二人の主人公
ベルフェゴールは、自分の思惑通りに事が進んでいることに満足していた。
"盟主"の男に力を分け与えつつ、"堕落の手"を組織させた。
構成員達が各地で騒動を起こせば起こすほど、そこに生じる負の感情が与えた力の代償としてベルフェゴールへと集まって来る。
そうして少しずつ力を集めながら、組織の壊滅を狙って乗り込んでくる、凄腕の人間を待ち続けていた。
結果として手に入ったのが、ルイスの体だ。
『クハハハ……これは、最高だなぁ……もう、誰にも負ける気がしねえ……!』
圧倒的な魔力量。魔素を生成し自在に操るだけの魔力操作技術。
まだ子供だとは到底思えないその力に、ベルフェゴールの心は全能感でいっぱいだった。
『で……お前らは、そんな俺にまだやり合うつもりかぁ?』
空の上でゲラゲラと嗤いながら見下ろした先には、ボロボロになったロロンの姿があった。
その背後には無傷のミュリアもいるが、それは彼女が防御を中心として立ち回っているからだ。
明らかに戦い慣れしていないぎこちない動きを見ていれば、大した脅威でないことは丸わかりである。
加えて……ロロンが、絶対にミュリアを傷付けないように意識を割いていることも要因の一つだろう。
「決まってるだろ、お前を倒して、ルイスを……俺達の友達を返して貰う!」
素晴らしい決意、素晴らしい意志の強さだと、ベルフェゴールは心の底から賞賛した。
──この小僧を叩きのめして、目の前であっちの小娘をゆっくりと八つ裂きにしたら、さぞ愉しいだろうなぁ。
そうなった時、ロロンがどんな表情を浮かべるのか想像するだけで、涎が溢れて止まらない。
(気になるのは、あっちの小娘が振るうあの力……明らかに、悪魔と相性が良いことか)
悪魔の器。
生まれつき悪魔と近しい力を持っているが故に、悪魔が非常に容易く憑依出来るだけでなく、悪魔の力を百%余すところなく発揮することの出来る、最高の肉体。
悪魔としては、喉から手が出るほどに欲しい存在だが……今宿っているルイスの肉体もまた、悪魔の器ではないが最高に優れた能力を持っている。
この体を捨てて、ミュリアの体に移るのか。
ミュリアを諦め、より色濃いロロンの絶望を喰らうのか。
ああ、どちらも捨てがたいと、ベルフェゴールは悩まし気に自らの唇を撫でた。
「うおぉぉぉぉ!!」
そこへ、ロロンが突っ込んで来た。
魔素で足場を築きながら、恐るべきスピードで空を駆けのぼるその突撃は、なるほどこの歳にして素晴らしい練度だと認めざるを得ない。
しかし……それだけだ。
『無駄無駄ぁ!』
指先から放たれるは、黒い流星。
ルイスが本来持っていた、白い魔素による魔法に悪魔の力を上乗せした一撃は、ロロンの体を貫いた──ように見えた。
直後、その体が霞のように消え失せ、目の前に迫る。
「《滅魔斬り・霞閃》!!」
ロロンの抜刀術がベルフェゴールを捉え、ルイスの体に入った本体を斬り裂く……ことはなく、その身を守る防御結界に阻まれた。
バチンッ、と魔力同士が反発する激しい音を響かせながら、ロロンが悔しげに歯を食いしばる。
「くそっ……!!」
『ハハッ、無駄だってぇの……知ってるんだぜ? お前、コイツに一度も勝てなかったんだろ? この防御結界を一度として破れなかったんだろ? 俺にはこの小娘……ルイスの記憶が共有されてるからなぁ、分かるんだよ』
「……ッ」
悪魔は、憑依した人間の心も体も、記憶さえも全て奪い、己が物として扱うことが出来る。
どこまでを自由に出来るかは、相手の抵抗力と憑依の深さによって変わるが……《《完全な》》憑依に成功してしまえば、その人間にとってもっとも大事な記憶とて容易に覗けるのだ。
『おもしれぇよなぁ! コイツ、未来から来た人間なんだって? それで、悪魔に滅ぼされた故郷を守りたくて、小せぇ頃からコツコツコツコツと一生懸命努力して来たんだとよぉ……涙ぐましい努力家じゃねええか。全部無駄になるってのによ!! ギャハハハ!!』
ルイスが悪魔を根絶やしにしたいと願うほどに強い恨みを抱いていると分かったベルフェゴールは、猶更深く記憶を漁り、彼女にとっての大切な思い出を一つ一つ掘り起こしては、それを利用して嘲笑った。
特に"効いた"のは、やはり悪魔の手で滅びゆく町の様を、目の前で見せつけたことだろうか。
『お前が来たから、お前らが俺に手を出したから、この町は滅ぶことになったんだよ、お前らのせいだ……なんて囁き続けたら、コイツどうなったと思う? "ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい"っつって、壊れた玩具みてぇに同じことばっかり延々と繰り返してよぉ! てめぇにも見せてやりたかったよ本当に!!』
「この、クソ悪魔が!! てめえは絶対に俺が滅ぼす!!」
怒り狂うロロンを見て、悪魔は更なる愉悦を覚える。
こうして人を煽り、人から溢れた負の感情を喰らってこその悪魔だ。
