優しすぎる茶色
もう今や使われていない廃墟の中で、何回も何回も鈍く激しい音が響き渡っていた。
歯を食いしばり、ひたすらこの衝撃が止むのを待つ。
俺は今、大人たち五人に殴られていた。中学生に対してこの仕打ちは、なんとも卑怯であるかとも思うが、大人たち五人は何も気にしていない。ただ目の前の俺をボコせる、ということだけに嬉々としている。
俺はこの辺りで多少〝悪さ〟をしていて、いろいろなところに少しだけ目をつけられている。特にこういう下っ端の下っ端辺りには、たくさんいろいろなことをやらかしてきた。
文句は言わないが―――・・
一人ずつなら勝てるのに、と俺は殴られながら舌打ちをする。
「やれやれ、噂の中坊はこんなもんかよ」
大人の内一人が呆れてみせた。
コノヤロウ、それが五人で一人をボコしてる奴の言葉かよ。とは言わずに、俺はこの仕打ちが終わるのをとりあえず待った。
「だなぁ、口ほどにもねぇや」
「弱過ぎて、あっけねぇな」
口々にそんなことを言いながら、げらげらと下品な笑い声をあげて去っていった。俺は仰向けにごろりと寝転がる。廃墟なだけあって、コンクリートの破片が転がっていて、背中に刺さって痛い。
口の中を切って血の味がする。
「あーあ」
俺はまた、裏切られたんだな。
*
「兄貴」
「よう、唯。元気にしてるか?」
「馬鹿兄貴。入院してる弟が、元気にしてると思ってる?」
ここはある病室、俺の弟が入院している部屋だ。
弟は相変わらずの落ち着きぶりで、俺の言葉に突っ込みを入れる。確かに元気なわけはないのだけど、そこを突っ込んだら俺が馬鹿丸出しじゃねェか。
唯は昔から病気だ。とても重い病気で、まだ抗体が見つかっていない。つまり、唯が助かる方法もまだ見つかっていない。唯はそれでも、あまり絶望はしていないようだった。
我が弟ながら、図太い神経だ。これで小学生なのだから、驚いてしまう。
まだ、小学生なのに。
この病気が、俺にかかってくれたらよかったのに。
喧嘩しか能がねェ俺より、唯の方がまだまだ可能性があるんだ。なのに何で、俺はこんなに元気で、唯はこんなに痩せているんだ。
「兄貴、また喧嘩したの?」
「・・・・・・おう」
少し後ろめたくなってそっぽを向けば、唯が俺の襟元を掴んでぐいっと引っ張った。おかげで俺は見たくなかった弟の顔を見てしまい、視線の行き場をなくしてしまいには下を向く。
喧嘩で有名なこの俺が、弟には頭が上がらないなんて笑いものだ。
弟はじっと俺の目を見つめると、ふぅ、と呆れたようにため息をついた。
「兄貴はさ、優しすぎるんだよ」
「あ?」
「一度、裏切った奴だったんでしょ?」
俺があんなに殴られるハメになってしまったのは、一人の後輩のせいだった。そいつは俺と同じ問題児であったが、同時に俺と仲のいい後輩でもあった。その後輩は以前も俺をどこかに呼び出して大勢で俺をボコした。だけどそのあと、何回も謝って――・・そいつも誰かに命令されたのだと聞かされ、俺はそいつを許してしまった。
それなのに、今日の仕打ち。
俺は馬鹿なのだ、こんなになるまで裏切られたことに気付かないくらい、どうしようもない馬鹿なのだ。
「・・・でもま、これであいつのことはわかった」
「・・・」
「あいつはああいう奴だった。それでいい」
俺はそっと唯の手を離し、くるりと踵を返した。
「心配かけて悪いな、また明日来るわ」
「うん」
手をひらひらと振れば、唯もまた何か言いたげな口を閉じて、ひらひらと手を振った。
*
「乱闘?」
脳裏に浮かんだのは、映像は掠れて、雑音が入って、頭の奥底に放り込まれてた記憶。今付き合っている彼女と、初めて出会ったときの記憶だ。
「っていうか、喧嘩?さっきね、噂の美人が女子トイレで数人ボコったらしいよ。まったく・・・末恐ろしいねぇ」
