非現実な紫色
「やぁ」
胡散臭い笑みを浮かべて俺を見つめていたのは、まさに非現実な男だった。
大人、と言うには幼さがまだ残った顔で、子供、と言うには少し落ち着き過ぎている。今年で高校二年に進学した俺と同じような年頃の男は、とりあえず怪しかった。
何がって。
黒髪黒目が当たり前のこの日本で、真っ白な髪(若白髪?)にグレーの瞳、睫毛も眉毛も真っ白だと思っていたら肌も女みたいに白いし、何より服がそれに合わせたかのように真っ白だったのだ。あまりに白すぎて、すごく浮いている。
「誰?」
俺は怪しさのあまりに警戒し、ジリジリと後退しながら相手の様子を窺う。
男はその様子を楽しそうに眺め「元くん、僕の所に来る気ない?」と言っていた(らしい)のだが、生憎俺はそんな余裕なんてなく、切羽詰まった顔で全力疾走で逃げたのだった。
な、なななな名前を知られている。なんて叫んでいたことも、そのときの俺は気付いている余裕なんて欠片も存在しなかったのだ。
*
「やぁ」
「す、すすすす」
「ストーカーじゃないよ」
それから数時間後、インターフォンが鳴ったから扉を開けてみれば、数時間前に見たあの怪しい男。真っ白すぎてただでさえ浮いてるんだから、もう付きまとって欲しくなかった。もう会うことも無いだろうと思っていた矢先に現れた不審者に冷静を装おうとしたがうまく口が回らず、そんな俺の失態を作り出した張本人にに突っ込まれた次第。
泣きたい。
「な、何の用ッスか」
俺は二、三度深呼吸を繰り返し、男に向き直る。
念の為に言っておこう。俺は、世界一の怖がりだと豪語しても過言ではない程の怖がりである。言っておくが〝弱虫〟ではなく〝怖がり〟だ。重要な間違いだから、間違うなよ。
昔お化け屋敷とか行ったことがあるが、最後まで一人で出て来れた試しがない。家族に抱えられ、泡を吹いて抱えられながら出てきたのだと、周りの客は後に言う。
酷い恥さらしだ。二度と行くか、なんて泣きべそをかきながら舌打ちをしたのを覚えてる。単なる強がりだけど。
黙り込んでいると、男は俺の顔を覗いた。
「元くん?」
「す、すすすすすッ・・す・・!!」
「ストーカーじゃないって」
このくだり何度目?と男は呆れ気味に言った。
「だって、俺の、なッ・・名前知って・・・」
動揺しすぎる俺の言葉に、真っ白な男は気まずそうに視線を落とす。
「あー・・それは、うん」
「はぐらかしたッ」
「じゃあ、僕の名前を言えばお相子だよね」
開き直りやがった。
「それ、ちょっと違くねッ?」
一生懸命反抗するも、丸め込まれてしまったようだ。
「僕の名前は朧、変な名前でしょ」
真っ白な男、朧は俺の突っ込みを悠々とかわし、スムーズに自己紹介をした。納得はできないが、名前を知ってしまった以上もう知人と受け取っていい・・・のだろうか。
そこら辺は謎だ。
「親しみも込めて、〝ロウ〟って呼んでよ」
「ロウ、って・・・何故」
「朧って字、朦朧のロウって書くじゃん、だからだよ。〝おぼろ〟って呼びにくいし」
「・・・ふうん」
変な奴だ。と、会話が少し弾んだので警戒心を微かに解いて、ロウの言葉に素直に耳を傾ける。朧はそのことに表情を明るくし、握手を求めて手を差し出し、サラリと聞き捨てならない言葉を口にした。
「それよりさ、元くん。何にも無いとこって興味無い?」
「何にも無い、とこ?」
俺の中で、真っ白な男に対しての不審者レベルが上がった。
何も無いとこだって?何もって、え?何も無いってことは、家も無い、学校も無い、服も無ければ――――・・俺もいない。え、それってイコール死じゃん。
「僕が住んでるところなんだけどさ、何にも無いから寂しくって」
「天国とか?」
「そんなところかな」
冗談のごとく行った言葉をサラリと受け流した朧は、ニコリと笑った。
やばいやばいやばいやばい、死神に目つけられたァァアアア!!!なんて心の中では大絶叫なのだが、とりあえず俺はその場しのぎで、恐怖によって額に滲む汗に勘付かれないように袖で拭き、ははは、と軽く笑っておいた。