特に、強者が放つ負の感情は、それだけ多くの魔力にその感情が乗って悪魔の餌となるため、ベルフェゴールとしては最高の馳走だった。
(とはいえ、そろそろ飽きて来たなぁ)
いくら美味い感情といえど、同じものばかりでは流石に嫌気が差す。
あまり長々と戦い過ぎて、余計な援軍やら何やらがズルズルと追加されていくのも面倒くさい。
ロロン自身、大して打つ手もないのだろう。
先ほどからずっと、バカの一つ覚えのように効きもしない抜刀術を結界に叩き付けて来るばかりで、何の面白みもなかった。
『そろそろ、終わりにしてやるよぉ……』
ベルフェゴールが手を掲げ、空中に無数の魔法陣を構築する。
ルイスがロロンと模擬戦をしていた時、トドメの一撃としていつも用いていた砲撃の雨。
悪魔の力を加え、圧倒的な物量で圧し潰すこの魔法で、全てを終わらせるのだ。
『《黒砲雨》』
降り注ぐ、漆黒の絶望。
これ以上長引かせないため、防御結界を維持できる範囲で限界近くまで数を増やしたそれが、一斉にロロンを襲い──その、瞬間。
ロロンの口が、ハッキリと笑みの形を作った。
「今だ、ミュリア!!」
「ん……!! 喰い尽くせ、《黒触手》……!!」
ミュリアが手を掲げると同時、ベルフェゴールを覆う防御結界から、無数の触手が誕生する。
なっ、と驚くと同時に、ようやくロロン達の狙いがなんであったか理解した。
(こいつらぁ……あの小娘の魔力が俺達悪魔とほぼ同質なのを利用して、あの小僧の刀で少しずつ俺の結界に植え付けてやがったな!!)
普通の人間の魔力であれば、すぐに気付いただろう。
だが、ミュリアは悪魔の器として、悪魔に近しい魔力を持っている。だから、ほぼゼロ距離で結界にへばりついていたその力の存在に、気付くことが出来なかった。
『だが、この程度……!!』
ミュリアの黒い触手の魔法が、防御結界から魔力を吸いだし、その効力を弱めていく。
なまじ、攻撃のために多くの力を割いた瞬間を狙われたことで、対処に遅れは出ているが……問題ない、この程度で結界は破れない。
そう、例えここで、ロロンの《霞閃》を叩き込まれようと、まだ──
『待て……なんだ、その力は……!?』
漆黒の雨を前にしながら、ロロンがベルフェゴールも知らない力を溜めていたことに気が付いた。
単なる魔素ではない。更なる魔力を注ぎ込み、今にも爆発しそうなその力は、完全に未知のものだ。
ルイスの記憶を持っているのに。
「──《神閃》!!」
魔素が、爆発する。
その反発力を活かし、これまでとは比較にならない超加速を見せたロロンが、漆黒の雨を潜り抜けてベルフェゴールに迫り……その防御結界を、打ち砕いた。
『うおぉぉぉぉ!?』
ベルフェゴールが首を下げ、ロロン決死の抜刀術を回避する。
パキン、と何かが砕けた音がしたが、ベルフェゴールはギリギリのところでその凶刃から免れることが出来た。
『クハハハ!! 惜しかったな!!』
危なかった、と冷や汗をかくベルフェゴール。
しかし、ロロンは悔しがる素振りもなく、むしろ笑みを溢していた。
「いや……狙い通りだよ」
『は……? ぐっ、あぁぁぁ!?』
ロロンの刃が砕いたもの。ベルフェゴールの……ルイスの髪に付いていた髪飾りから、純白の魔素が溢れ出し、ベルフェゴールの魂を焼く。
同時に、その奥底で眠りについたはずの声が蘇った。
『ははは、油断したね、ベルフェゴール』
『てめぇ……!? バカな、完全に心をへし折ったはず……!?』
『折れたフリをしただけだよ。ボクの一度目の記憶や、大事な過去の思い出を覗けたから、それで全部だと思っちゃった?』
『ッ……!!』
そこでようやく、ベルフェゴールは気付いた。
ロロンの《神閃》について分からなかったのも、髪飾りの魔素について知らなかったのも、ルイスがその記憶を強固に守っていたからなのだと。
普通の人間なら、絶対に覗かれたくないと願う記憶全てを曝け出してまで。
(あり得ねえ、どんな精神構造してたら、そんなことが出来る!? それに……あの小僧も小僧だ、《《いつそれに気が付いた》》!?)
ロロンがここに来た時、ルイスは既に話せる状態になかった。
髪飾りの魔素にしたところで、気付くタイミングなどどこにあったのか。
仮にどこかのタイミングで気付いたとして……ルイスの覚醒を信じて、それを前提とした作戦を立てるなどあり得ない。
(こいつら……揃いも揃って、狂ってやがる!!)
『これでお前は、もう動けない……!! 大人しく滅びろ、ベルフェゴール!!』
ルイスの声は、あくまで頭の中で響いているに過ぎない。
しかし、ロロンはまるでそれをしっかり聞き取っているかのように……動けないベルフェゴールに向け、刃を向ける。
「これで、終わりだ……《滅魔斬り》!!」
刃先から伸びる純白の刃が、ベルフェゴールを斬り裂いて──
ラインベルク領で発生した"堕落の手"による一連の事件は、ここに終幕を迎えるのだった。