「噂の美人て誰だ、勝手な代名詞作んな馬鹿」
「確か名前は―――・・サチ?」
「あ?」
「とにかくその子が、女子たちを殴ったらしい。何があったんだか」
友達が呆れたように笑うのを横目に、俺は衝動的に走りだした。友達が後ろから「あ、おいッ」と俺を呼ぶ声を聞きながら。
「―――・・しわけ・・ませ・・・た」
職員室の手前、俺は壁に身を預けながらその光景を覗いた。よく聞こえないが、恐らくサチという生徒の両親だろう。絆創膏だらけの女子生徒の両側で、先生に頭を下げている。
そして話し終えると、両親はサチの手を引いて帰ろうとした。
「ごめん、先帰ってて」
サチはその手に引かれて帰るわけでもなく、ニコリと笑って両親に言った。両親は何か言いたげだったが、頷いて「早く帰ってきなさい」と微笑んだ。
優しい両親だ。
子供を咎めることをせず、悲しそうな顔はするものの子供への愛が見える。両親は本当にサチという子供を愛しているのだろう。彼女は両親の愛をいっぱいにもらったはず、なのに何故こんな事件を起こしたのか。
両親が見えなくなるや否や、サチはスッと笑顔を消して座り込んだ。
「・・・」
黙り込んで、うずくまる様にして縮こまるサチに、俺は声をかけようと立ち上がった。すると、それと同時にサチはスッと立ち上がった。
泣きそうな顔だった。
ただただ、涙をこらえて歯を食いしばり、目を伏せていた。
俺は咄嗟に壁に身を隠し、サチの様子を窺った。
サチは暫く目を強引にごしごしこすったり、出かかった声を一生懸命呑みこんだりしてから、「よし」と声を張った。
パチンッ
両手で両頬を強く叩き、それから笑った。張り付けたような、〝嘘〟の笑顔。頬は赤くなり、痛々しかった。
俺は、力が抜けて座り込んでしまった。
彼女が、本当の嘘つきになった瞬間だった―――・・
それから数年後、高校に入ったものの留年してしまい、やる気をなくしてしまった俺は屋上で昼寝をしていた。そこで、いつだったか俺が一方的に見ていた幸に出会った。
向こうは俺を知らない、でも俺は向こうを知っていた。
居眠りから覚め、夢から戻ってきた。そして、瞼を持ち上げて、そのとき視界の中に幸がいたときは、息が詰まった。
でも俺は心を見透かされないように、落ち着きを払って幸を見つめた。
幸は、泣いた。
その泣き顔は、不謹慎だとは思ったけれども―――・・とても、美しかった。
「―――・・私と付き合って」
何故にそんなに上から目線、そして何故ナイフをこっちに向けている。あれ、これって交際の申し込みだよな、なんて思いながら俺はナイフを刃先を見つめる。
キランと輝く刃先を見つめて、返答次第じゃ死ぬんじゃね?と思う。
「えーと、幸?お前、それ・・・あれだよな。所謂、女子と男子の交際の・・・申し込み、だよな。どこか買い物に付き合って、とかじゃない・・・よな?」
それならそれでショックである。
「当たり前じゃない。女子と男子の交際よ、この光景どう考えたら買い物に見えるの?」
「確かに買い物には見えないが、かと言って告白にも見えねェ」
脅迫だろ、半ば。なんて言う言葉は、幸の耳には届かない。
「ねぇ、どっち?〝はい〟と〝Yes〟選んで?」
「どこのガキ大将だよ、お前」
そうは言いながらも、俺は少しばかり嬉しかったりする。そんな俺の表情を見つめ、幸は少し眉を潜める。
「どっち?」
「急かすなって」
俺はポンポンと幸の頭を撫でると、「はいはい、よろしくな」と笑い、ひょいっと幸のナイフを手から抜き取った。作戦成功、これで凶器はなくなった。
そう油断して、ナイフをくるりと手の上で回すと、その瞬間に腹に衝撃が走った。幸の膝が、めり込んでいるのが見えたのだ。
「そう、よろしくね」
前言撤回、こいつは全身凶器だった。
