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彦山の大天狗(5)

 紅蓮坊と小太郎は寺から参道を下り、牛を目当てに宿坊を探した。

 牛の方が先に小太郎を嗅ぎ分けたのか、モウ・・と鳴いた。

 小太朗はその声に向けて駆け出した。

 牛の鳴き声を聞きつけた兵衛と巴は、揃って宿坊の外に出て来た。

 「戻ってきたか。」

 駆けてくる小太郎に兵衛は声を掛けた。

 「面白かった。」

 小太郎は兵衛の前で急停止した。

 「おっちゃんは大変そうだったがな。」

 小太郎は振り向き、紅蓮坊を見て笑顔を漏らした。

 「いやー、大変、大変・・・」

 紅蓮坊は小太郎の笑顔に、笑顔で応えた。

 「こいつは天狗の鼻という岩壁を一人で登ったが、俺にはそんな事はできない。

 その先でも、山伏達の手伝いをして絶壁を上り、綱を運んだり・・・

 大した活躍だったよ。」

 紅蓮坊は小太郎の顔を見て大声で笑った。

 それに応じるように、小太郎は人指し指で自慢げに鼻の下を擦った。


 よっぽど楽しかったのか、その夜の食事の席でも、小太郎は様々な話をした。

 「俺・・ここに残ろうかな・・・」

 そして最後に漏らした。

 「そうしたいなら、それでを良いぞ。」

 紅蓮坊は小太郎に笑顔を見せた。

 「ほんとか。」

 小太郎は小躍りしそうなほど喜んだ。

 だが・・・

 「でも俺には使命がある。」

 急にまじめな顔で言った。

 「使命とは・・・」

 兵衛が尋ねた。

 「守らなきゃあ。」

 「何を・・・」

 今度は巴。

 「鬼と戦える者・・・

 あんた達が大事にしている者・・・」

 それだけで三人は誰のことかが解った。

 「さて、明日からはどう行く。」

 しんみりしそうな空気を、紅蓮坊の声が破った。

 「私達の目的は豊後です。

 豊後から筑後へ・・・そこから先は、それから考えましょう。」

 「豊後に出るには道は三つあるそうだ、」

 紅蓮坊は積戒に聞いた話を披露した。

 一つ目は、ここから筑前に引き返して、釈迦ヶ(しやかがたけ)から大日ヶ(だいにちがたけ)の間を通って筑前国岩屋に到り、そこから峠を越えて豊後日田に到る道筋。

 「それはだめだ。」

 兵衛がすぐに反対した。

 「何故だ・・・比較的通り易いと聞いたぞ。」

 「筑前に戻れば、雉殿の細策の目に留まりやすい。」

 では・・・紅蓮坊は次の道を話し始めた。

 その道程は直接豊後に向かうものだった。

 ここから東へ向かい、高住神社を過ぎたところで南に折れ、道なき道を薬師峠へと向かう。その峠を越えれば豊後国・・・そこからは山国川の渓谷を越え、そこから西に向かえば日田、豆田の町がある。