現実に、そんな非現実な場所があったなんて知らなかった。
「何も無いんだよ。人間関係で悩まされることも無ければ、恋愛で泣くことも無い。だって存在自体が無いんだから。その〝世界〟は世界であって世界じゃないんだ。僕はそんな真っ白な世界の一部」
「じゃあ、ロウは人間じゃないの、か」
「人間だよ、人間じゃないけど」
矛盾してるけどね、と朧は笑う。白は美しかった。そもそも顔立ちが整っているからか、それとも真っ白な髪が現実離れしているからか、微かに含み笑いをする朧は綺麗だった。
あ、やっぱりこれ死亡フラグだ。綺麗な人間に連れて行かれるってか、どうせなら絶世の美女とかそんな死神がよかったな。と落胆する。
「じゃあ、なんで」
少し冷静になって考えてみれば、一つの疑問が浮かんだ。
「ん?」
「なんで〝何も無い世界の一部〟が、寂しがったりしてるんだよ。その世界は無なんだろ?」
「おお、いいとこついたね」
ケラケラと笑う朧は、どこか無垢な子供のようだった。こう見れば、真っ白なところ以外は普通の人間で、意志疎通もできるような奴なのにな。
「だから僕は人間じゃないけど、人間なんだよ」
「意味わからん」
「難しいんだ。僕もわからないことが多いからね」
朧は顎に手を添え、考える素振りをする。コロコロと変わる朧の表情に、呆気にとられるばかりだ。でも、朧は世界の一部。普通の人間ではないのだ。何故か寂しい感覚を覚えるが、何故そんなことを感じているのか謎で、俺は微かに首を傾げた。
「でも確かなことはある」
「なに?」
朧は考える素振りをやめ、思いついたように言った。
「僕の世界は、キミら人間の理想によって創られた世界だってことさ」
「理想・・・?」
「人間に現実逃避はつきものだからね。キミも思ったことないかい?こんな世界から、逃げてしまいたい。この世から、消えてしまいたい。そして、行動に移す。これが俗に言う〝自殺〟ってやつなんだと思うけど・・・」
朧は息をつくと、俺の顔を見つめた。
「でも、実際は違うんだ」
「え?」
「実際の自殺志願者なんていう人たちの目的は、〝死ぬ〟ことなんかじゃない。〝逃げる〟ことなんだ」
俺は眉を潜めた。
何を言っているのかサッパリわからない。そして、何が違うのかもサッパリわからない。頭の素材がよろしくないのは、生まれつきだから仕方がないが。
「誰にも死に対しては恐怖を抱く。その理由は簡単で、この世界には死んだ人間はいないでしょ?いたとしても幽霊で、僕らはそんな幽霊と意思疎通なんてできない」
〝幽霊〟というワードに、俺は咄嗟に昔入ったお化け屋敷を思い出した。血みどろで、長い長い髪の女が這う姿はなんともホラーで、全力で叫んで逃げたという苦い記憶。そんな記憶が脳裏によぎり、気分が悪くなった。
「そんな〝恐怖〟に誰がわざわざ好き好んで、飛び込んだりするもんか。実際自殺志願者がしたいことは〝逃げる〟ことなんだ。でも、逃げるためにはこの世からいなくならなければいけない。そう考えた自殺志願者たちは、方法を探す。でもそんなこと言ったって、この世界から抜け出す術なんて、〝自殺〟以外思い浮かばないんだよ。それ故、自殺を図る」
「つまり、自殺志願者の目的は〝自殺〟じゃなくて、現実から〝逃げる〟こと?」
「そ」
朧は俺の言葉に満足そうに頷いた。頷いたところ悪いけど、だから何?って話しだ。すると朧はそんな俺の心情を悟ってか、眉を下げて困ったように笑った。
「そして、僕の世界が創りだされた」
「ロウの、世界」
「逃げるための世界。死ぬわけじゃない、だって住む世界が変わっただけだから。ただ存在は消える、今までの自分の繋がりは全て切れる。そしたら、現実逃避の完成さ」