付き合い始めてから数日後、学校の帰り道。俺は隣で黙々と歩いている幸を横目に、眺めていた。すらっとした体型に、綺麗な横顔。少し眠そうでいて、気の強そうな目元。ゆらゆら揺れるのは、彼女の後頭部で結った一本の尻尾のようなこげ茶色の髪。
彼女は誰が見ても綺麗だと言うような、美しい人間だった。
中学の頃に、乱闘を起こした彼女。美人で有名だったから、尚更話題になった。
「何よ」
なんて言いながら、俺を睨みつける幸。鋭い視線に、俺は思わず目を逸らす。
すると、それが気に食わなかったのか、ぐぐぐ、と耳を強く引っ張るものだから、俺は焦って「ごめんごめんごめん・・・」と連呼した。
「何よ」
再び繰り返す彼女、答えが気になるみたいだ。
俺が最初に会ったとき、こいつは優等生だった。誰が見ても、非の打ちどころがない。
勉強はできる、授業中居眠りはしない、運動神経抜群、よく働く、笑顔を絶やさない、人当たりがいい、そして美人。
中学の時の乱闘は、そんな彼女の人気に嫉妬した女子生徒が、彼女に何か変なことを言ったと聞いた。まぁ、そんなことしたらいくら幸だって怒るだろうな。特に、こんな性格だし、と俺は幸の顔を見た。
実際の幸は、噂で聞いたそれらの情報が間違いだらけだと知った。
確かに勉強はできるし、運動神経もいい。だがそれは、彼女が努力したからであって不動の天才では断じてなかったのだ。ふたを開けてみれば、笑顔を絶やさなくても心の中では悪態をついているし、人当たりが良くても皆を見下しているし。
つまり、性格が悪いのだ。
そんな彼女を嘘つきにしたのは、紛れもない、周りであった。
そう、自分も含めて。
「―――・・昔々、あるところに」
俺はふっと口を開いた。
「小さな男の子がいました」
「何いきなり」
訝しげな表情を浮かべる幸に、「いいからいいから」と続ける俺。
*
昔々、あるところに、小さな男の子がいました。男の子はごく普通の、やんちゃな子でした。外で遊ぶのが大好きで、走り回ったり、騒いだりしました。
ある日、男の子に弟ができました。
生まれたての、小さくて軽い弟を抱いて、男の子は笑いました。
二年ちょっと経ち、弟が病気だと判明しました。
しかも、もう治らないのだとか。
男の子は弟の姿を見ました。ベッドに横たわっている弟の肌は、青白かったのです。いよいよ弟は、本当に病気なんだと実感しました。
それからまた幾度となく時が過ぎて、男の子は弟を見ました。
ガリガリに痩せて、力を入れたら折れてしまいそうな手首。栄養失調なのか、弱々しい顔。寝たきりで筋肉がない脚。身長も、伸びない。
「兄ちゃん」
四歳の弟が言いました。
「兄ちゃん、外で遊んできなよ」
これがたった四歳の言葉だろうか。と、男の子は顔を歪めました。
弟の気を使うような言葉に、男の子は泣きたくなりました。
男の子は、外で遊ぶのが好きでした。走り回るのが好きでした。騒ぐのが好きでした。
でも、弟は外に出ません。何もできずに、ベッドにいます。病室から、外で遊ぶ男の子を見たら、なんて思うのだろうか。そう考えると、男の子は到底遊びに行けません。
「嫌だ」
弟がもし、外を走り回って遊んでいるのに。自分は寝たきりで、走れないだなんて。
自分は絶対嫌だ、と男の子は言いました。
「兄ちゃん、僕はね」
弟は言いました。
「兄ちゃんが笑っている顔を見るのが、一番、一番、一番・・・」
そうして明るく笑った弟は、男の子の手を握りました。
「大好きなんだよ」
そうして、弟の言葉に押された男の子は、外で遊ぶようになりました。病室で寝ている弟に時々視線を送り、カーテンが閉まっていることを見るとホッとするのでした。
後ろめたさを感じながらも、男の子は外で遊びました。そうして、男の子は次第に弟を気にすることはなくなりました。だから、それから数週間経っても男の子は気付きませんでした。
弟の変化に。
「唯?」
