彦山の大天狗(4)
天狗の鼻の岩壁の上についた。
そこには小太郎が寝っ転がっていた。
「遅かったなぁ。」
小太郎はそう嘯いた。
その言葉に積戒は苦笑いを漏らした。
「ここからどうするんだい。」
小太郎はその貌を無視して言った。
「この岩を降りて、天狗の鼻の奥にある地蔵尊を詣でる。
その後は山を切り開いて、大南不動に行く。」
積戒は苦り切った顔で言った。
「小太郎、今度は一緒に来いよ。」
紅蓮坊は小太郎に笑いかけ、小太郎はそれに頷いた。
「ここまで急いできた。ここで暫し休憩を取る。」
小太郎の無事な姿を見た積戒は、安堵したように、石の上に腰を下ろした。
「おっちゃん。」
突然、梵字岩当たりを見下ろしていた小太郎が叫んだ。
何事かと紅蓮坊がそれに駆け寄った。
「見えたか、今・・・」
小太郎は谷底から突き出した岩峰を指さした。
「ほらあそこ・・・」
小太郎は今度は違うところを指さした。
紅蓮坊の眼にも背中に羽根を持った人が認められた。
その姿は背の羽根を広げ、岩峰から岩峰へと飛び移っていた。
「天狗様だ。」
紅蓮坊の大きな声に山伏達が振り向いた。
「大天狗様があそこに・・・」
紅蓮坊は岩峰の一画を指さしたが、そこにはもう何の影もなかった。
「真っ昼間から、夢でも見たのか。」
角臥は冷たく言ったが、いつまでも紅蓮坊が指さす辺りを見ていた。
「ここには、大天狗の伝説がある。」
それをよそ目に積戒が話し始めた。
その話しに依れば・・・
日本の八大天狗の一人、彦山豊前坊。
身の丈は一丈に及び、背の羽根を広げて空を飛ぶ。手の跳ね団扇を振れば大風を巻き起こす。過去には鞍馬天狗に呼ばれ、かの源義経に武術を教えたとか、逸話は山ほどある。
それが、彦山豊前坊。
その話を紅蓮坊は頷きながら、小太郎は眼を輝かせながら聞いていた。
積戒の話しを聞きながらそこで四半刻を過ごし、山の中・・森を切り開き、道を造る行程に足を踏み入れた。
それはかなり体力を擁するものだった。
しかし、先頭を行く角臥は木やら、草やらを切り開く仕事を淡々とこなした。
たまに紅蓮坊が、代わろうかと言ったが、角臥はそれを睨み付けただけだった。
木々を切り開きながら大南不動に着いた。
そこの参拝を済ませると、そこからは険しい登り道にかかった。
「足を滑らすなよ。」
積戒は皆に注意を与えた。
ここからは崖をよじ登るような行程が続く。
それを助けるためか、そこには縄が張られていた。
承斉・・・積戒は小柄な山伏に声を掛けた。
その男は何本かの長い鉄杭を背負っていた。
「前回の続きだ・・頼んだぞ。」
積戒は小柄な山伏を崖に送り出した。
「何をするんだ。」
「ここに綱を張る。
この崖を綱を頼りに、上り下りできるようにする。」
「何のために。」
「我等のような修験者のため、そして一般の参拝者のためである。」
「一般の参拝者・・・普通の者がここを登るのか。」
「迷い込むというか・・わざわざ我等修験者の真似をしたがる者もあり、年にかなりの数の滑落者を出している。その命の綱という事だ。」
紅蓮坊は納得したように頷いた。
おおーい・・・崖の上から声がした。
承斉が最初の地点にたどり着いた声だった。
その姿に角臥が綱を投げたが、それは届かなかった。
「俺が持っていこうか。」
小太郎が軽く言った。
「持って行くとはどう言うことだ。」
角臥が毒づいた。
「この綱を持って上まで登る。
そこから落とせばいいだろう。」
小太郎の言葉はあくまで軽い。
「任せてみよう。
あの天狗の鼻を軽々と登った子だ。」
