だから、私に力を
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最後に妹の笑う姿を見たのはもう三年ほど前の事だ。当然三年間ベッドで眠る事になるなど予想もしていなかった。あの頃は、ただ妹と一緒に公園で遊んでいるだけで楽しかった。あの時も、普段と同じ様に特別何かすることも無く公園で一緒いた。夕暮れになるまで二人でいつまでも遊んでいた。
『ごめん、おねーちゃん忘れ物しちゃった。取りに行って来るから先に行っててくれる?』
『やだ~おねーちゃんに付いて行く~』
身を捩じらせながら私の腕にしがみついて来る妹。普段から妹とは距離が近く、近隣からも仲良しの姉妹だと言われていた。一言で言うならば相思相愛。私の自慢の妹だった。可愛くて、愛おしくて、少し危なっかしい所があっても、勉強が嫌いでも、全てを愛していた。全てを可愛がっていた。
そんな可愛くしがみ付いて来る妹の頭を優しく撫で、そのつぶらな瞳に目線を合わせて優しく語り掛ける。
『夢中になり過ぎてお空がこんなに暗くなっちゃったの。これ以上遅くなるとお母さんに怒られちゃうから先に帰っていて』
もう夕日も顔を出し、オレンジ色の空をしている。小学校低学年の妹はもう帰る時間帯。なによりお母さんに怒られたくないだろう。顔を膨らましながらどちらを取るか精一杯天秤に掛ける。一向に決断できる気配がしないので優しく頭を撫でながら『ね?』と諭す。唇を尖らせながら不満げに唸るも大きくうなずきゆっくりと手を放す。
『ありがと、気をつけて帰ってね』
『おねーちゃんもね』
……もし、ちゃんと帰る時間を気にしていたら。もし、今一緒に取りに行くという判断をしていれば。そんな後悔を何度しようと、何度自分を責めようと妹は目を覚まさない。
誰が想像できるだろうか。妹が車に轢かれるなんて――それも『気を付けてね』と言ったそばから轢かれるなど。
荷物を急いで取り、帰り道に響くサイレンのうるさい音が怖く感じた。帰る方向、妹が向かった方向。赤く光るランプに嫌な予感を覚えた。けれどそんな不吉な事など想像もしていなかった。知らない人だろうと、死ぬ程度ではないだろうと。
野次馬感覚で横目に見れば見覚えのある肩掛けバッグが中身をまき散らしながら散乱し、それ以上に血が辺りに飛び散り、止まる事なく血だまりが広がり続けていた。
そんな真っ赤な血に浸かる少女。白くモチモチとした肌は擦れて血が滲み、毎日梳いてあげた髪の毛はびちょびちょに濡れ、二重で大きな目は閉じて開かない。よく似た別人。よく似た別人。何回も何十回、何百回と唱えながらたった数メートルを力無くゆっくりと近づく。
けれどそこには見間違えようもない可愛くて愛おしい妹の姿がそこにあった。
声は凍った様に発せず、理解した瞬間、魂が抜けるかのように力が抜け落ちた。激しい焦燥と深い脱力感が私を襲った。それでも私は倒れなかった。妹がまだ生きているかもしれない。まだ息があるかもしれない。僅かな希望に夢を見た。確かめずにはいられなかった。知りたかった。
その一心が崩れた心と身体を突き動かし、駆け寄る。出なかった声も言葉とは言えないが今までにない程出た。止めに入る大人もなぎ倒す勢いで向かった。一人二人と退けて妹の下へ。けれど辿り着けなかった。自分の身体の倍の大きさはある大人には勝てなかった。
私は暴れ、嘆き、悔しみ、泣き、ただひたすらに大きな声で名前を呼んだ。生きているはず。目を開けるはず。今は少し疲れて眠っちゃっただけなんだと、そう思いたかった。
どこまでも暴れ、全ての力を使い、事切れたかのように意識を無くし、次に目を覚ますと両親に抱きかかえられていた。途切れ途切れの言葉で必死に説明した。まるで私の悪い所は何もないかのように。そして分かっていると怒らずに涙を零しながら言う親に安心してしまった。
過去の自分を振り返れば反吐が出る。妹をこうしたのは自分だと分かっているはず、それでもこの頃の私はそれを認めなかった。
一命を取りとめたが昏睡状態が続いた。一週間でもすればまた目を開けてくれるだろうと淡い期待を抱いていた。しかし妹の瞳を見る事は一週間、一ヶ月と待っても見られなかった。毎週様子を見に来ても眠る姿勢すら変わっていない。それでもまだ諦めなかった。傷はゆっくりと治っているのだから――
『寒くなって来たね。病院はいつでも温かいから大丈夫かな。風邪とか引いたりするのかな? 傷はまだ目立つね。ゆっくり直していこう。おねーちゃんも頑張るから』
『おねーちゃん中学生になったよ。制服が可愛くてね楽しいよ。小さい傷はもう見えないね良かった』
『久しぶり、おねーちゃんだよ。夏休みになったから来てみたんだ。今年は暑いね』
『私、学年が上がっちゃったよ。仲いい友達と離れちゃった』
『高校生になるんだ~高校も決まったよ』
それは諦めだったのかもしれない。奇跡的な復活などもないまま時間が進むにつれ生存率も下がっていく。崩れた心が完全に治るわけもなく、いつまでも刺さり続ける刃は毎日自分を傷つける。
この痛みからの解放は妹が目を覚まさなければならない。そんな不滅の痛みから解放される転機。
『――キミのお願いを何でも叶えてあげるから』
***
これが最後の望み。例え自分が人間でなくなったとしても命に代えてでも妹を助ける。
三年前の事、それでも全てを鮮明に思い出せる。この後悔を、この運命を変えたい。そしてその力になってくれるウィルネさんがいる。
「……だから、私に力をください。私は何でも差し上げます」
深々と頭を下げる。過去の事を鮮明に思い返しその瞳に溜まった涙が床にぽたぽたと落ちる。静かな部屋にウィルネさんの声は響かない。予想とは違う反応に違和感を覚えつつも私は頭を下げ続けた。ウィルネの咳払いで私はゆっくりと顔を上げた。
だが、彼の顔は以前の様に不気味な笑顔を浮かべていなかった。退屈そうな顔をしながら静かにそこに浮き続け、零れた涙に視線を向け、口を開いた。
「……イヤだ」




