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その後お父様から手紙が届き、婚約の件はまだ伯父様と連絡がつかず、詳細は把握できていない。近く王都に向かうと書かれていた。
もう婚約なんてどうでも良かった。お父様と一緒に領に戻れるなら、それで構わない。
来てくださるとわかって、少しだけほっとした。
その後、特に事件はなかった。それでも警戒心を緩めることなく、毎日を過ごす。
部屋には鍵を追加して、スペアキーはエリンにだけ渡し、部屋の掃除は自分でやると言って断った。
何とか卒業レポートを書きあげ、口頭試験も合格し、無事卒業できることが決まった。
家に帰る準備は進み、友達と別れる寂しさ以上に早く王都から出たくてたまらなかった。
早くここから離れたい。家が恋しくて仕方ない。
卒業式の一週間前、突然本館で行われるパーティに招待された。
伝えられたのは前日。招待状と一緒にドレスや靴も渡され、断ることは許されなかった。
ドレスは立派なものだったけれど、少し色がくすんでいた。誰かのお下がりなのかもしれない。サイズが少し大きくて、エリンと一緒に急いで直した。
針を動かしながら、
「どうか、…ご無事でありますように」
そう願ってくれるエリンは、この家での数少ない私の味方だった。
きっとエリンは知っている。今日のパーティで何かがあることを。
伯爵の決めたことに逆らえる人はこの家には誰もいない。エリンだけじゃない。私もそう。
エスコートもなく、執事に先導されて本館の大広間に向かった。四年間同じ敷地内に住んでいて、初めて足を踏み入れた場所だった。
さすが伯爵家のパーティともなるときらびやかだった。私一人が入ったところで目立つこともなく、身知らぬ女が古めかしいドレスを着て壁際で立っていても、声をかけてくる人はいなかった。
遠くにラルフ様がいた。ラルフ様も呼ばれていたのだ。目と目が合い、小さく頷いただけでお互い声をかけることはなかった。
やがて、伯爵夫妻が入ってきた。愛想の良い笑顔を見せて堂々と歩いてくる。その後ろには一際目を引く深紅のドレスを着た金色の髪のご令嬢が続き、その人をエスコートしているのはオリヴァー様だった。
オリヴァー様と目が合い、すぐに目をそらされた。
オリヴァー様はあの人を選んだのね。私ではなく、あの人を。
その後ろには、恐らくオリヴァー様のご両親、そして、私の両親もいた。お父様もお母様もずいぶん疲れた顔をしている。そして両親もまた私を見つけると気まずそうに目をそらした。
一気に不安が増した。ひとりぼっちになり、置いて行かれたような不安…。
私がここに呼ばれた理由。それはこれから起こることを見せつけるために違いない。
「ご来賓の皆様。私の姪マリアベルにこのたびオリヴァー・ブルックス侯爵令息との婚約が整いました。オリヴァー様にはマリアベルと共に我が弟の領を継いでもらうことになりました」
伯父の話に耳を疑った。
伯父の姪…、マリアベル?
それは、…それは私の…こと…では……
学校の名前の誤記を思い出す。あれはあえて…
子爵家を継ぐのも、オリヴァー様の婚約者も、全て目の前の似ても似つかないマリアベルさんのものになっている。美しい金色の髪、整った目鼻立ち、空のように青い瞳。微笑みの中に冷酷な悪意を込め、私に視線を向けてきた。
マリアベルさんはこの家を我が家だと思っている。私の両親以上に伯爵夫妻と親しげにしていて、使用人達も慣れた様子で接している。伯爵夫妻の様子からもマリアベルさんは二人の娘に違いない。
ソーントン子爵令嬢の「入れ替わり」に、会場の何人かは気付いていた。だけど何もわかっていない、ただの婚約披露だと思っている人も多いはず。伯爵家のこのパフォーマンスをもって全ての入れ替わりは完了し、卒業後「マリアベル」は子爵家に「戻る」のだ。婚約者を連れて…。
乾杯の歓声の中、よろける足を踏ん張って何とか部屋に戻った。
すぐに自分の服に着替え、濃い化粧を落とそうと鏡に向かって、その姿に思わず笑いたくなった。
普段着に合わないまとめ上げられた髪、濃いめの化粧。ここに来てから一度もしたことのない貴族のような装いは、その中身の私を含めてみんなニセモノ。
「嫁入り道具」の一つとして、私の学位も持って行きたいのだろうか。学校に登録されていた名がeではなくa、Mariabelだったのも意図的だったに違いない。
だけど学校で学んだのは「マリー-ベル」。試験を受けたのも、レポートを書いたのも、友人と巡り会ったのも、みんな私。私なのに。
孤児を厭いながら、孤児の名を奪い、孤児の挙げた業績を横取りする。取られて当然と言わんばかりに。
初めから伯爵家の娘と入れ替えるつもりだった? 全てを取り上げるつもりで育てたの?