104話 前哨戦・開幕
『困ったなぁ。本当なら城で迎え撃つつもりだったんだけど』
辺りを見回して、邪神はへらへら笑いながらそう呟く。本当に困っているのか、それとも呆れているだけか。笑みを浮かべる邪神の顔には、僅かに困惑の色が伺えた。
どうやら、困ったという発言自体は嘘ではないらしい。尤も、それを気にしてやるつもりも義理もないのだが。
『……あー。混戦になったら不味いよなぁ』
「エストレアは回復に時間がかかるし、近接で倒すには数が多い。多分、質も」
遊夢の中の冷静な部分は、この状況を良くないものと判断した。
今彼が感知出来る魔族の数は、全員で十人。いつしか戦った【回復封じ】の魔族ほどの圧力は感じないものの、それでも厄介な敵であることに代わりはない。
そして何より厄介なのは、本来なら玉座にいたであろう邪神を、この地面まで引きずり出してしまったこと。
あの神が傍観しているか、それとも積極的に戦闘に参加してくるか。それだけでも、遊夢たちの命は死に近づき、または遠ざかる。
『やっぱり読むならイレギュラーの思考だね。この状況でも、ただ集中してるだけじゃない』
「……ちっ。おまけにこっちの考えはお見通しかよ」
邪神は目を細めて、遊夢たちの戦力を観察する。
先程の砲撃で一番の警戒対象になったエストレアは、疲労状態。【狂人化】が厄介な遊夢も、彼一人に注意すれば撃破は不可能ではない。
アグニ、ユートは普通に戦って倒すことは可能であるし、ヒーラーであるセティは警戒に値しない。
少なくとも、今自分がここで動けば、相手の排除自体は簡単だ。それが終われば、今度は世界を手中に収めるまで。
それで、邪神に課せられた世界の『運命』は満たされる───満たされる、が。
『ねぇ、君たちは戦いたいかい?』
振り返って、邪神は魔族たちに問いかける。
血気盛んな大男、強気で小柄な少女、痩せ気味の男、顔色の悪い青年、眼鏡を掛けた可憐な女性、細身ながらもしっかりとした筋肉を持つ少年、コートに身を包んでいる魔族、ただ勇者たちを睨んでいる魔族、邪神の言葉を待っていた魔族。
そして、遊夢との因縁を持つ、この世界では見慣れぬ服に身を包む少女。
彼らの全員が、口々に語る。性格が一致しない彼らの、数少ない共通点。
「「「はい」」」
一つ、邪神への恩義や忠誠心の存在。
二つ、極一部の例外を除き、好戦的であること。
二つの要素が合わさったのなら、彼らがこのような返事をすることは自明の理。自分の期待通りの意気込みを見せてくれたことを嬉しく思いながらも、邪神はため息を吐いた。
『言っておくけど、このまま俺が出れば負けることはないよ?』
「それじゃあつまんねぇでしょう!邪神様は!」
一番乗り気である大男が、真っ先にそう返事をした。
ある者はそれに賛同するように……またある者は、その好戦的過ぎる考えに憤りを覚えながらも、行動自体は変わらなかった。
この衝突を予測していて、覚悟も出来ていたのだろう。元は遊夢と同じ世界の出身で、戦いを好まない真理でさえも、静かに前──遊夢たちを敵として見据えている。
「我が神よ、如何いたしますか?」
誰よりも邪神に近付いたヘルピンは、敵が居ることなど構わずに膝を着き、邪神へ頭を垂れる。
彼、あるいは彼女も、自分の意志で戦いたがっていることを、邪神は感じ取った。
『……ま、いっか』
そこまでして戦いたいのなら、止めはしない。
もっと言うのなら、結果が分かりきった上で戦うこともツマラナイ。そんな戦い方は魔族を統べる神として相応しくない。
自身を縛る『運命』に逆らわない。けれど、最大限愉しめるように、邪神は行動する。
それは魔を統べる神としての、一欠片の矜持と呼べるものだ。
『それじゃあ任せようか。俺は高みの見物でもしてるから、頑張ってね』
十人の部下に等しく告げて、邪神は一度、勇者たちの方へ振り返った。
『命拾いしたね。もしかすると、勝てるかもしれないよ?』
「勝たせる気なんて無い癖に、よく言う」
ニヤつきながら告げる邪神の表情は、リエイトの含みある笑みと酷似していた。それを快く思わない遊夢は、悪態を吐きながら手首を前へ振った。
言うまでもなく、“あっちへ行け”という意志の表れである。
それを素直に受け取った邪神は最後に笑って、魔族たちの後方へ──戦線から離れていった。
邪神が遠くに離れたのを確認してから、魔族の一人……ヘルピンが、冷たい声でエストレアに話しかける。軽蔑の色を隠そうともしていないのか。冷たいのは声だけではなく、視線に気配も同様だ。