積戒は綱を纏めるように角臥に言った。
「短刀はまだ持っているか。」
角臥の声に小太郎は頷いた。
「ならば良かろう。」
角臥は纏めた綱を小太郎に渡した。
その綱を肩にかけ、小太郎はひょいひょいと崖を登っていった。
「小父さん・・・」
小太郎は上にいる山伏に呼びかけた。
「ここからそこまでは斜めに行くから、そこから綱を落としたら急な崖になるよ。」
「そうか、ならばそこに目印を付けて、ここまで登ってこい。」
解った・・・小太郎は岩の切れ目に短刀を打ち込み、そのまま山伏の元まで登った。
山伏は小太郎の手から綱を受け取ると、そこに打ち込んであった鉄杭にそれを結びつけた。
「この綱を持って、さっきのところまで行けるか。」
山伏の声に小太郎は頷き、するすると降りていった。
その後を山伏が追う。
長くなっていく縄の重みに、小太郎は足を取られそうになる。
落ちる・・・下から見ている者達は、皆がそう思った。
しかし、小太郎はそんな事は意に関せず、大きく縄を振って崖の側面を走り、短刀のところまでたどり着いた。
「小父さんここだよ。」
そして、降りてくる山伏に声を掛けた。
よし・・・そう言って山伏はそこに鉄杭を打ち込み、小太郎が持っている綱を結びつけると、もう一本鉄杭を打ち込み始めた。
「何でだよ・・・二本も要らないだろう。」
小太朗はその様子を不思議そうに眺めた。
「いいからその綱を切れ。」
「どうしてだ。折角ここまで・・・」
小太郎は口を尖らせた。
「繋げると上に負担が掛かるのだ。
つべこべ言わずに切れ。」
小太郎は手元の綱を切り、その端を山伏に渡した。
それを受け取った山伏は残った束を下に投げ落とした。
下ではそれを地面に打ち込んだ木杭に結びつけた。
「綱を持った者から登ってきてくれ。
但し、一度に三人までだ。」
小柄な山伏はそう声を掛けるとまた崖を登っていった。
「俺はどうすればいい。」
その姿に小太郎が声を掛ける。
「また、綱を持って上がってこい。」
その声に、小太郎は大きな返事を返した。
そうやって少しずつ、少しずつ道を進めた。
登り切ったところは岩場・・・そこから進むと以前張られたのか、また綱場があり、そこからまた岩場。それを越すとまた綱場。
「大変な道だな。」
紅蓮坊は溜息を漏らした。
「修験の道だ。
これくらいは当たり前だ。」
それを聞いた角臥が鼻先でせせら笑った。
「俺がいた蔵王はこれ程険しくはなかったぞ。」
「そなた、陸奥の生まれか。」
積戒が問う。
「産まれたのは武蔵か相模かその辺りらしい・・・が育ったのは陸奥・・・俺はそれまで居た寺を破門になり、蔵王に登ったんだよ。」
「何をやって破門になったんだ。」
「そんな事、どうでもいいだろう。」
角臥の問いに紅蓮坊は素っ気なく言った。
「この後、何処まで続くんだい。」
二人の話を割って小太郎が言った。
「あと一つ綱場を越えれば、南岳の頂だ。そこの祠を詣でて、尾根伝いに上津宮まで行き、そこから修験堂、中津宮、下津宮を経て霊仙寺・・つまり奉幣殿へと下り着く。
そこまでが今日の道行きだ。」
積戒はこれからの行程を教えた。
最後の綱場を越えると、そこからはそれ程苦労することもなく上津宮に行き着いた。
「後は下るのみか。」
紅蓮坊は笑いながら言った。
「まあ、もう一回綱場はあるがな。」
積戒もそれに合わせて笑った。
太陽は山の端に隠れたが、まだ明るさが残るうちに、一行は奉幣殿に着いた。
「今日はここで解散だ。
明日はまた、辰刻に出立する。各々それに備えよ。」
積戒は山伏達にそう言い渡した。




