人気女優の幼馴染は、「演技の練習」と言えばどんなイチャイチャも許して貰えると思っているらしい
「私、大きくなったら女優さんになる!」
それが、子供の頃の彼女の口癖だった。
俺・栗田辰哉は誰よりも最初にその夢を聞いていて、誰よりも長くその夢を応援していた。
周りは「女優になんてなれるわけない」と彼女を嘲笑するけれど、俺だけはすぐそばで彼女を応援し続けた。
転機が訪れたのは、俺たちが中学生の時だった。
有名芸能プロダクションからのスカウトを受けて、彼女は念願の女優デビューを果たす。
その演技力は、素人目から見ても圧倒的なもので。
才能と努力で人気女優への階段を一段飛ばしで駆け上がり、今や同世代で肩を並べる者がいないくらいの人気女優へと成長した。
鑑雲雀。俺の幼馴染の名前を知らない人間など、きっと日本の全人口の数パーセントしかいない。
そのくらいにまで、彼女は有名になった。
あの鑑雲雀と幼馴染である。
何の取り柄のない平凡な男子高校生に過ぎない俺にとって、それは何よりの誇りだ。
幼馴染だからって、なにも特別な関係を望んでいるわけじゃない。寧ろその逆と言うべきであろう。
雲雀はようやく手に入れた「今」を謳歌するべきであり、「過去」の存在である俺がでしゃばるべきじゃないのだ。
そもそも人気女優と単なる男子高校生だぞ? 釣り合わないにも程がある。
だから俺は潔く雲雀と距離を置こうとした。のだが……
『ねぇ、辰哉! これから辰哉の家に行くわね!』
数分前に送られてきたメッセージを見ながら、俺は溜め息を吐く。
困ったことに、どんなに俺が距離を取ろうとしても、雲雀の方からグイグイ接近してくるのだ。
しかも雲雀のやつ、『家に行っても良い?』ではなく『家に行くわね!』と言っている。俺が何を言おうが、問答無用で我が家に乗り込むつもりだ。
そりゃあ、有名になっても昔と変わらず接してくれるのは嬉しいよ?
だけどさ、相手が人気女優ともなれば、俺だって気を遣わざるを得ないわけじゃん? 雲雀が俺の自宅に入るところを記者に撮られたりしたら、一発でスキャンダルだし。
雲雀には、そういった危機管理能力が不足しているように思えた。
俺が頭を悩ませていると、ピーンポーンと玄関チャイムが鳴る。早くも雲雀が来たようだ?
俺は少しでも誰かに目撃されるリスクを下げるべく、急いで玄関ドアを開けた。
ドアの前に立っている雲雀は、こっちの気など知らずに呑気に「やっほー」と手を上げる。
俺は咄嗟にその手を掴むと、グイッと彼女の体を家の中へ引き込んだ。
「……辰哉ったら、随分と大胆だね」
「こんなところ、誰かに撮られたら大問題だろ」
「パパラッチには注意しているよ。周囲に気配はないから、大丈夫!」
そうは言うけど、今はSNSを使えば誰でも特ダネを全世界に発信出来る時代だ。一歩でも外に出れば、常に人々の目に晒されていると考えた方が良い。
親しき仲にも礼儀ありということで、俺は雲雀にコーヒーとお菓子を出して、最低限のもてなしをする。
「で、今日は何しに来たんだよ? また特に用事もなく来たのか?」
雲雀が我が家を訪れる理由は、大抵存在しない。8割は「なんとなく」である。
因みに残りの2割は、「ご飯食べにきた」だった。
しかしどうやら今日は、珍しくきちんとした理由があるようで。
「実は今日は、報告があります」
「報告?」
「うん。私ね、連続ドラマの主役に抜擢されたの!」
雲雀がドラマの主演を務めるのは、なにも初めてじゃない。過去に何度も経験している。
だけどだからって、凄いと感じないわけじゃない。ドラマの主役を演じることは、決して当たり前ではないのだ。
俺はまず、雲雀に「おめでとう」を言う。
「必ず観るよ。……因みに、何の役なんだ?」
「新婚ホヤホヤのお嫁さん」
新妻役か……これは予想外だな。
雲雀はまだ高校生ということもあり、恋愛ドラマでは恋人役ばかり演じてきた。新妻役なんて初めての筈だ。
デビュー作から数えて、全ての出演作を欠かさず視聴している俺が言うのだから、間違いない。
「お嫁さん役なんて、お前に務まるのかよ? 恋愛経験すらろくにないだろ?」
「ドラマの中では沢山ありますー」
「ドラマと現実は違う。そんなことは、女優という仕事をやっているお前だからこそよくわかっているだろうに」
ドラマはあくまでフィクションだ。
実際の雲雀の言動じゃないし、彼女の吐くセリフも本心じゃない。
というか、そう自身に言い聞かせないととてもじゃないがキスシーンなんて観られなかった。
「……まぁ、不安なのは確かかな」
初めてのお嫁さん役に、流石の雲雀も自信たっぷりとはいかないみたいだ。
俺には演技のことなんて何もわからないから、安易に「お前なら大丈夫だよ」と励ますことが出来ない。
だけど女優でない鑑雲雀には関してなら、誰よりも理解している。演技以外の部分でなら、彼女に口を出すことが出来た。
俺は雲雀の頭に手を置く。
「俺に手伝えることがあるなら、遠慮せず言えよ」
大したことは出来ないけど、応援くらいなら喉が潰れるまでやってやるさ。
俺がそんな風に思っていると、
「本当?」
途端に雲雀の目の色が変わる。
……もしかして、俺今マズいこと言っちゃった?