「城を壊したのは貴様だな?」
「ええ、そうよ。案外脆かったわね、アンタたちのお城は」
絶対零度の態度を感じながら、それでもエストレアは自然体で受け答えする。依然体は重いものの、敵地で弱音を吐けるはずもない。敵からの明らかな殺意に晒されているのなら尚更だ。
「そうか。それは失礼した。何せ城を壊してしまう程野蛮な客だとは思わなかったからな」
エストレアからの返答を嫌味で返して、ヘルピンは臨戦態勢に入る。
「へぇ、珍しいこともあるもんだ!あのヘルピンが率先して戦いに行くとは!」
大男がそう叫んだのを合図とし、魔族たちはそれぞれの目標を定めた。元々、誰が誰を相手取るかは決めていたのだろう。
移動ことはしていないものの、十人の魔族は全員、その瞳に一人の人間のみを映し出していた。
『……うん、決まったみたいだね』
遥か後方から、邪神の声が辺り一帯に木霊する。
それに気を取られ、目前の敵を見失う者は誰も居なかった。しかし、そこに秘められた感情に違いはあれど、ここに居る全員が邪神の一言一句に注意して聞き入っていた。
『それじゃ、暫し仲間とは別れて貰うよ。もしかしたら……今生の別れになるかもしれないけどね』
瞬間、勇者たちと魔族たちの間に一つの石が投げ込まれた。
それが何か察する前に、全員の視界が白く染まった。
閃光玉。今投げ込まれた石が例外なく視界を奪うものであることを認識した時には、既に事は終わっていた。
視界が戻った時、彼らの目に入ったのは、日干しレンガのようなもので作られた10m程の廊下。果てには石で出来た扉があり、自身の周りには誰もいない。
隣に居た仲間も、目の前に居た敵も、自分たちを移動させた張本人も。
「これ、は………」
誰かが、小さくそう呟いた。仲間と分断された焦り、超常的な出来事に対する混乱、予想外のハプニングへの歓喜。
様々な思いが散らばる中、どこからか声が響いてきた。それは今さっきまで聞いていた、明るく陽気な少年の声。
『即席だけど、城を作らせて貰ったよ。その通路の先に、決闘場がある。君たちには、そこで戦って貰うよ。勝利条件は、敵の気絶か死亡、或いは戦意喪失だ。その条件を満たした時に、俺の居る場所への道が開かれる』
邪神の言うことを、人間と魔族たちは直ぐに飲み込んだ。
どうやって城を作ったのか、どうして城を作ったのか。そんなものは聞くだけ無駄で、無礼極まりなくて。故に聞く必要はがない。
だから、今の話で必要だったのは確かなルール。
殺し合いをして勝てばいいという、至極単純な、一つの法則だった。
『ああ、壁を壊そうとしても無駄だよ。それはわざわざ俺が反則まで使って作った城だ。当然のように壊せないことになってる。壊せるなら壊してもいいけど……貴重な手札を消費するのはオススメしないし、第一同じ建物じゃないから、仲間の応援に行くのはかなり骨が折れるよ』
城を作る能力、他人を瞬間移動させる【スキル】を持ち合わせていなかった邪神は、残り二回の反則を一回使い、それを無理やり可能とした。
本来なら愚策極まりない行為であるが、演出に力を入れたい邪神にとっては当然の一手だ。
『それじゃ、頑張ってね。勇者たちと魔族たち。俺を殺しに来るも加勢に来るも君たちの自由だ』
そうして、邪神は宣言する。
笑いながら勇者を煽り、これまた笑いながら魔族を激励した。
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歩くこと約十秒。
戦いへの緊張感、高揚感を感じながら。極一部の者は絶望しながら、十五の戦士は扉の前に立った。
「……いくぞ」
石の扉を横にズラすと、見た目より軽い感触と共に開き、眩い光が廊下に差し込む。
扉を完全に開け放つと、邪神が用意したという決戦場が彼らの目に入った。
全部で五つあるその間は、そのどれもが全く同じもの。
半径30m程の円形に広がる広大な、固められた砂の足場に、10mもの高さでそびえ立つレンガの壁。
本来ならば天井があるべき場所からは、穏やかな日差しが差し込んできていた。
「──────」
広間の中心に、半径3メートル程の黒い円がある。遠くから見た限りだと砂で出来ているらしいその床の向こうに、自身の対戦相手が立っていた。
遊夢とユートの前には三人。エストレアの前には二人、アグニ、セティの前には一人。
───計、10人。
それだけの数の魔族が、確かな敵意や決意を持って勇者たちの前に立ちはだかっていた。




