地下ネコ帝国
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私たちが歩く道路の下には、巨大な空間が広がっており、そこではたくさんの猫達が暮らしている。
私がこの目で、その『地下ネコ帝国』を実際に見たわけではない。誰かが見たという噂を耳にしたわけでもない。真夜中に散歩していると、ふと『そうではないのか? いや、そうであるに違いない』と思ったのだ。思っただけなのだ。
だから、このエッセイの最初に『たくさんの猫達が暮らしている』と断定的に書いたのは間違いである。現実と予想をごちゃまぜにして書かれた文章である。
こうだったらいいな、という思いから、ついつい断定的に書いてしまったのだ。けれど文章を訂正する気は全くない。
大手出版社で校閲の仕事をしている人から『いやいや、ここは根拠に乏しいですよ』と言われても、神様から『書き直した方が良いんじゃない?』と言われても、私は絶対に、揺るぎない信念を持って、文章を訂正しない。
だってそっちの方がいいじゃないか。地下に猫がいないより、いる方がいいに決まっている。
想像して欲しい、深夜に君が街を歩いている時を。空を仰げば星空が広がり、辺りを見渡せば街灯に照らされた黒い道が見える。遠くの方にはコンビニがあって、少し歩けばバス停が見える。誰も人はいないのに、信号機は交通整理の仕事を大真面目にこなしている。
昼間とは違う世界。静寂が支配した暗黒の領地。そんな静無の世界に、どこかから反逆の狼煙が上がる。
ニャー、ニャー、ニャー。
猫だ。
君は周囲を見渡す。
どこだ。どこに猫がいるんだ。
いくら探しても見つからない。
それは辺りが暗いからではない。たとえ太陽のように明るい懐中電灯を持っていたとしても君は猫を見つけられない。
何故なら鳴き声は横方向や上方向から聞こえるのではなく、下から聞こえるからだ。君が今立っているアスファルトの真下から聞こえるからだ。
まさか、そんなまさか。
君は気づいてしまった。地下ネコ帝国の存在に。
驚くだろう。無理もないよ。私だって驚いてしまう。政治家も、本屋の店員も、カスハラだけが人生の生きがいになってしまった君の祖父だって、なんてこったと腰を抜かすさ。
君は深呼吸して冷静さを取り戻す。夜に冷やされた空気が肺を、脳を満たすんだ。
確認のため耳を澄ませる。姿勢を低くする。汚いアスファルトに耳を引っ付ける。首を捻って土下座する姿勢さ。
そのポーズで4秒、5秒待つ。するとまた聞こえるのさ。
ニャー、ニャー、ニャー。
もう言い訳なんてできないよ。ネコ声の振動がアスファルト越しに聞こえたんだからね。確認が確信に変わったのさ。
それで、そんな風な体験を想像して、君はどう思ったかい? いいや、言う必要はないよ。分かるさ。幸せを感じたんだろう?
恥ずかしがることは無いさ。世の中には動物好きを公言することに躊躇いを感じる人もいるようだが私は決してからかったりしない。
『ふーん。意外ですね』とか言わないし『イメージと違いますね』なんてことも言わない。ひょっとこ顔と真顔の中間の表情をして笑いをこらえたりしない。
だから君も『意外ですか?』とか『どんなイメージ持ってたんですか』とか今までの気恥ずかしい経験から習得した定型文を返す必要なんてないんだ。私は知っているんだ。君がなんてことない調子でその台詞を喋っているが心の中では『しまった、喋りすぎた』と後悔していることを。
気にすることは無い。堂々と、幸せを感じたと言ってくれ。私たちの真下には猫がいるんだ。これは幸せな事なんだ。喜ばしい事なんだよ。
自分に正直になること、それが人生を開拓する第一条件さ。
さて、猫達はその空間で一体何をしているんだろうね。
予想だけど、彼らは自由な生き物だから好き放題遊んでいるんじゃないかと私は思うんだ。
寝っ転がって、仲間の猫と追いかけっこして、疲れたら寝て、時々車が通行する音や人の笑い声にびっくりしている。そう思う。
彼らはいつからそこにいるんだろう。どこからその帝国に入れるのだろう。疑問は尽きない。
誰か大学教授が調査してくれるといいな。研究費なんて簡単に集まるだろうね。なんせ猫だ。猫の研究だ。世界中からお金が吸い寄せられる。
普段は小ばかにした様子で『そんな研究何の役に立つんですか?』って聞いてくるような人達も、こぞって全財産をこの研究に投資するんだ。
ここで一つ、私の考えを述べさせてもらうよ。私は大学教授じゃないけど、一つ予想があるんだ。
猫達は元々、人間だったっていう仮説さ。
帝国の住猫たちは、ブラック企業のサラリーマンだったり、モラハラの激しい夫を持つ妻だったり、受験期の学生だったり、この世界から抜け出したいって思った人たちなんじゃないかな?
例えば『お前本当に使えないな。新入社員に営業成績負けるって今まで何やって来たんだよ。これからどうすんの? 何も考えてないだろ? やる気ある? お前会社にとって必要ないよ。どうする? 飛び降りする?』って言われたサラリーマンが発狂しながら会社を飛び出すんだ。
家に帰っても居場所なんてないからスーツ姿のまま側溝に潜り込んで、ほふく前進でどこかへ向かうのさ。
どこへ行けばいいのか、どこまで逃げればいいのか、分からないけれど本能のままに進むのさ。
そうしているうちに体が段々小さくなっていくのに気づく。毛深くなって聴力がいつもより冴えていることに気づく。体は軽くなりスーツが随分ブカブカだと感じる。
こうして人は猫になるんだ。
あとは匂いさ。
同類の匂いがする方に向かえば居心地のいい『地下ネコ帝国』にたどり着くんだ。
そこにはたくさんの猫がいる。三毛猫もいれば黒猫もいる。マンチカンもいればスコティッシュフォールドもいる。
そこで彼らは幸せに暮らすんだ。そりゃあ自然界で生きるからね、厳しい事もあるさ。食に困ったり病気になったり。けれど人間に戻りたいと思う猫は一匹もいないのさ。そんな人は猫になんてなっていないのさ。
彼らを探す人は一人もいない。一瞬だけ思い出すけど『どっか消えたけど、まぁいっかー』と思われて終わりさ。警察に捜索願なんて出さない。誰からも心配されない。監視カメラの捜査が行われないから、帝国が警察に見つかることもないわけだ。
私も、君も、どこかに逃げ出したいと思うときがあるはずだ。
何もしなくても無条件で愛される存在になりたいと思うはずだ。だから『そんなバカげた帝国は存在しない』なんて悲しい事言わないでおくれ。
あるといいな