犯罪集団を生け捕りにしようとするように。
俺は、彼女を生かしたまま倒そうとしたのである。
「そっちの思惑は分かってるつもりだ、暁。武器を渡して降参してくれ」
「………」
気を抜いた瞬間、視界が歪む。立ちくらみ、だろうか。
…なんでもないこと。気のせいだろう。
気を取り直して、彼女を見据える。暁は、俺に心配するような視線を向けてきていた。
どうやら、立ちくらみは気のせいではなかったばかりか、表に伝わる形で出てしまっていたらしい。
「暁」
「嫌だよ。これ以上、遊夢君を戦わせるわけにはいかないから」
まるで、無茶をした仲間に向ける言葉。それを何の躊躇いもなく、敵である俺に彼女は告げる。
本当に。……本当に、嘘も打算も見受けられない。
「じゃあ、俺を殺すのか?でないと俺は止められないぞ」
「…それもしないよ。遊夢君には、全部終わるまでここに立ち止まって貰う」
「……だったら、俺がお前を倒す」
腰を落とし、拳を構える。
そして、勢い良く飛び出して───。
「来ないで!」
急速に膨らむ壁により、吹き飛ばされた。だが、その程度は想定済み。空中で体勢を整え、再び前へ進もうとして。
……何も出来ずに、地に伏した。
「………あれ」
異変を察知する。手足が動かない、感覚がない。
部位欠損している訳ではない。確かに俺は五体満足で、致命傷なんかも負っていない。
ならば、どうして。
いつの間にか沸騰しそうになっていた頭で思考して、答えが出た。
ただ、それは思考の末の結論ではなく───。
「───眠い」
頭が、思考を放棄し眠りに落ちる直前の状態であることを悟る。
度重なる《電光石火》の使用、【廃人化】による高速思考。その結果、頭の疲労状態がピークに達したのだろう。
いつもの俺であれば【狂人化】を使い、疲労した頭を回復させた。
しかし、今はそんなことにすら頭が回らない。
「……」
遠くで足音が聞こえる。いや、近付いているのだろうが、距離感はほとんど分からない。
眠さが、何もかもを白く塗り潰していく。
使命も、願望も、個人も、世界も。
今この瞬間だけは、何もかもを忘れて眠ってしまいたいと。
「───く」
手に力を込める。地面に爪を立て、生爪を剥がして意識を引き戻そうとしたのだ。
……だが、それすらも叶わない。地面に着いていた俺の手は、柔らかい誰かの両手にそっと包まれる。そして、子供をあやすような優しい声で、
「……大丈夫、ゆっくり休んで。遊夢君」
耳に辛うじて入ったその言葉を最後に、俺の意識はプツリと。まるで糸が千切れるように呆気無く途切れた。
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勝者を定める扉が、部屋の中央に現れる。
決戦場が選んだ勝者は、魔族の三人。
ヴァリオとチェリスを並んで寝かせた真理は、遊夢の側に座っていた。
敵意も悪意も無い。あるのはただ純粋な──恋焦がれている愛情と、己を蝕む罪悪感のみ。
「大丈夫だよ、遊夢君」
自分がこんなことをするのは間違っている。それは誰よりも彼女自身が思っていて、おそらくは正しい葛藤だ。
それでも、そうせざるを得なかった。そうでもしなければ、遊夢はかの邪神に立ち向かうという確信があったから。
「……世界は壊れるんじゃない。魔族のモノになるんだよ。だから、貴方は絶対に、殺させない。全部終わった後に、自由にしてあげるから」
「私を恨んで。私を憎んで。出来ることなら───私を、殺して」
どこか狂っている普通の少女は、誰にも聞こえない願望を口にする。
それが叶えられる日は来ないのだと、薄々理解しておきながら。