 「そこが良いようですね。」

 兵衛がすぐに声を上げた。

 「待ってくれよ。

 そこは牛が通れるのか。」

 小太郎がそれに異を唱えた。

 「牛が通れなきゃあ、俺はまた独りで他の道かい。」

 小太郎は不服そうに頬を膨らませた。

 「道という道はないそうだ。」

 紅蓮坊はすぐに応えた。

 「じゃあ、駄目ね。」

 巴が横から声を上げた。

 「ここからは皆で行きましょう。」

 巴は兵衛に目をやり、兵衛はそれに頷いた。

 三番目は・・・紅蓮坊の話は続いた。

 高杉神社から薬師峠は目指さず、そのまま東へ行く。その先には野峠という峠がある。それを直進すれば豊前国に到り、右に折れれば豊後国に入る。

 その道は薬師峠ほどは険しくないという。

 「それで行きましょう。」

 巴がすぐに賛同の声を上げ、兵衛もそれに頷いた。


 朝早くから弁当を構えてもらい、四人は宿坊を後にした。

 目指すは高住神社・・そこには八大天狗の一人、彦山豊前坊(ひこさんぶぜんぼう)が祀られているという。

 紅蓮坊は高揚する心を抑えきれなかった。

 山でちらりとその姿を見かけた。

 その姿は大きく、背中の羽根を広げて空を飛んでいた。

 その天狗が祀られた神社・・・ひょっとすればもう一度・・・・

 紅蓮坊は淡い期待を抱いた。


 宿坊を出て一刻足らずで高住神社に着いた。

 その境内には彼等以外にも何隊かの山伏達がいた。

 一隊は望雲台という修行の絶壁から北岳を経て、彦山神社上宮を目指すと言い、一隊は薬師峠を越えて豊後に入り、水行のため観音滝を目指すという。

 「その峠は私達でも越えられましょうか。」

 兵衛は紅蓮坊の情報の確認のためすぐに訊ねた。

 尋ねられた山伏は一行を見廻し、

 無理だな・・・と一言でその質問を切って捨てた。

 そんな中で犬ヶ岳に向かうと言う一隊があった。その隊の行く方角は兵衛達と同じらしい。

 兵衛は同行を頼んだが、我等は鷹巣山の山中を行くと言って断られた。

 但し、野峠には豊前と豊後の境を表す石碑があり、それを右に折れれば豊後に入れると教えてくれた。

 「とにかく、旅の無事を祈って手を合わせましょう。」

 巴は高住神社の本殿に向け歩を進めた。

 二礼二拍手。。それから頭を下げようとした紅蓮坊の頭の中に微かな声が聞こえた。

 紅蓮坊は頭を上げ、辺りを見廻した。

 そこには自分に声を掛けたような者は居ない。

 だが頻りと頭の中で自分の名を呼ぶ声がしている。

 「紅蓮坊。」

 その声が突然大きくなった。

 「誰だ。」

 紅蓮坊もその声に大声で応じた。

 廻りに居た山伏達がその余りにも大きな声に思わず振り向いた。

 「大声を出さずともよい。

 儂の声はそなた以外には聞こえぬ。

 只、心で思えば良い。」

 その声の主は、諭すように言った。

 「紅蓮・・何なの・・・」

 その声は巴にも聞こえており、巴が紅蓮坊の眼を見た。

 「この声は・・・」

 兵衛も辺りを見廻し、小太郎は後ろ腰に差した脇差しに手を添えた。

 「お前達四人とも、儂の声が聞こえるのか・・・ならば仕方がない。

 但し小声でしゃべれよ。」

 その言葉の後に笑い声が続いた。

 「お前はいったい何者だ。」

 その笑い声に紅蓮坊が問いかけた。

 「まだ気付かぬのか。

 儂はそなたが望んだ者。」

 「彦山・・・」

 「その通り。

 彦山豊前坊(ひこさんぶぜんぼう)だ。」

 声の主は多の者には知られたくないのか、紅蓮坊の言葉を断るように言った。

 「天狗の加護を受けた男、紅蓮坊・・・」

 「あんた天狗と何か係わりあるのか。」

 巴が愕いたように言い、紅蓮坊はそれに頷いた。

 頭の中の声はそんな会話に関わりなく続く。

 「そなた、そなたの師、羽黒山金光坊(はぐろざんこんこうぼう)が与えた飯香岡八幡宮の大太刀はどうした。」

 「それは俺が貰った。」

 小太郎は得意げに背に負った大太刀を叩いた。

 「その太刀は紅蓮坊に返せ。」

 「何故だ。

 この太刀はもう俺のものだ。」

 小太郎は大声で反論した。

 「さっきも言ったようにその太刀は羽黒山金光坊が紅蓮坊に授けたものだ。」

 「違う飯香岡八幡宮で頂いたものだ。」

 「金光坊がそうし向けたのだ・・・とにかく返せ。

 お前には違う刀を与える。」

 「どんな刀だ。」

 「青江の大太刀(あおえのおおたち)だ。

 それよりは短いが、刃渡りは三尺三寸ある。」

 「小太郎、お前の身体を考えればその方が良いぞ。」

 横から兵衛が助言を挟んだ。

 「そうか、あんたがそう言うなら・・・」

 小太郎は長大な大太刀を背から降ろし、渋々紅蓮坊に手渡した。

 「それで、その青江の大太刀とやらは何処にあるんだ。」

 「知らぬ。」

 声は大きな笑い声と伴にそう言った。

 「何だと、欺したのか。」

 「はははは・・・怒るな。戯れただけじゃ。

 この神社の裏にある杉の木室を探ってみよ。」

 再度の笑い声を背に、小太郎は高住神社の裏に走っていった。

 「紅蓮坊よ、太刀の訓練をせよ。」

 紅蓮坊はその言葉に頷くしかなかった。

 「それはそこの女性(によしよう)も同じだ。」

 その声は巴に向かった。

 「(いにしえ)陰陽師(おんみようじ)の血をひく安倍巴(あべともえ)・・・」

 陰陽師・・しかも安倍・・・兵衛は独りの偉大なる男を思い浮かべた。

 「だがそのその呪力だけでは長い戦いには適せぬ。

 その為の薙刀であろうがその薙刀では鬼に対抗できぬ。」

 「これはあくまでも汎用の薙刀。

 私には藤原国広作の薙刀がある。」

 「儂はその薙刀のことを言っておる。

 その薙刀ではまだ力不足だ。

 今のお前の、最強の武器は腰の後ろに差す太刀、小烏丸だ。

 故にお前も剣術の訓練を続けなければならぬ。」

 巴もそれに頷いた。

 「そして、新田義貞の血をひく男。」

 天狗の言葉は兵衛にも及んだ。

 「その方の刀・・・」

 「確かに綾杉は拙者の剣技には向いていない。

 だが・・・」

 「解っておれば良かろう。

 それに、この旅でその方にあった刀を手に入れることになる。」

 そこまでで高笑いを残して天狗の声は消え、そこに大太刀を手にした小太郎が戻ってきた。

 「行きましょうか。」

 全員が揃ったところで兵衛が声を掛けた。


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