三分クッキングの説明のように気軽に話すが、内容的にはそんなに気軽に話せるモノではない。つまり、その人間の産まれた証が消えると言うことだ。簡単に言えば、産まれたことさえなかったことにされるのだ。
でも逆を返せば、それは人間が望んだことなのだ。
存在を消す朧や、その何も無い真っ白な世界を、残酷だと非難することは絶対できない。創り出したのは、俺たち人間なのだから。俺は黙り込んだ。朧だって、勝手に創り出された。身勝手な想いから、身勝手な望みから、身勝手な現実から。
身勝手に創り出された。
「寂しい、のか」
俺は再び先程朧が言った言葉を思い出した。
「うん」
朧も悲しげに眉を潜め、口角だけを上げて笑った表情を創った。
―――――・・僕が住んでるところなんだけどさ、何にも無いから寂しくって。
確かに朧はそう言った。
寂しい。
俺は確か昔、そんなことを強く思った気がした。
*
確か、俺の両親は逃げた。
父さんは元から愛人を作っていたらしく、夜な夜な出かけては昼まで帰ってこなくなって、それから数日後めっきり帰ってこなくなった。
母さんはそんな父さんに愛想を尽かして、はたまた愛人を作って逃げた。キィキィと耳障りな声で、父さんがいかに悪いか、自分がいかに不憫かを高らかに語った後、まるで自分の行動を正当化しようとしているように悲劇のヒロイン気どりをして夜逃げしたのだった。俺からしてみればどちらも同じだった。
元々家庭内での状況は悪かったため、虐待されていないだけいいと思おう。そうやって自分に言い聞かせ、楽しかった昔の記憶を消そうと必死に頭を抱えた。
寂しい。
いや、寂しくない。
そんな寂しがる必要なんてない。
だって、元から〝楽しい〟ことなんてなかった。
家族がいて良かったことなんて、無かった。
そうやって記憶を捨て、捨て、俺は縮こまって自分を抱きしめた。
やがて引き取り手が見つからず(父さんも母さんも手癖が悪く、親戚に嫌われていたから)児童養護施設に預けられたが、なかなか馴染めもしなかった。
何年前だったかな。今から八年くらい前か。
俺がちょうど九歳になる誕生日に、保護者がいなくなって預けられたと記憶しているから。だから俺の誕生日は、俺にとっては祝える日ではない。
養護施設には、俺より小さな子供もいた。大きい奴もいた。
この施設は何故か児童内の上下関係がはっきりしていて、歳が上になるほど偉いという仕組みらしく―――・・俺はまさに下っ端らしい立場だった。
チビたちは何も口応えができない為、おやつもとられるし、遊び場もとられるし、部屋では泣き泣き布団に籠る。俺はその様子をじっと眺め、干渉はしなかった。
馬鹿ども(年上の奴ら)は陰湿に、徹底的にいじめ抜く為、大人たちはその事実すらも気付いていない。チビたちは復讐を怖がって馬鹿どものやっていることをチクらない。
なんつぅとこに来ちまったんだ。と、俺はすぐさまホームシックになった。
まぁ、家に帰ったとこで楽しくも無かったけど、ここよりは息が詰まらなかっただろう。
数か月経ち、やっとこさ馴染んできた俺は、役割的にチビたちの面倒を見続けた。馬鹿どもはその後もずっと、俺がここに来てからもチビたちに嫌がらせをする。
補足だが、馬鹿どもというのは小学四年(つまり俺の一個上)から中学三年生までの五人の男子のことだ。
高校生の兄ちゃんや姉ちゃんともなると、逆にチビたちの面倒を一緒に見てくれると言う大変できた人たちだった。
一年生まれが違うだけで、こんなに脳内の構造が違うのか、と改めて感じる出来事だった。
高校生の兄ちゃんや姉ちゃんは、馬鹿どもの所業には気付いていたものの手がつけられないようで呆れかえっていた。自分が見える範囲内では注意をしたり、追い払ったりはするものの、やはり厄介なようで。その翌日画鋲が靴に入っていたり、教科書がゴミ箱に捨てられていたりと典型的ないじめが繰り広げられるのだ。
さすがにこれには年下の俺でさえ呆れていた。
それから更に数日後、激しい物音とともに罵声が聞こえた。
