作戦順調
「マリウス、招集だ。行くぞ」
放課後、教室のドアからそう呼びかけユリエルはさっさと歩いて行く。横柄な態度に見えなくもないが、離れた教室からここまでわざわざ呼びかけてくれるのだから、彼の優しさは昔から変わっていない。置いて行かれる前に、マリウスは学院指定の革製の焦げ茶のバックを背負い教室を出た。ユリエルに追いつくと、肩を並べて歩き出す。出会った頃は少し合った身長差も、今ではほとんどない。
まだ肌寒い季節だが春の気配も感じる陽気が続いているせいか、セーターだけの生徒やブレザーを着用している生徒、防寒仕様になっているローブを着用している生徒など、様々な服装の生徒とすれ違う。その誰もが自分達に視線をやり、たまにひそひそと顔を赤らめながら噂話をする。そんな光景ももう慣れたものだ。マリウスは少し伸びた襟足を指で払いながらそれを横目に見た。
ユリエルはそこに居るだけで話題の中心になる。ブラウニング中将の嫡男で、実技筆記ともにトップとなればそれだけで注目を集める。さらにそれに加えてこの容姿。出会った頃から整った容姿だと思ってはいたが、成長とともにますます磨きがかかり、ウィルの一件から覚悟も加わって人の上に立つ者としての雰囲気というのも出てきた。艶やかな紫がかった黒髪をなびかせ、鋭さを増したグレーの瞳で周囲を萎縮させる。この年齢でそんな王の様な風格さえ漂い始めた友人に、マリウスはひっそりと苦笑した。
「二年生に進級するにあたって、最後の意思確認をしたいんだそうだ。発表は入学式だから勿論それまで他言無用に、だとさ」
そんな人々の視線など気にもかけていないように、ユリエルは呟く。つまらなさそうにしているこの男の頭の中では、もうそれより先の未来が描かれている。それを知っている者はごく数人だ。生徒会への内定は彼の中で小さな通過点でしかない。
「ウィルは高等部からの入学になったらしいな。まあ、懸命な判断だ」
「そうですね、学院の警備の補強の件は実行までもう少し時間がかかってしまいそうですから」
「ウィルの為に警備まで強化してしまうんだから、大佐も大概だな」
くすっと笑うユリエルに、確かに、と声には出せない同意を返した。
生徒会室は教室のある校舎とはまた別の建物にある。他にも部室等や図書室、自習室、職員室なども別の建物にあり、全て教室棟から移動できるようになっている。特別戦闘訓練生は別に校舎があるためこちらの生徒との交流は授業くらいだ。校舎から別の校舎への移動には通行許可証が必要になる。生徒会の候補生として許可証の指輪を持っている二人は、生徒会室へと続く扉を開いた。
「やあ、二人とも。さあ座って座って」
生徒会長の、いや、元生徒会長のアージュ・コンティーニがソファーに座ったのを見て二人も向かいのソファーに腰掛けた。三人がけのゆったりとした赤茶色の皮の二脚のソファーは、代々使われてきた物なのだろうと一目で分かるくらいに年期が入っており、しかし大事に使われてきたのだろうとも分かるくらいに美しく年を重ねている。この生徒会室は役員になると与えられるそれぞれの机が四つ。それと候補生用の長机が二つあるだけだ。部屋の真ん中に二脚のソファーとローテーブル。それを囲うように四つの机、長机は左右にひとつずつ配置されている。それぞれがそれなりの大きさだが、それらを余裕を持って配置しても部屋はまだ有り余るくらいに広い。これだけでも十分優遇されていると分かるのに、高等部になれば仮眠室や給湯室、会議室まで別に用意されていて、しかも、それらが全て歴代の生徒会の役員達が作ってきたものだというのだから、この学院に置ける生徒会の権力がいかに大きいのかを知ることができるだろう。
「さて、二人の返事を聞かせてもらおうかな」
前髪を真ん中で分けたオリーブ色のショートヘアーを耳にかけながら、脚を組んでゆったりと座る元会長にユリエルのような威圧感は感じないが、この人も上流貴族の出であり、初等部からの所謂エリートだ。ただ、研究者気質のようで軍には入らず学院で教師を目指すと公言している変わり者で、何者にも肩入れせず中立の立場から物事を判断して行く姿が支持され、この代の会長になった。
この学院の生徒会の人数に決まりはない。一年次に候補生を集めそこから生徒会業務を手伝い、先輩の役員がさらに候補生をふるいにかけていく。各学年最大でも四人、最低でも一人。毎年二十人近い候補生が集められ、ほとんどが脱落して行く。アージュの代は彼ひとりである。その彼が卒業してしまうので、今回彼の最後の仕事である生徒会の任命のために呼び出されたのである。
「勿論、お受けします」
「私もお受け致します」
そう二人が言うと、アージュはにこりと笑った。
「そう言ってくれると思ってたよ。僕はもう卒業だけど、先輩達と仲良くやるんだよ」
「はい」
「勿論です」
「ふふ、でも今年は四人も役員になるなんて、豊作だね」
「じゃあ、レヴァンもメディも…」
「うん、後の二人も快く引き受けてくれたよ」
今年は四人。ここ数年は二人ずつ選ばれていたので多い方だろう。
「高等部に上がれば、中等部以上に責任のある仕事が任されるようになる。せいぜい今のうちにいろいろ失敗しとくんだね」
そう言って笑った元会長の顔は、可愛らしくも悪魔のようだ、と二人は思った。
書類にサインし、生徒会室を後にしたユリエルとマリウスは寮に通じるドアを目指して廊下を歩いていた。
「さ、正式に生徒会役員になったことだし、次の目的地に向かうぞ」
「生徒会内定は他言無用のはずでは?」
「どうせみんな知っていることだ。入学式までに返事を貰うなら今から交渉に入った方が良いだろう」
「そうですね、まったく貴方の行動力には感心しますよ」
「これでもゆっくり生きている方だ。周りに合わせてな」
そう言いながらユリエルは寮の扉ではなく、外に出る扉に手をかけた。
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