彦山の大天狗(1)
並木掃部ノ兵衛等二番隊は太宰府から峠を越え、穂波という所まで来ていた。
「これからどうするんだ。」
紅蓮坊の大きな声が飛んだ。
「あの山を・・・」
兵衛は小高い山の向こうに見える一際高い山を指さした。
「彦山ですね。」
巴がすぐに言った。
「彦山だぁ。」
紅蓮坊がまた大きな声を上げた。
「知らないのかい。」
巴が紅蓮坊を見た。
「あんたと同じ修験者が崇める霊峰だよ。」
「俺は修験僧だ。」
紅蓮坊は口を尖らせて言った。
「どっちも同じ様なものだろう。」
「いや、違う。
俺は仏に帰依している。」
「じゃあ、修験者は。」
巴が突っ込んで言った。
「修験者も仏に・・・」
紅蓮坊は言い淀んだ。
「ならば、同じだろう。」
巴は頬に笑いを含んだ。
違うと言いながらも、紅蓮坊はそれに反論できなかった。
「そんな事で言い争わなくとも良いでしょう。」
兵衛が笑いながら二人の会話に割り込んだ。
「とにかく今日中にあの麓までは行きましょう。」
兵衛は足早に歩いた。
「平地ばかりを進む道もありそうだな。」
紅蓮坊が額に手をかざして言った。
「そんな事をしたら遠回りになる。」
小太郎がすぐに反論した。
「そうだですね、たいした山じゃなさそうだし、山越えで行きましょうか。」
兵衛は小太郎の意見に賛同し、
「では行きましょうか。」
と、皆を促した。
博多から太宰府を経て、夜から昼までかけて米ノ山という峠を越え、阿恵という集落に着いたのはもう昼過ぎだった。
四人は夕暮れ近くに野田という人家が疎らな集落の河原に到った。
「今日はここで野宿か。」
そう言いながら、小太郎が荷車の上から荷物を下ろし始めた。
「お前のその道具にはいつも助けられる。」 兵衛は言葉をかけながらそれを手伝った。
「俺は魚でも捕ってくる。」
紅蓮坊は斜めに切った竹を担いで川に向かった。
「山菜を採ってくる。」
巴もまたその場を離れた。
「火を熾しておきましょう。」
兵衛はその二人に手を振った。
残った二人の近くを数人の男が通りかかった。
山伏だ・・・小太郎が大声をあげ、その内の一人がこちらに近づいてきた。
「子連れで野宿とは大変でございましょう。」
その山伏は兵衛に声を掛けた。
「この先に行けば、寺社があります。
我等と伴にいかがですか。」
善性坊積戒と名乗った山伏はそう言って兵衛を誘った。
その時には、他の山伏達も近くに来ていた。
その中の一際大きな男を、小太郎は見上げていた。
「我等には他に連れもあります故。」
兵衛はそれを丁寧に遠慮した。
「山女魚が捕れたぞ。」
紅蓮坊が笹に刺した山女魚を自慢げに掲げながら走ってきた。
近づいてくる紅蓮坊の巨大な身体に、山伏達は驚きの目を見張った。
自分等の仲間の一人も見上げるほどに大きい。
だが、その男は雲を突くかのように見えた。
「あの方は・・・」
積戒は驚きの声を上げた。
「紅蓮坊と言います。
我等の仲間です。」
兵衛は笑って見せた。
それにしても・・・積戒は山伏仲間にいる大男を見た。
それより遥かに大きい。
「兵衛、この人達は。」
紅蓮はそこに着くなり大声をあげた。
「彦山に登る山伏でござる。」
「山伏・・・俺の仲間か。」
紅蓮は嬉しそうに声を上げた。
普通に話しても紅蓮坊の声は大きい。
それに山伏達は、眉をひそめた。
その中で一人、例の大男だけが彼を睨み付けていた。
「お前も大きいなあ。」
その視線を感じた紅蓮坊が、山伏の中に居る大男に笑いながら声を掛けた。
声を掛けられた大男は、キッと紅蓮坊を睨み付けた。
「怖い、怖い・・・そんなに睨むな。」
紅蓮坊は大声で笑った。
「何をやっているんです。」
山菜採りから帰ってきた巴が紅蓮坊の尻を強かに叩いた。
「おお巴、帰ったか。」
長年の再会かのように、紅蓮坊は巴を抱きしめようとし、巴はそれをするりと躱した。
只の馬鹿か・・・山伏の大男はそう思った。
「何を採ってきた。」
紅蓮坊はすぐに声を掛けた。
「山菜と茸。」
巴は素っ気なく答えた。
「ご覧の通り、野宿の準備は整っております。
折角のお誘いですが、今回は・・・」
兵衛は丁寧に頭を下げた。
「そうですか・・それでは・・・」
積戒はその場を離れ、大男も後ろを振り向き振り向き、去って行った。