俺は駆け足でその音の根源を覗いてみると、やはり馬鹿どもだった。馬鹿どもが口々に罵りながら、何かを踏みつけている。なんだろうとその物体を眺めていると――――・・この施設で唯一の同い年である陽
だった。陽は体を丸めて、馬鹿どもが与えている衝撃にジッと耐えている。
このままじゃいけないと思って、高校生の兄ちゃんを呼びに行った。
兄ちゃんはすぐさま対応し、馬鹿どもを宥めると陽に「大丈夫か?」と声をかけた。でも陽はそんな兄ちゃんが差し伸べる手を強引に振り払うと、早々に走り去ってしまった。
俺と兄ちゃんは馬鹿どもを一瞥し、陽を追った。
すると陽は施設の庭に植えてある、子供が登れるくらいの木の上に座っていた。兄ちゃんは物陰に自分の体と俺を隠すと「あいつの定位置だ」と言った。
そういえば、陽とは一度も喋ったことが無い。同い年だし、同じ男だと言うこともあってすぐ仲良くなれるかなと思っていたのだが、陽はそれ程友好的でもなく、何に対しても素っ気ないので友達になるのを諦めていたのだ。
兄ちゃんは少し控えめな声で俺に言った。
「あいつ、両親二人とも強盗に目の前で殺されてさ。それから、人間不信になっちまったみたいでな。いつもああやって、天国にいる両親と少しでも近くなるようにって、木に登って空見上げてんだ」
両親が殺された。
当然血を見たのだろう。
昔からホラーやら血やらが苦手だった俺は、それらを想像して「おぇ・・・」と吐き気が込み上げた。その様子を兄ちゃんは苦笑しながら、ポンポンと俺の背中を叩いてくれた。おかげで、少し回復した。
「だから、あいつ喋らねェんだよ。いっつも孤立してるし、贔屓してるってわけじゃねェんだが、高校生もあいつのことは一番気になっててな。中学生、陽が喋らないのが気に食わないらしくて、ああやってからかってんだ。陽、何にも言わねェから、助けも呼べねェ。ハジメ、俺を呼んでくれてありがとうな」
お礼を言われる筋合いはない、俺は何もできなかったんだ。
そう言おうとしたけれど、兄ちゃんのその「ありがとう」と、俺の頭を強引に撫でるその温かさが、俺の口を閉じさせた。
「俺もそろそろ施設から出ねェといけねェからさ、もし俺らがいなくなったら―――・・ハジメ、お前が俺らの代わりに陽の友達になってくれねェか?」
兄ちゃんはそう言った。
それから毎日、俺は陽に付きまとった。
陽は俺を拒絶しまくり全力疾走で逃げるものだから、俺も意地を張って追いかけ続けた。
ついにそれは日常となり、周りからも「あ、また追いかけっこしてる」と、この真剣な闘いを〝追いかけっこ〟呼ばわりされるようになった。それでも俺は、追い続けた。
兄ちゃんはそれを見て「おう、ハジメ。やってんなぁ」と嬉しそうに笑っていた。
俺はそれを『グッジョブ!』と受けて、親指を立てながら陽を追いかける。
それを続けて数日後、ついに陽が動きを止めた。俺はそれを見て、足を止める。
陽は紙とペンを取り出すと『何か用なの?』と殴り書きした。俺は楽しく追いかけていたのだが、向こう側は多少(いや、かなり?)迷惑を被っていたようだ。陽の初めての意思疎通なので少し嬉しくなって「遊ぼうぜ?」と言いながらニカッと笑うと、陽は眉を潜めた。
『いやだ』
「遊ぼう」
『い・や・だ!!』
「なんでだよ」
『お前こそなんでつきまとうんだよ』
ずっと大人しくて、気弱で、弱虫だと思っていた陽。だが文章だけど会話してみれば、実際は思っていたよりも強気で、口調が荒く、始めっから喧嘩腰な気性が荒い奴だとわかる。
俺はそれがわかって嬉しくなり、「アキラ」と呼んだ。
『よびすてすんな』
「あーきらッ」
嬉しそうに陽の名前を呼ぶ俺を見て呆れたのか、陽はそのままペンを動かさなくなった。
やがて兄ちゃんは高校卒業と共に施設を出ていった。
