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侯爵家での新生活が始まった。
侯爵様はしばらくの間私を見る度に小さくなっていて、なんだか落ちつかなかったものの、一緒にお仕事をしてみれば思い切りがよく、周囲の意見をよく聞く方だった。座っているより体を動かす方が好きで、事務仕事から逃げようとするのは侯爵様だけでなく、ラルフ様もそうだった。
副団長秘書の初日はラルフ様と団員二人をこき使って部屋を片付けた。
積み重なった書類は向きもバラバラ。本棚の本は横倒しになっていて、机の上や床にも資料が積まれている。遠征や訓練になると喜んで出かけるのに、片付けになるとだらだらして、やる気がないとしか思えない。
夕方には何とか立って仕事をしなければいけない状態ではなくなった。…椅子の上まで物置にするなんて、どうやって仕事してたのかしら。
これ、秘書と言うより、お掃除係?
部屋が片づくと、私が行く時間には必ず部屋にいて、席に座って大人しく仕事をしてる。
「マリーさんが来てくれる日はちゃんと部屋にいてくださるので、それだけでも助かります」
とは、副団長補佐のヘンリーさんの言。
…レベルが低い。
事務的な仕事だってできないわけじゃない。きちんと仕事すれば順調に仕事はさばけ、そのうち仕事の合間にお茶の時間なんてとれるようになった。何でも自らお菓子を買いに行ってるとか? お茶の準備をしてるとラルフ様のほかはいなくなるし、変な気を回されている気がする。
「勤務時間中におやつなんて…」
気は引けるけど、おいしい。せっかくなのでじっくりと味わっていると、
「じゃ、おやつは休みの日にするか」
そう言って次の休日に街に誘われ、おしゃれなカフェでごちそうになった。にもかかわらず、業務中のお茶の時間がなくなることはなかった。
…あの「じゃ、」はなに? じゃ、は。
模擬戦を見に来いと言われ、応援に行くと嬉しそうだし、応援しがいがあるくらい強い。
北の養護院の近くに用がある時は同行させてくれ、合間に養護院に顔を出して差し入れをすることができた。
馬に乗れると言ったら週末に遠出に誘われ、乗馬服までもらってしまった。
こうなってくると、さすがにうぬぼれでなく、ラルフ様に気に入られてることに疑う余地はなかった。
でも私は平民の使用人。ラルフ様は侯爵令息。身の丈に合わないことくらいはわきまえている。多分ラルフ様もそう。わきまえているから、好意は示してもはっきりとは言わないのだと、そう思っていた。そう思おうとしていたのかもしれない。
領外から侵入してきた強盗団が捕まった。捕まえるのは早かったのに、その報告書作成に四苦八苦し、いつもより遅いお茶の時間をとった。
「お疲れ様でした」
先日街で見かけたティーカップが備品として置いてあった。お茶を淹れるのも慣れてきて、納得のいく味が安定して出せるようになってきた。
ラルフ様はカップに口をつけ、ほっと一息漏らしてぼそりと言った。
「いいな。こうやって時間を過ごせるのは」
「そうですね。頑張った後のお茶は格別です」
「これからも、…おまえの淹れたお茶が飲みたい」
?
「お茶くらい、いつだっておっしゃってくだされば」
「仕事の後も」
…?
「休みの日も」
……?……?
「この先、ずっと…俺のそばにいてほしい。おまえに代わる人はいない」
!!
その思いが言葉になるのにうんと時間がかかったけれど、気持ちは伝わった。
思い違いではなく、身分の違いがあっても私を選んでくれている。
わきまえたふりのできる良い子はいなくなり、私は自分の思いのまま、素直にこくりと頷いた。
「今、頷いたな?」
何故か鋭い目でじっと見てくる。
「頷いたなら、…もう俺のものだ」
そう言って急に口元を緩めたかと思うと、あっという間に私はラルフ様の腕の中にいた。
少し強めの抱擁から、優しく触れた唇はみるみるうちに遠慮をなくし、溺死未遂の次に長く息が止まった。
こ、この人はっ、今告白されたばっかりないのに!
ちょっと早急すぎるけど、その想いが今始まった訳じゃないことはわかってる。
ずっと、私を想ってくれていた。私が立ち直るまで見守ってくれた。想いに気付いてからもずいぶん長かったけれど、慎重に、慎重に、忍耐強く「待て」はできるのに、「よし」が出た途端、即行動…。
それさえも、ラルフ様らしい。
「いつから、気になってました? 私のこと」
思い切って聞いてみたのに、
「教えない」
と言われた。それじゃつまらないので、じーっと見ていると、
「人のものは取らない主義だ」
そういって、ぷいっと目を背けてしまった。それなのに絡んだ指はより強さを増している。
それって、私がオリヴァー様の恋人だった時から?
…まさか、最初に声をかけてくれた時ってことは…
ううん、いつからだっていい。今日からが二人の始まりなのだから。
ラルフ様の想いを受け入れはしたものの、平民になった私では家格が合わないことが心配だった。ところが侯爵様は「侯爵子息といえど三男だ。勝手に持ってけ」だし、「必要なら養子にしてさしあげるわ」(!!)とジョアン様も言ってくださった。さすがにジョアンママはお断りしたけれど、私達に家格なんて些末な問題だった。
マリーとしてのやり直しの人生はまだ始まったところ。これからのことはわからない。
だけど、そう簡単に代わりが見つかるような私でありたくない。
私は私。誰かにとっても、私にとっても…。
お読みいただき、ありがとうございました。
誤字ラ出現のご連絡、ありがとうございます。
投稿後も気の向くまま修正かけてます。
2024.8.1
オリンピック華やかなりし酷暑に。
暑い。眠い。