14
夜遅い時間ではあったけれど、明日まで待っているのが怖い。急ぎ部屋の荷物をまとめてここから出て行くことにした。
部屋に戻ると、私の制服が切り裂かれ、これみよがしにベッドの上に放り投げられていた。
卒業式には出るな、ということ。
これにはさすがに堪えて、涙がボロボロあふれてきた。
でも今は泣いてる場合じゃない。袖で涙を拭った。
持ち運べる最低限の荷物を選ぶことにし、破れた制服も入れた。惜しいけれど本は諦めよう。友達とおそろいの筆記具は入れて、あとは…
玄関に降りるとエリンがいた。エリンは
「お部屋への侵入を止められず…。力及ばず、申し訳ありません」
と言って頭を下げた。
「昔からあの方の嫌がらせは執拗で」
「あの方」はマリアベルさんのこと?
「エリンはマリアベルさんを知ってるの?」
「一時期、あの方の侍女をしてましたので。…本当にあの方は変わらない」
深い、深い溜息。
きっとこの家の様々な事情を知っているのだろう。知っていながら語れないことも多かったに違いない。それでも私のことを守ってくれた。そんな強さに感謝したい。
「こんな時間でもここからお離れになる判断は間違っていません。…どうか、お気をつけて」
「ありがとう」
伝えきれない感謝を悔やみながら、私は四年間を過ごした伯爵家を離れた。
戻る家はもうない。とりあえず今からでも泊まれる宿があればいいけれど。
そう思っていると、
「マリー、こっちだ」
聞き慣れた声に呼び止められた。ランタンを手に手招きしていたのはエリックだった。
「こんな時間に追い出されたのか?」
「自分で出てきたのよ。これ以上あそこにいると何されるかわからないもの」
「正解だ」
そう言って、すぐ近くに止めてある馬車から降りてきたのはラルフ様だった。
今の自分の格好と正装したラルフ様があまりに違いすぎて、とても遠い人に見えた。
「時間も遅い。とりあえずうちに来るといい」
本来なら遠慮すべきなんだろうけど、行く宛てのなかった私は、
「…お世話になります」
と答え、馬車に乗り込んだ。
アッシュクロフト侯爵家は、さすが私設騎士団を持つほどの大領主だけあって、王都のお屋敷もお城かと思わせるほどの大きさだった。
もはや子爵令嬢でもない私、使用人の部屋で充分と言ったのにゲストルームに通された。
しばらくすると侯爵閣下から呼び出しがあった。
今回の件を侯爵家としても確認したいようで、ラルフ様、エリックも同席した。
「おまえが子爵家の養子のマリー-ベル、で今回養子としてお披露目されたのがマリアベル…。マリー-ベルのことを知らない者にとっては、マリー-ベルの経歴がそのままマリアベルの経歴と見なされる訳か。…考えたものだな」
侯爵様はその悪知恵に感心していた。
「マリアベルさんは、マリアという名だったそうです」
「マリアは訳あって修道院に送られていた伯爵家の娘だ。マリアのままでは嫁にも行けず、策を講じたのだろう。ブルックスは体よく騙された訳だ」
「騙されたとは限りませんよ。次男に子爵家をあてがうため、あえて受けたとも考えられます。身元の明らかな元伯爵令嬢の方が望ましいと判断したとも」
ラルフ様の意見も充分にあり得る。
「…ブルックスの考えることまではわからん。だが、私ならあり得んな。私が今日のパーティに参加していたら、斬り殺していたかもしれん」
過激な侯爵様の発言に心臓がバクバクした。斬り殺すって…、目にこもる殺意、本当にやりかねない。
「俺が代わりに行って正解でしたね。…よくもうちに招待状を送ってこれたものだ」
ラルフ様もまた怒りを隠そうともしない。そこまで侯爵家に恨まれるようなことをしたのかしら、あのマリアベルさんは。
「で、おまえさんはどうするつもりだ?」
侯爵様に聞かれた私は、
「とりあえずは、卒業式には出るつもりです」
そう答えると、侯爵様もラルフ様も目を丸くしていた。
「本気か?」
「ええ。せっかく四年間を過ごしたのですから」
ラルフ様は心配顔だったけれど、侯爵様はにやりと笑って見せた。
「いい根性だ。だが、ソーントン伯やマリアが何をしてくるかわからん。式まではこの家から出ないようにしたほうがいいだろう」
「ありがとうございます」
ここで守ってもらえるなら心強い。お世話になれることに感謝し、深く礼をした。
「卒業式の後のことは決まってないんだろう? やりたいことがあるなら援助しよう。これも何かの縁だ。遠慮するな」
そう言ってもらえたのは嬉しいけれど、今はこれからのことなんて何一つ思いつかない。
その後も侯爵様やラルフ様にいろいろ聞かれたけれど、一時はいとこでありながらマリアさんのことは子爵夫妻からも何も聞かされていなかった。恐らく本館が騒がしくなった頃に戻って来たのだろうとラルフ様は言うけれど、それさえも確証はなく、私からはあまり役に立つ情報を提供できなかった。