他の高校生も次第に出ていき、もう陽や俺、チビを護る人たちはいなくなった。陽と俺は予想以上に、急速に仲良くなった。一度も言葉を発したりしなかったが、紙面でも意思疎通ができる。陽は俺と会話をした以来、態度が少し柔らかくなったのだ。
兄ちゃんたちはもういない。チビたちを矢面に立たせることはできない為、先頭を切って喧嘩に走ったのが陽だった。薄々勘付いてはいたけど、まさかここまで喧嘩っ早いとは思っても見ず、六歳も上の馬鹿どもに陽は立ち向かった。
「てめッ・・・喋れねェくせに生意気なんだよ!!」
「両親が強盗に殺されたんだってなぁ」
「お前は泣きべそかいて見てたってかぁ!?」
馬鹿どもはそんなようなことを延々と叫びながら、陽を寄ってたかって殴っていた。
その様子をチビたちが泣きそうな目で見ている。
馬鹿どものなんとも理不尽な物言いに、さすがに俺も腹は立った。だけど、そのときの陽の表情は何故か闘志むき出しで、何故か戦線に参加する気は起きなかった。
そして、その勘は正しかった。
殴られて倒れていた陽がムクリと、まるで何事も無かったかのように体を起こし、平然とした表情で口を開いたのだ。
「考えたことない?」
長いこと出さなかったからか、掠れていた声は思っていたよりずっとずっとしっかりした声だった。小学五年生にしてはずっと大人びていて、そのとき俺は、陽と対峙していないにもかかわらず、陽の声を聞いて背筋がゾッとしたのだった。馬鹿どもも同じような様子で、急に声を出した陽の声に、心底驚いたようだった。何せ、出会って初めて陽の声を聞いたのだから。
「俺がなんで、その強盗の顔も見たのに殺されてないのか」
言われてみれば確かに。
顔を見たなら、逃げ出す気持ちがあったのなら、どうして口封じに陽を殺さなかったのか。
もしかして、自首する気だった?
いや、犯人は金目のものを手にいっぱい抱えていたとテレビでやっていた気がする。
それじゃ、陽の存在に気付かなかった?
テレビで見た部屋に、隠れられそうなところなんてなかった。狭い部屋に、必要最低限しかない家具。ただでさえスペースがギリギリなのに、隠れられそうな場所なんて―――
馬鹿どもは首を傾げた。
何を言っているんだ、と思っているのだろう。陽は人が変わったのように急に喋り出したかと思えば、昔の事件を掘り返して疑問をあげている。
「当時小学二年だった俺が、犯人から逃れるのは不可能」
陽は笑った。
「普通なら」
そう付け足すと、陽は近くにあった馬鹿どもの一人の〝金属バッド〟を手に掴む。
そして、ぐにゃりと曲げてみせた。
陽はそのまま紙をクシャクシャに丸めるように、陽の手にあった〝金属バッド〟を丸める。
それには馬鹿どももチビたちも――――・・俺も驚いた。
「俺、昔から特異体質でさ。力が妙に強かったんだ。それに気付いたのは小学校一年のとき、その力が使いこなせるようになったのはその数ヶ月後」
陽は淡々と、さして興味が無いように言った。
「そのとき強盗が入って、いきなりだったから両親は護れなかった。だけど、なんとかしようって思って、その力をがむしゃらに使った」
無残な姿の金属バットを見た後だ、そのあとに出る言葉は安易に想像できた。
そして、その言葉は予想通りだった。
「強盗は意識不明の重体で、病院送り。その後、意識を取り戻してから『俺がやったんだ』って主張したけど、証拠不十分だし、何より科学的に証明できないからね。ま、それに強盗の言うことだから、嘘だとでも思ったんでしょ。さして気にもされず、その事件は全て解決した。俺はそのあと、面倒事が嫌でその力を出さないように、口が聞けないっていうことで通してたんだけど・・・」
陽はあからさまにため息をついた。
「あまり、調子に乗らせるものじゃないもんね」
馬鹿どもは金属の塊(金属バッド)と陽の顔を見比べると、悲鳴を上げて逃げていった。
そうして、立場は逆転。
最初から問題児であった馬鹿どもは、大人に陽のことをチクっても信用されず、陽はそれを良いように馬鹿どもたちを見事に従わせた。
