逃げ場がない
肌を打つ雨の感覚、雷の光は消えて薄暗い雲が辺りを覆う。手を伸ばし、掴んだ先には『豪運の魔法少女』の脚がある。ひどく驚いた表情を浮かべながら腰にしまったピストルに手を伸ばす。だが、もう遅い。
「インヴァート!」
視界ががらりと変わり、その端に小さな黒い影が浮いている。すぐにその姿は小さくなっていき、全身が雨に打たれる。あれだけ高かったビルの屋上よりもはるかに高い位置からそこを目掛けて雨と共に落ちる。今まで一番高い位置からの落下。豪運とは言え無傷で耐えるのは不可能だろう。一気に地上に引き戻される感覚に肺の奥を押しつぶされる。初めてでは少し苦しいだろう。私は慣れた様にゆっくりと呼吸を整える。
空中をぐるぐると回っていた彼女も順応し始めている。両手両足を大きく広げ、命綱の無いスカイダイビングを楽しんでいるようだ。最期まで楽しそうな彼女の表情を見届け、私が地上に戻ろうとした時、彼女は口を開いた。
「十億分の一……これは運命ね」
何が起こるかも分からない。私は急いで位置を入れ替えた。ビルの屋上に視界が変わり、重力を全身に浴びる。骨が軋む程の痛みは何度やっても好きになれない。歯を食いしばり、全身に力を込めてそれを耐え抜き、ゆっくりと身体を起こす。
地面に溜まった水の傘となった私の影がぼやけながら映る。空から降り注ぐ赤い光によって――
「またお前か――ッ!」
光の魔法少女だとばかり思い振り向いた瞬間、目に飛び込んだのは赤い炎を両翼から出しながら私を目掛けて来る大型の旅客機だった。大気の変化で塞がった耳にも落ちる轟音が響き、見開いた目に映る光景に呆気に取られる。
飛行機が墜落する確率は千七百万分の一と聞いた事がある。そして、それが私に追突する確率は『十億分の一……』。彼女の能力は攻撃に使えないという仮説が崩れた。何もかもが私の処理を遅らせる。
頭の中でぐるぐると数字が巡る。一千万、一億、十億……数字の意味を考えている暇はない。だが、それが眼前に迫る数秒、私はただ固まっていた。詰まった息が私の意識を取りも出させ、辺りを見回す。キューブを設置した場所はここの屋上だ。入れ替えたとしても被害はあまり変わらない。
私は立ち上がり、必死で走り出した。ビルの淵まで全力で走った。まともに回らない頭では真っすぐ走る事すらも覚束ない。何度もこけそうになりながらも全力で脚を蹴り出す。轟音が辺りの空間と鼓膜を震わせ、それに連れて脚が竦む。振り向けば、それはどこまでも私を殺そうとするようで、私を追うように機体が状態を少し上げ、私の頭上を目掛ける。火花を散らすその様と新しく噴き出した赤い炎が鮮明に目に映る。あれはただの墜落ではない。彼女が今日大量のポイントを得るその運命に向けて彼女が操作しているとしか思えない。まるで、世界が彼女の味方をしているかのようだ。
端が見え始め、歩幅を合わせる。ここから飛び降りれば何とか生きれるかもしれない。キューブは無い。落ちていき、目まぐるしく変わる視界の中で入れ替われる物を探し出さなければならない。成功する自信は無い。だが、成功しなければ死ぬ。この高さから落ちればいくら魔法少女の身体でもクリスタル事潰れるだろう。
「ぁぁぁぁぁぁああぁああああぁっ!!!!」
叫びながら走るが、端に脚を付いた瞬間脚が竦み、立ち止まる。完全に勢いを失い、眼下に広がる小さな車と木を見下ろす。キューブという保険の無い落下に表情が歪む。だが、もう遅い。今出せる全ての力を使い、私は跳び上がった。腕を大きく回し、とにかく遠く得逃げれるように、とにかく生きれるように――
刹那、真後ろから赤い光と熱が全身を焼き尽くす。追い打ちを掛ける様に衝撃波が背中を打ち付け、身体のバランスを奪う。少し遅れた音が鼓膜を破り、小さな瓦礫が皮膚を貫く。
ガラスが一気に割れ、激しい光を反射させながらキラキラと雨と共に落ちていく。黒煙に包まれた機体は端だけが煙から突き出し、原型をとどめる事のない追突を表す。反転した視界に一瞬だけ映り込んだその景色は私の脳裏に刻まれた。