「ああ、兄ちゃんだ」
病室の窓の外を眺めていた弟に、何故か違和感を感じたのでした。男の子は首を傾げて、弟の名前を呼びます。弟は振り向くと、手をひらひらと振った。ああ、気のせいか。そう思ってホッとしたのもつかの間、男の子は頭を鈍器で殴られたような衝撃に襲われました。
「唯!?」
男の子は急いで駆け寄りました。弟は首を傾げ、男の子の顔に視線を向けます。男の子は顔を真っ青にさせて、弟の両頬を両手で支え、こちらを向かせました。
「どうしたんだよ、表情!!」
弟は笑わなくなっていました。いつもなら、笑ってこちらを迎えてくれる弟が、なんの抑揚も感じないような、興味なさそうな表情を浮かべます。
でも、そんなことは、今までに一度もなかったのでした。
男の子は考えました。病気の一部なのか、とも思いました。でも、最終的に男の子はある推測に頭を抱えました。
「自分の、せいか・・・」
男の子は、絞り出すように言いました。
いつしか弟を気にせず、外で遊ぶようになった男の子。
弟が背中を押してくれた、気兼ねなく行っていいと言ってくれた。だから、甘えてしまった男の子。羨ましくないわけ無かったんだ、と後悔した男の子は、震える口を必死に動かしました。
「ごめん、今日は帰る・・・」
男の子はその場から逃げるようにして、病室を後にしました。
それから更に数日後、男の子は重い脚を必死に前に出し、病室へと向かいました。どんな顔をして会いに行けばいいんだろう、後ろめたさに苛まれます。
がら、と病室の扉を開けて、落としていた視線を上げると―――・・
「え・・・」
嘘だろ、と男の子は喉の底から絞り出したような声を出して、立ち尽くしました。
弟が忽然と姿を消していたのです。断ち切られた点滴と、乱れた病室のベッド、スリッパもない。明らかに弟が自分の意思で、抜け出したようでした。
ばくばくと、心臓が高鳴ります。耳元で聞こえるような、やけに大きく聞こえました。
雨が降り始めました。男の子が病院に来るまで、降ったり降らなかったりが続いていたのです。雨はまるで、男の子の心情が影響しているように、先程より強く、激しく地面に降り注ぎました。
あとは、よく覚えていません。ただ、びしょ濡れになりながら、容赦なく降り注ぐ雨に飛び込んで走ったのは覚えています。肺が酸素を求め、口をあけると水が入ってむせる。それでも足だけは止めませんでした。
やがて見つけた弟は、泣いていました。仲の良かった子猫が、死んでしまったようでした。表情が無くなりかけたその顔で、雨に混じった涙を流していました。あるいは、見間違いだったのかもしれません。でも弟の表情が、あまりにも悲しすぎて。男の子は文句を押し殺し、ただただ弟が見つかった安堵感を噛みしめて小さな弟の体を抱きしめました。
*
「―――・・おしまい」
「何が言いたいのよ」
俺の昔話の意図が掴めない幸は、不満そうに俺を睨みつける。俺は笑った。
「俺さ、昔から弟に後ろめたさを感じててさ」
俺は一呼吸を置いて、ゆっくりと話した。
「いなくなればよかったのに、そうすれば俺はもっと楽に生きていけたんだって思った」
「それは違うでしょう」
幸が反論した。
「弟がいてこその、あんたじゃないの?」
そう、弟がいなければ今の俺はなかった。でも、それがわからないくらい、当時の俺は幼くて馬鹿だった。
だから願ってしまった、弟がいなくなることを。
そして、弟が消えて俺は心臓が飛び出るかと思った。結局俺は、弟がいなければ生きていけないんだと知った。大切なんだと知った。そうして俺は、弟を護ることを決めた。
「そう、だな」
「何言ってんだか」
幸は呆れたようにため息をついて、立ち上がった。そして何も言わずに去っていく。冷たい反応だと、周りは思うだろうか。でも、気を遣っているのがわからないような不器用な優しさに、俺は惹かれたのだろう。
