契約と精霊
俺がいつも体術や魔法の訓練で使用している練習場は地下にある。地下と行っても地下に続く扉が練習場と繋がっているということで、実際にこの練習場が屋敷の下に作られている訳ではない。
俺とテオとランスロットで練習場にやってきた。床には少し柔らかいシートが敷かれており、裸足で踏むと気持ちいい。天井も高く、床以外は白いので実際の広さ以上に広く見える。
「さて、じゃあ説明します。普通精霊は人の目には映らない。精霊使いのように、力の弱い精霊や人間を警戒してる精霊までを見ることは不可能です。しかし、精霊の中でも力のある者は自らの意思で人間の前に姿を現すことができる。ここまでは知っていますか」
「はい。ただ精霊と人間にも相性があって、全員が姿を見られるようになる訳ではないんですよね?」
「そうです、よく勉強していますね。今回説明する精霊の授業とはその相性を見る授業なんです。その為に行われるのが、精霊との契約になります」
「本で読んだことがあります。それも学院で教えてくれるんですね」
「ええ、精霊と契約できる者は絶対的に少ないので、国を挙げての支援の一環です。それでも契約できる生徒は極々わずかですが…。そのため、精霊と契約できた生徒のほとんどは私のように研究者になるか、軍に入り特別部隊に入るかの二パターンに大きく分かれます。精霊使いのように多くの精霊の力を使える訳では無いですし、精霊の意思に反することは聞いてもらえませんので、契約と行っても主従関係のようなものではなく力を貸してもらえる関係を結ぶ、という言い方が正しいですね。信頼関係の築き方によって精霊から与えられる力の大きさも変わってきますから、家族と行っても差し支えありません。そのため、精霊に愛情注ぐ方が多いですね」
「不思議ですね、精霊に気に入られる人間に共通の特徴とかあるんでしょうか?精霊にとって契約に何かメリットはあるんでしょうか?」
「共通点は未だにわかっていません。私も調べているんですが、どうにもバラバラで困ってしまいます…精霊側のメリットもまだ解明されていませんし…精霊側の事情がもう少し詳しくわかれば、共通点もわかると思うんですがね…」
「テオはそうやって研究にのめり込んでいったんですね」
手を口に当てて考え込むテオを見て、ふふっと俺が小さく笑うと彼はハッとしたように顔を上げて顔を赤くした。
「申し訳ありません…昔からひとつのことに集中すると止まらなくなる性質で…お恥ずかしい…」
「いいえ、研究者には必要な素質だと思います。テオならその謎を解いてくれる気がします」
「ありがとうございます…!それでは、ここからが本題です。その精霊の授業を今日行いたいと思います。まずは私が契約した精霊をお見せしますね」
コホン、と照れ隠しに咳払いをするとテオが精霊に呼びかけた。
「おいで、セシリア」
そう言うと、俺たちの目の前に美しい一羽の鳥が現れた。純白の羽が七色に光って、羽の先や胴体から尾にかけて薄く緑に輝いているのがとても神秘的だった。長い尾を揺らし空中に静止している姿は、強いて言えばクジャクに似ていて、とても優雅だった。
「きれい…」
『ありがとうございます。お会いできて嬉しいです、ウィリアム様』
「僕も会えて嬉しいよ、セシリア」
「…やはり精霊使いの方は精霊の声が聞こえるのですね…羨ましい限りです…契約を結んだ精霊は他の者にも見えるようになりますが、言葉だけは契約者でも聞こえないのが残念です…」
僕たちのやり取りを見ていたテオが羨ましげにこちらを向いていた。
「精霊と契約できる方でも、精霊の声までは聞こえないんですね…」
「ええ、だからこそ精霊使いは貴重とされるんです。精霊と言葉で意思疎通できるのも、契約外の精霊が自ら手を貸すのも、精霊使いと呼ばれる方々だけですから」
「そう言えばセシリアの名前を呼んでここに呼びましたが、いつも一緒という訳ではないのですか?」
「それも精霊の性格によりますね、セシリアは風の精霊なので自由にさせています。研究室にひきこもりがちの私に付き合っていたら、せシリアが飛び方を忘れてしまいそうでしたから」
