彦山の大天狗(2)
翌朝、皆で天幕を片付け、彦山へと向かった。
その途中で、昨日の山伏の一団を先に見た。
「おおーい。」
それに紅蓮坊は大声をあげた。
山伏達は立ち止まって兵衛等一行を待った。
「彦山ですか・・ご一緒いたしましょう。」
山伏の一団の長らしき積戒は兵衛等一行に声を掛けた。
「俺も彦山に登りたい。」
突然。紅蓮坊が言い出した。
「彦山は霊山の一つ。
一度登ってみたい。」
「あんた解っているのかい。
あの山は俺達、修験者が修行のために登る山なんだよ。
あんたなんかは・・・」
「俺は陸奥の修験僧、紅蓮坊だ。
あんた等と何ら代わるところはない。」
大男の声を紅蓮坊がすぐに打ち消した。
「ここで修行をしようとは言わない、一度だけ・・一度だけ登りたい。
いいだろう、兵衛・・・」
紅蓮坊は懇願する様に兵衛を見た。
「一日だけですよ。」
兵衛は仕方なさそうにそう言った。
「おっちゃんが登るなら、俺も登る。」
今度は小太郎が言い出した。
「お前では無理だ。」
身体は大きいが、まだ十歳。
「その歳ではお山には登れん。」
修験者の長、積戒もそう言った。
「登る・・登るって決めたんだ。」
小太郎は駄々を捏ねるように言った。
「今日は霊仙寺の大講堂まで登る。
そこは彦山神社の奉幣殿も兼ねている。
そこまでは女も入れるし、童の足でも行けるであろう。」
「俺はその先まで行くぞ。」
「ならば、俺も行く。」
紅蓮坊の声に、すぐに小太郎の声が続いた。
「童の足では中津宮までがもどうだか。」
大男の山伏が卑下するように言った。
「色々と名前が出て来るが、ここにはいくつの宮があるのだ。
「一番下にあるのが霊泉寺、そこからは大きな鳥居が見える。
鳥居から先は石段。
それは霊仙寺に近づくにつれ急になっていく。
さっきも言ったように、今日はその霊仙寺近くの宿坊に泊まる。」
「そこから先は。」
すぐに紅蓮坊が質問を被せる。
「そこから先は修行の道が続く。
普通の道を行くならば、まず、下津宮から中津宮に到り、その先に修験堂・・・またの名を産霊神社。
そこから更に登って、彦山神宮上津宮に到る。」
「遠いのか。」
「たいして遠くはない。
だが我等は修験の道を登る。
その道は非常に険しい。」
その後ろで・・
ついてこれるかな・・・と言う風に大男がニヤリと笑った。
「明日早朝に霊仙寺の宿坊を発つ。
それまでに我等の宿坊の前に来てくれ。
遅れれば我等は先に発つ。」
「合図は。」
「辰刻の鐘・・・それと同時に我等は出立する。」
「早いな。」
紅蓮は不安げな声を上げた。
「心配ない霊仙寺は卯刻から鐘を打ち始める。
それで目を覚ませば、十分に間に合う。」
大男がまたしてもニヤリと笑った。
「俺が起こしてやる。」
小太郎が快活に笑った。
「よし、お前も一緒に行こう。
これも修行だ。」
小太郎の笑顔に紅蓮坊は決心をした。
「童では無理だ。」
積戒はすぐにそれが無謀だという事を訴えた。
「こいつが音をあげたら、俺が負ぶっていく。
それでいいだろう。」
紅蓮坊は強い声を上げた。
「お前も落後する気か。」
大男が鼻先で笑った。
「俺は落後はしない。」
紅蓮坊は強い声で言った。
「まあやってみることだな。」
大男はまたも鼻先で笑った。
そうこうしている内に、一番下の寺霊泉寺に着いた。
そこからは長い石段が続いている。
「荷車はここまでのようですね。」
「ここらの宿坊に泊まりましょう。」
兵衛の声に巴がすぐに賛同した。
「じゃあ俺達も・・・」
紅蓮坊が口を挟んだ。
「あんた達は明日が早いんだろう、上で泊まりな。」
巴が冷たく言った。
「そうだよ、おっちゃん。
上の方が楽だよ。」
すぐに小太郎が口を挟み、紅蓮坊はそれを承諾するよりなかった。
「ここらの宿坊に牛を預けて、霊仙寺までは私達もお参りいたします。」
兵衛は笑顔を見せた。
「そうだ、四人で登ろう。
そこからは俺とおっちゃんは上の宿に泊まる。」
「帰りは牛を目当てに戻って下さい。」
四人は急な石段に足を踏み入れた。
それから四半刻、やっと霊仙寺に着いた。
そこにはもう、山伏の一団がいた。
「かなりの宿坊があるようですが。」
兵衛は積戒に尋ねた。
「三百の宿坊が在り、山伏は多い時には三千人が集まる。」
そんなに・・・巴が驚きの声を上げた。
「あんた達はこれからどうするんだい。」
「これから護摩を焚き、明日からの安全を祈願する。」
「では俺も・・・」
「経を読めるのかい。」
そう言って、山伏の大男は笑った。
「般若心経なら覚えている。」
「ならば良かろう。
但し、経本を二冊買い求めよ。
その小僧と二人分だ。
それに刃物は禁物だ。
お前はその錫杖、そっちの小僧は・・・」
「俺は杖代わりにこの木刀を持っていく。」
積戒は二人を残して、霊仙寺の大伽藍に入って行った。
紅蓮坊は鬼の金棒を、小太郎は背に負った飯香岡八幡宮の大太刀と、腰に差した脇差しを兵衛達に預けて、山伏の後を追った。
その日は護摩焚きと経読みに暮れ、兵衛と巴は二人を残して、長い石段を降りていった。