それからしばらく経ち、いきなり話しかけられた。不審者に。
「やぁ、こんにちは。唯くんのお兄さんだよね―――・・って、そんな怖い目で見ないでごめん不審者じゃないです信じてください」
俺が身の危険を感じて睨みを利かせると、拍子抜けするくらい弱腰になってしまった不審者。
とりあえず、俺が不審者だと思った理由は、突然話しかけてきたことだけではない。
真っ白な男だった、というのが第一印象である。
真っ白な髪の毛、というだけでも日本人が出歩くこの日本では結構目立つと言うのに、肌も白く、瞳も黒目ではなく白に近いグレー色。睫毛も眉毛も白く、とても綺麗な顔をしていた。そしてその容姿に合わせたような真っ白な服、そんな男がいきなり話しかけてきたのだ。不審者決定である。
「あ、あのさ」
不審者はめげていない。俺が睨んでいるにも関わらず、俺を逃がすまいと進路を遮る。そろそろ苛々してきた俺が「ああ?」と声を荒げると、不審者は一歩後退したが踏ん張って、「旭くん!!」と叫んだ。
名前を知ってるのか?
やっぱりこいつ不審者か、と戦闘態勢に入ると、不審者の男は首を全力で振って「違いますやめてマジで怖いからぁぁぁ!!!」と涙目になった。
「何も無い世界、興味ない!?」
「は?ナンダソレ、宗教か何かか?」
俺は首を傾げた。
「違うよ。何も無い世界、こんな面倒くさい世界なんていらないでしょ?おいでよ、僕はキミに来てもらいたいんだ」
白い男は困ったように笑った。
「何も無い世界、真っ白な世界。そこには何も無い、喧嘩や恋愛、人間関係、社会のルール、世界の秩序。全てのことに従う必要がないんだ。それこそが、人間の理想から創られた僕の世界。どう?興味湧かない?」
「いや全く」
俺の言葉に、心底意外そうな顔をした男は笑った。
「なんで?苦しかったんでしょう?唯くんに、消えてほしかったんでしょう?」
「ッなんでそれを」
どきり、とした。
「唯くんさえいなければ、自分があんなに汚い所を知らないままでいられた。弟の死を願った自分を、見つけないでいられた。そうでしょ?」
「・・・」
反論はしなかった。
そう思っていた、確かに。
―――・・でも、
「でも」
俺の心を読まれたのかと思った。重なった言葉に、俺は顔を上げた。すると、真っ白な不審者は眉を下げ、苦笑した。
「今は違う」
まるで全部を知っているかのように、白い男はそう言った。もしかしたら、本当に知っているのかもしれない。
そう、今は違う。と、俺は続けて呟いた。
「キミは、茶色だね」
唐突に真っ白な男が、会話を変えた。何だと首を傾げると、男は頭を掻いた。
「過去のことで、後悔している。弟のことで、悩んでいる。そうやって自分を責め続ける、優しすぎるんだ。でもね、一つだけ言わせて」
不審者は瞼を閉じた。
「過去のことがあるから、キミがいる」
それは、幸にも言われた言葉だった。それを聞いた俺は、歯を食いしばった。何故か、目の奥が熱くなって、気を許したらいろんなものが崩れ落ちてしまいそうで。
「もっかい聞くけど、僕の世界に興味は―――・・」
「ないね」
それから他愛ない言葉を一言二言交わして、俺たちは別れた。不思議な出会いだった、現実味もなかった。けれど俺は、真っ白な男は夢ではないと確信していた。
そういえば俺の名前を向こうは知ってるのに、向こうの名前を教えてもらっていないじゃないか、と不公平に思って口を尖らせながら。
そうして俺は、再び病室に向かった。
優しすぎる茶色。
過去を組み立て、俺は後悔と共に生きる。
お久しぶりです、十人十色。
旭のお話は、幸や唯をまとめあげた話なので、黄色や緑の話を読んでいただければ大方わかるのではないかと思われます。いや、わからないかもしれません。そこは保証しかねます(おい)