今まで散々してきたことに、馬鹿どもは文句の一つも言えない。
「すっげぇよなぁ」
「ん?」
それから数年し、俺は高校に入学した。
あの馬鹿どもはもう社会人で、今はどっかで働いているらしい。
高校は寮制なので、俺は施設を抜けることになった。奨学金つきなので、施設に負担もかからない。
「陽の力初めて見たとき、チビりそうになったし」
「ああ、お前弱虫だもんな」
「ちっげぇよ!!怖がりって言え!!」
「どっちも同じだよ」
もうさすがに体が大きくて登れなくなった木の下で、二人並んで空を見上げている。
「でもあれだよな。チビたちも怖がると思ってたけど、思いのほかお前の信用が高くて、怖がるどころかもっと集まってきたよな」
「まぁ・・・結構長い付き合いだったしなぁ・・・今更、って感じだったのかな」
「俺は付き合い短いけど、怖くなかったし?」
「いや、俺は知ってるぞ。お前俺の力見たとき、半泣きだっただろ」
「嘘つけ!」
「嘘だけど」
白々しく冗談を言う陽に、俺は声を上げて笑った。陽もそれを見て小さく笑った。
「でもな、実を言うと少し疑ってた」
「何を」
「ハジメがああやって俺に付きまとうのは、俺の力を知らないからだって。俺の力を見ちゃったら、もしかしたら、ハジメはもう俺の隣にいないんじゃないかって」
「そんなこと」
「なかったな。ずっと悩んでたけど、ハジメはそんなこと考えないって、吹っ切れた」
意外に信用されていたようだった。
俺はそのことがちょっと嬉しくなり意味も無く「陽」と呼んだ。陽はその様子に眉を潜め「キモ・・・」と呟くのを、俺は決して聞き逃さなかった。
後々聞いたことだが、陽のイトコの女の子も陽と同じような力を持っているらしい。俺より二つ下で、今は中学二年生。もしかしたらその子もその力のせいで苦労したのかな、なんて思ったら、切なくなった。
*
現在、高校二年。昔世話になった兄ちゃんと同じ年になった。学校では、旭先輩っていう兄ちゃんによく似た人とも知り合ったし、陽とも未だに連絡を取り合うほど仲がいい。
同じだった。
寂しい、と思う俺と朧は。
だからこそ、俺は朧の頭をポンと撫でた。
「何?」
「悪い」
俺は苦笑したように笑った。
「俺はお前の期待には添えない」
「この世界から、逃げたくない、と?」
「違ぇよ」
俺は首を横に振ると、朧を見据えた。
「まだまだ、この世界は捨てたものじゃないなって思ったから」
陽も、朧も、非現実なような人間が周りにいて、それをどうして面白くないと思えるのだろうか。
まだまだ広くて、俺がまだ知り尽くせないような世界を、どうして逃げたいと思えるのだろうか。
まだまだ世界は広い。
それに、俺が今まで培った繋がりたちは、消してしまうにはあまりに勿体なかったから。
「他をあたってくれ」
それを聞いた朧は、「あらら、残念」と眉を下げて笑った。
「寂しいって気持ちを知ってるキミならって思ったんだけどなぁ・・・」
朧はそれだけ言うと「んじゃ、また人探しする始めるかぁ」と踵を返す。
「ロウ」
「ん?」
「お前が白って言うなら、俺は何色だ?」
朧はその言葉に反応し、品定めするようにジッと俺の体を上から下まで見ると、やがて息をついて「紫かな」と言った。「なんで?」と問うと、「現実味がないから」だと返ってきた。
失礼な。俺はちゃんと現実の上で生きてるぞ。
「そう言う意味じゃなくって、何て言うかな。簡単に言えば、非現実に自ら飛び込む様な、アホでバカでマヌケでおっちょこちょいな、ダメ人間だってこと」
「おいこら、そこまで言うか」
「冗談だよ」
朧はため息をつくと、くるりと華麗に踵を返した。
「今度こそ、ばいばい」
ずっと見えなくなるまであの真っ白な背中を見ているつもりだった。
だが、瞬きをしたその一瞬で彼は跡かたも無く消え去り、俺は真っ白な世界とやらを見逃したのだった。
非現実な紫色。
俺の人生は非現実で組み立てられている。