17
卒業式に現れた真新しい制服を着た女を、誰も見たことがなかった。
栗色の髪に青い瞳。
四年間共に学んできた仲間のことを見間違えたりしない。見覚えのない姿に誰もが遠巻きに見ていたが、女はにこやかに笑みを浮かべ、卒業生の席に座り、自分に与えられる卒業証書を待っていた。
今日は冴えない栗色のウィッグをつけている。女は自分の金色の髪のほうがずっときれいだと思っているが、今日は偽物に合わせる必要がある。婚約披露パーティの時も髪色を変えろと言われ、泣いてお願いして自分の髪のまま出たけれど、噂に聞く子爵令嬢「マリー-ベル」の容姿との違いに疑問を持った人がいた。
どうしても出たかった卒業式。自分の名前が書いてある卒業証書を自分の手で受け取りたい。自分のために用意されているのだから。両親は出るなと言ったけれど、制服を買っても文句を言わなかった。ずっと憧れていた制服は誰よりも自分こそ似合ってる。代わりにウィッグをつけるくらいなら我慢してもいい。自分にとっては大きな譲歩だ。
一人づつ名前が呼ばれていく中、いつまで経っても呼ばれない自分の名前。
最後に残された名前は二つ。
「マリー-ベル・ソーントン」
ようやく呼ばれた名に立ち上がったが、名前を間違えている。指摘しようとしたがそれよりも早く
「本日欠席。代表、ジョアン・マーベル」
「はい」
すぐ隣に座っていた令嬢が立ち上がった。
「お待ちになって! 私はここにいます。欠席じゃないわ!」
女の訴えに、壇上に向かおうとしていたジョアンが振り返った。
「あなたは私の親友、マリー-ベルではないわ。あなたはどなた? 学校で一度もお見かけしたことないわね」
女に冷ややかな視線を送ると、ジョアンはそのまま壇上に登り、学校長から卒業証書を受け取り、貴賓席にいる国王に一礼した。
女は周囲の目から隠れるようにそのまま席に着いたが、この上なく居心地は悪かった。周囲の視線が痛いほど突き刺さり、卒業生は誰一人女に関わらない。女を置き去りにして式は進行し、卒業式は終わった。
式が終了すると、マリアベルは周りを衛兵に取り囲まれ、別室に連れて行かれた。
そこにはアッシュクロフト侯爵とソーントン子爵夫妻がいた。しばらく待たされた後、遅れて入ってきたのは今日の貴賓、国王だった。
この場にマリアベルの両親はいない。今日は家で大人しくしていろ、卒業式には出るなと言われていたのに、どうしても卒業証書を自分の手で受け取りたくて屋敷を抜け出して来たのだ。
憧れの学校、この日のために用意した制服。あれは私の物。私の…。
アッシュクロフト侯爵が小さなペンダントを机の上に置いた。
青いバラが描かれた見知らぬペンダント。
「これは、昨日池で発見された女性がつけていたものだ」
「それがなにか?」
マリアベルは少しの動揺も見せなかった。マリー-ベルがつけていたものになど興味はない。
侯爵がバラの模様のペンダントトップに触れると、音が出てきた。
これ、何かわかる?
それは、マリアベルの声だった。昨日、マリー-ベルに人形を見せた、あの時の。
何故、あの時の声が今頃聞こえてくるの…?
マリアベルは目を見開き、動きを止めた。
誰もいなかったのに。誰にも知られず終わったのに。
あなた、制服を持って行ったでしょ。明日の卒業式に出るつもり?
出ないって約束するなら、これ返してあげてもいいわよ?
好きな人からのプレゼント。振られちゃった人でも大事な思い出でしょう?
あの日から叔父様の娘マリアベルは私。あなたはもうどこにもいない子なの
私の周りをうろちょろされても目障りなのよ
その人形は、アナベルさんの…
アナベルなんて、とうの昔に死んだくせに、
まだあんな部屋が残されてるなんて
あの子の物、みんな捨ててやったら出ていけですって
お父様に頭が上がらないくせに
いつだってお父様の機嫌を見て、しっぽを振って、
代わりのあなただって言われたまま平気で捨てたくせに
あんな田舎の家を継いであげるのよ
いつまでも死んだ人の部屋なんていらないの
気味が悪いわ
アナベル、あなたは死んだの
水の底に沈んだのよ。もう誰もあなたなんか見てないわ
「ううっ」
子爵夫人がこらえ切れず嗚咽を漏らした。
だめよ!
マリー-ベルの叫ぶ声がして、バシャン、と大きな水しぶきの音がした。
落ちたとしか聞こえない。そう、マリー-ベルは落ちたのだ。ペンダントを拾おうとして、身を乗り出して、勝手に自分で…
そん□□大事だっ□?
じぶん□ふった□□□□え□□□、□□□冴えな□□男か□もらっ□□□□
板を踏みつける音、途切れ途切れの声、バシャバシャと水しぶきの音。
私□巻き込□□いでっ
□□□□泳げな□□□□の。仕方な□□□寄ってこ□□□
わたしガ無事ナ□いい□。わた□□大事□□□の。あなたなん□□違う□□□
ばかなアナベ□。泳げもしな□□、あんなにんぎょ□ひろい□いく□□□
もっ□遠く□投げテやれ□あきラメ□□?
途切れながらも耳に届いた言葉に、子爵夫妻は悲鳴さえも上げられず、目を見開いたまま互いの手を取り合い、震えていた。
もっと、とおくに、なげてやれば…?
やがて水しぶきの音は小さくなり、こもる音にペンダントの音声が引き上げられた。
雑音が大きく、言葉は不鮮明になっていく。
おぼれたひオオ たすけらエア□□オ しかたがアイオオ
わたし□おヨげな□□アアア
たすけにいっ□しぬ□□□おばかさン□□□
こわイも□□みせラレ□かわイそー□ワタ□ わたし□かわいオー□□□
□□□□□□□□□
□□□□□□