魔法少女に
頬が風に殴られた刹那、手を叩く音が響く。その余韻が続く最中、骨が砕かれる音が熱気に満ちた公園に響いた。殴打された頭は簡単に胴体から吹き飛び、鈍い音を出しながら地面に転がり、大きく形が変形した面を裏にしてその場に止まる。
空気が静まり返り返った。応援する声も、悲鳴さえ聞こえない。ただ呆然と立ち尽くしながら目の前で起こった事を理解しようと転がった頭へ目を落とす。
誰もが彼が死んだと理解した時、一人の悲鳴と共に騒がしさが息を吹き返す。幾重にも重なる悲鳴の中、手を合わせたウィルネがその小さな身体全体に返り血を浴びながらそこに浮遊し続ける。
「ウィ、ウィルネ……さん? 何をしたんですか?」
倒れ込んだ知らない人の身体から血が溢れ、血溜まりを止まる事なく広げ続ける。そんな光景を私は取り囲んでいた野次馬の立ち位置から呆然と眺める。
ゆっくりと振り返るウィルネの表情はいつも通りのあの不気味な表情のまま変わらない。
「ボクはただ位置を入れ替えただけさ。少し事故があったけどね。さぁ、今のうちにとどめを刺して?」
この光景、この非情さ、これから私の進む魔法少女の世界を目の当たりにして吐き気が全身を襲う。そして、恐怖が私を支配する。
悲鳴、罵倒の言葉、逃げる足音がごった返したこの空間にその言葉がしっかりと伝わる。騒がしい声の中には『悪の軍団が動き出したぞ』、『魔法少女がいるわ』など掌を簡単に返した人の声が混じり合って耳に届く。勝手に悪と決めつけられ、蔑まされ、倒されるべきとヘイトを集めていたのにも関わらずこの変わりよう。一瞬にして攻守は逆転した。
先程まで自信満々に振り回していたハンマーのヘッドにべったりこびり付いた血を眺めて彼女は一歩たりとも動かない。柄を伝って流れる血が手に近づいて行くほど彼女の手は震えだし、呼吸が荒くなっていく。じんわりと伝わった血が滲み、彼女は武器を手放した。あれ程大きな破壊力を持っておきながら落ちる音はそう大きくない。
手に付いた血液を遠く虚ろな目で眺めながら目の前に倒れ込む頭の無い死体からたどたどしく下がっていき、力が抜けたようにぺたりと彼女は地面に座り込んでしまった。
「何をしているんだい? 彼女は人を殺した悪だよ。魔法少女が止めを刺さなきゃ」
気持ちが悪い。ウィルネさんはなぜ普通に血を浴びているのか、なぜそんな事が言えるのか、彼女は魔法少女を分かっていなかった。悪にしたのはウィルネさんだ。
嫌悪が止まない。軽蔑が、憤怒が、哀れみが、恐怖が止まない。その感情は涙となり、冷や汗となり、私の身体から漏れ出す。
私は死体から、ウィルネさんから逃げる出すように一歩後ずさる。私も一般人の様に逃げようとする。また一歩、また一歩と後退り――
その視界と脚元から聞こえた音を疑う。隣から聞こえるウィルネの声を聞き、察したように脚元を見れば血だまりの中心に立ち尽くしていた。
『――ボクの能力は物体と物体の位置を入れ替える事が出来るのさ、そしてキミに僕と同じ力を貸してあげた。物は試しさ。よし、早速力を溜めに行こうか――』
「さぁ、それを持って。キミの大切な人を助ける第一歩、悪を倒す第一歩さ」
頭の中に過る妹の顔はまだ病院で目を瞑ったまま。そのイメージが搔き消され、目を覚ました妹と共に笑顔に溢れた家族の姿が思い浮かぶ。下がった脚は前へ進み、震えの止まらない手で彼女の武器を拾い上げる。
全ては妹のため、全ては魔法少女として悪を倒すため、これは悪じゃない。そう自分に言い聞かせながら騒然とした中静かに座り込む彼女の下へと歩み始める。
血の付いた彼女の手に私の影が差し込み、視線が合う。瞳孔が震える中、両者が少しの間一言も話さずに見つめ合う。何かを察したかのように彼女は薄く笑い、胸を広げる。胸元に輝くクリスタルは一切の濁りも無く、輝いている。
「……さぁ、あのクリスタルを破壊して」
ゆっくりとハンマーを振り上げる。何度も何度も心の中で謝り、躊躇い、洗脳のようにこびり付いた妹が顔を覗かせる。目を瞑り、現実を見えないように逃げた。そして、私は胸のクリスタル目掛けてそれを振り下ろた。
ぶつかる感触と弾ける感触が手に伝わり、割れる音が耳に響く。そっと目を開けるとそこに彼女の姿は無く、霧散したクリスタルの欠片がキラキラと舞いながら消えていく光景が目に映る。ぐしゃっとした人を殺す感触を覚えずに済んだ安堵と妹を助けるための一歩目が踏み出せたことに達成感さえ覚える。
あぁ、だから魔法少女は殺し合うのか。この願いに近づく感覚があるからまた殺し合うんだ……やめられないな。
遠くからサイレンの鳴り響く音が近づいてきている。頭の無い生身の人間の体を一瞥し、逃げるようにその場から離れた。あそこにいた人たちからは私はどう見えているのだろうか、私も人殺しなのだろうか。
少し離れた所に身を隠し、呪文を唱えて変身を解く。魔法少女と思わせるような物も無く、制服を身にまとい、どこにでもいるような女子高生。こんな人目につかない路地裏にいる方がおかしいと思われるだろう一般人。
「うん。どうだい? 強い能力だろ?」
顔に付いた血を擦り落とそうとするもただ広がっていき、さらに汚れて見えるウィルネさんに冷たい視線を送る。何が言いたいか分かっているはずだ。
「ボクはキミの質問に答えてあげたのさ。それにあそこでボクが助けてあげなければキミは救うチャンスを棒に振って二度と笑顔を見れなくなるところだったね」
何も言い返す言葉が思いつかずに黙り込む。路地裏に似合う静かな空間に少し離れた大通りの騒がしさが微かに聞こえる。
私はもう、ただの一般人ではない。魔法少女になったのだ。こうして人目のつかない場所へ足を運ばないといけない存在になったのだ。その自覚とそう決意した理由をもう一度思い出す。『全ては妹のため』大きく空気を吸い込み、ゆっくりと吐く。
「あとどのくらい必要なの?」
「まだまだ沢山かな」




