彦山の大天狗(3)
卯刻を告げる鐘が鳴ると、小太郎は紅蓮坊を揺り起こした。
二人は急いで仕度を調え、霊仙寺の境内に出た。
まだ、山伏達は来ていなかった。
それを待つ間に二人はいつもの稽古を始めた。
それを大男の山伏がじっと見ていた。
辰刻を前に山伏達が集まって来た。
そこには紅蓮坊達が同行する一団だけではなく、三つ、四つの集団があった。
「こんなに大勢で登るのか。」
「いや違う、それぞれにはそれぞれの目的がある。
例えば、あの一団は上仏来山から鬼杉を目指し、そこから、黒岩山、障子ヶ岳を走破して男魂岩、女岩を経て岳滅鬼山に到り、そこからは宝珠山、釈迦ヶ岳、大日ヶ岳と山中を進み岩屋までと言っておった。」
「そんなに山の中ばかりを歩いて何をする気なのだ。」
「彦山の霊域はここばかりではない。
我等は、遠く太宰府の竈神社までを、その区域と考えている。
その全てが、修行の場だ。」
「竈神社と言えば宝満山にある神社か。」
左様・・・と積戒は答えた。
「あの一団は今日中に帰ってこられるのか。」
「まず無理であろう・・・今宵は岩屋で一泊と言っておった。」
「俺達はどう行くのだ。」
「まず、彦山大権現に行く。」
「大権現・・・ここがそうじゃないのか。」
紅蓮坊は大声をあげた。
「ここはあくまで霊仙寺であり、彦山神宮の奉幣殿でしかない。
本山は彦山大権現。
そこから、修練の行は始まる。」」
「どう言う道取りだ。」
「西の山が見えるか。」
ああ・・紅蓮坊は返事をした。
「あの山は上仏来山と言う。
それを越えたところに彦山大権現がある。
そこから、玉屋神社を参拝し、天狗の鼻に向かう。
その手前まではそれ程苦労することはない。
話しをするとすれば、多分そこまでだ。」
「そこからどう行く。」
辰刻の初刻の鐘と同時に歩き出した紅蓮坊は、尚も質問を続けた。
「先ずはそこからは天狗の鼻・・多分その前で中食となろう。
弁当は構えてきたか。」
積戒の声に紅蓮坊は頷いた。
先ずは上仏来山を登る・・・積戒は足を速めた。
眼下に拡がる景色は気持ちが良かった。が、途中までくると木や草が茂り、辺りの景色は見えなくなった。
「角臥。」
積戒に呼ばれて大男が前に来た。
「前に出て道を開け。
そう言われて大男は腰の革鞘から長めの鉈を抜いた。
「刃物は法度ではなかったのか。」
紅蓮坊は大声をあげた。
「あれは藪を切り開くためだ。
それに我等も護身用の短刀は皆が持っている。」
「護身用・・・誰かに襲われるとで言うのか。」
「そうじゃない、獣だよ。
狼やら山狗が出ることがある。
その中で一番厄介なのが熊だ。今まで何人もやられた。
それも、あの男、角臥が来てからはなくなったがな。」
岩場は多いが比較的歩きやすい尾根を行きながら話すうちに、玉屋神社に行き着いた。
その神社は裏の岩壁に飲み込まれるようにして建っていた。
そこでの参拝を済まし、尚も歩いて行くと虚空に突き出た岩が見えてきた。
「あれが天狗の鼻だ。」
積戒は錫杖でそれを指し示した。
「あの下で中食を採る。」
「まだ、午には少し早いようだが。」
「あそこの下に着いてみれば解る。」
積戒はニヤリと笑った。
そこに来てみると積戒の言葉の意味が分かった。
とてつもない巨岩が絶壁を成している。
「これを登るのか。」
紅蓮坊はその巨岩を見上げた。
「そんな事はせぬ。
回り込むのだがそれでも相当険峻な道を行かねばならぬ。そして時間も掛かる。
どうだ、ここで中食と言った意味が分かったか。」
積戒の声に紅蓮坊は頷くしかなかった。
「俺は登る。
ここより上の方が見晴らしが良さそうだから、そこで飯を食う。」
そう言うと、小太郎は二本の紐で木刀を背に負い、岩肌に取り付いた。
止せ・・・そんな積戒の声にも耳を貸さず、小太郎は岩壁を上り始めた。
「止めさせろ。」
積戒は紅蓮坊に対し大声をあげた。
「落ちたら、自分の責任だ。」
紅蓮坊は笑いながら小太郎を見ていた。
「おっちゃん、俺が落ちたら骨だけは拾ってくれよ。」
戯れ言を言う小太郎に角臥は短刀を投げ、小太郎はそれを岩肌から身を乗り出して受け取った。
「危なくなったらそれを使え。」
角臥はそこらの岩の上にどっかと腰を落として弁当を開き、紅蓮坊もそれに倣った。
「ゆっくりはできんぞ。先に登ってあの小僧を助けねばならん。」
「その必要はない。
登れなければ落ちるだけだ。」
紅蓮坊は悠然と握り飯を頬張った。
それを横目に積戒は早々に飯を食べ終え、立ち上がった。
俺はまだ食って居るぞ。。。そう言いながらも、紅蓮坊もまた食べかけの握り飯を手に立ち上がった。