『テオドールはもう少し外に出た方が良いと思いますけどね』
ため息をつきながらいうセシリアがおかしくて、耐えきれずに笑ってしまった。テオは不思議そうな顔をしてセシリアを見たが、セシリアは何食わぬ顔で佇んでいた。
「お話の内容をお聞きしたいところですが、早速精霊の儀式をしたいと思います」
「精霊使いでも契約するものなのですか?特別研究室の方々で契約している人は居ないようですが」
「そうですね…魔法学院の生徒でもなければ、精霊使いで契約する方は稀でしょうね。契約せずとも精霊が力を貸してくれるので。確かリヴィエ大尉は契約していたと思いますよ。他の方々はこの国の出身ではないとお聞きしましたので、契約はしてないのかもしれません」
「そういうものなんですね…」
ノエルの精霊はどんな子なんだろう…少し気になる。この屋敷に住んでかなり経つが、彼の精霊は見たことがない。魔法の訓練の時も精霊は居なかった。彼に似て控えめな精霊なのだろうか。
「では儀式を始めましょうか、といっても特に特別なことをする訳ではないですから、緊張なさらなくても大丈夫ですよ」
そう言って、テオは小さい本を取り出した。文庫本より少し大きいくらいのサイズで、ペールグリーンのしっかりとした表紙の分厚い本だ。紺色で植物のツタのような美しい模様が全面に描かれている。
「それを使うのですか?」
「そうですよ。この本はその昔、精霊自身が記したとされる文献のひとつです。精霊が作ったものや使用していたものは、一種の魔法具として管理されています。私が持っているこの本はそのひとつで、学院の研究者になったときに貰い受けたものです。これを媒介にして精霊達に呼びかけるだけで、精霊は応えてくれます」
精霊がまだ人間と共存していた頃、全ての人間に精霊が見えていた頃の時代の道具の数々は国や専門の機関が保管している。国は否定しているが魔法学院は宝物庫を持っており、国の保有する貴重な魔法具の数々がどこかに隠されているというのは有名な話だ。
精霊と人間が共存していた時代、今では考えられないが近年の調査で確かにその形跡が見られる魔法具が発見されている。何が原因で人間と精霊が分かれてしまったのか、それはまだわかっていない。しかし、精霊達がある時から人間と離れ始め、徐々にその姿を消していった。
精霊と人間がお互いを尊重し、言葉を交わし、両方の生活を豊かにしていた時代。本当にそんな時代があったのだろうか。確かに発見された魔法具や形跡は、そんな夢のような時代があったのだと物語っている。しかし今の人間に精霊は見えず、声も聞こえない。俺の周りに居る精霊達はとても友好的で、いつも力を貸してくれる。俺たちのような関係が普通だった時代があったのなら、今より人間の心は豊かになっていたのだろうか、そんなことを考えてしまうくらい精霊は優しく、聡明だ。そんな彼らと俺たち人間の関係性を変えてしまったものが何だったのか、現在はその解明に多くの研究者達がのめり込んでいる。
「精霊が見えないものにとってこのような魔法具はとても重要なものですが、精霊使いにとってはそれほど意味を持ちません。通常の状態でも精霊が力を貸してくれる、謂わば常に契約している状態の精霊使いにとっては…そうですね、特別な絆を結ぶ、家族のような存在を探しているんだと呼びかけるようなものですかね」
「それって、僕達にとって何か意味があるんですか?」
「私は精霊使いではないのではっきりとは断言できませんが、特別な絆が生まれることでお互いの気持ちをより深く敏感に感じ取れるようになるそうです。家族以上の繋がりでお互いを助け合うことのできる、唯一無二の存在ができる…という方の話を聞いたことがあります。人間に対して不信感を抱く精霊使いの方が多いので、何でもわかってくれる、絶対に裏切らない精霊の存在は大きいかもしれません」
「そっか…」
その話を聞くと契約してみたいと思ってきた。その精霊になら、俺が転生してきた人間だって相談できるかもしれない。
「では、契約を初めましょうか」
「お願いします」