「本当に、何でも頼んで良いの?」
「……俺に出来ることなら、喜んで」
「タイムスリップして」とか言われても、それは流石に無理だ。
動揺を隠すべく体内にカフェインを摂取していると……雲雀はとんでもない「頼み事」を口にした。
「だったらさ、私をお嫁さんにして!」
「ブホッ!」
俺は思わずコーヒーを吹き出してしまった。
お嫁さんって、あのお嫁さんだよな? 同音異義語とかないよな?
「こいついきなり何を言っているんだよ?」と思っていると、雲雀も自分の発言を思い返したのか、みるみるうちに顔を赤くした。
「ごめん、言葉足らずだった。正確には、お嫁さんの練習をさせてって意味」
「……そういうことね」
ったく、びっくりさせるなよ。一瞬プロポーズされたのかと思っちゃったじゃないか。
要約すると、雲雀のお願い事とは「お嫁さん役なんてやったことないから、疑似的な新婚生活を送ることでそのノウハウや感情を勉強したい」ということだった。
確かに新婚夫婦のフリだなんて、他の人には頼めないな。こういう時、幼馴染は役得だ。
両親が長期出張中で、一人暮らし同然の俺にとっても、大変メリットのある申し出である。特に最近は、コンビニ弁当やカップ麺ばかりで誰かの手料理に飢えていたからな。
「わかった。満足するまで、演技の練習をしていって良いよ」
「本当? やったね!」
一頻り喜んだ後、雲雀は一枚の紙を取り出す。
その紙の名称を、俺は知っていた。
「おい、何で婚姻届を差し出すんだよ?」
「ドラマは二人で婚姻届を役所に提出しに行くところから始まるの。だから婚姻届の書き方も、きちんと勉強しておかないと」
「……まぁ、そういうことなら」
スマホで書き方を調べながら、俺たちは婚姻届を記入していく。
全ての欄が埋まると、雲雀は婚姻届を掲げて「わぁ!」と感嘆の声を漏らした。
「これは私の方で、きちんと処分しておくね」
「……今ここで破って捨てても良いんだが?」
「名前や住所が書いてあるし、破るだけじゃ物足りないよ。我が家でシュレッダーにかけます」
それなら確かに安心だ。
だけど……お前の家に、シュレッダーなんてあったっけ?
◇
「新婚夫婦は一緒に住むべきだ」。雲雀のそんな発言から、俺たちは同棲生活を始めることにした。
幼馴染とはいえ、女の子が我が家で寝泊まりする。しかもそれが、あの鑑雲雀ときた。
今俺が置かれている状況を、果たして何千何万の男性たちが憧れるだろうか?
そんなことを考えながら、俺は湯船に浸かっていた。
……このお風呂にも、あとで雲雀が入るんだよな。なんて、キモいことはちょっとしか考えたりしない。
次も控えているので、そろそろ上がろうかと立ち上がったタイミングで、浴室のドアが開いた。
「旦那様、お背中流しましょうか?」
突然の雲雀の登場に、俺は驚く。
しかもその格好は、まさかのバスタオルオンリーだった。
幼馴染の刺激的な姿を見て、健全な男子高校生たる俺は反応してしまう。
雲雀の視線も、導かれるように下部へ向けられた。
「あっ、臨戦体勢」
うるせーよ!
俺は大慌てで湯船の中に戻る。
「雲雀!? どうして風呂に!?」
「それは、その……お嫁さんとして、一緒にお風呂に入ろうかなーって。演技の練習! あくまで練習だから!」
お前、「演技の練習」だって言えば何でも許されると思っているんじゃないだろうな?
「お前が目指しているのは、あくまでドラマの中でのお嫁さん役だろ? だったら一緒にお風呂に入る必要なんてないんじゃないか?」
「あるもん! 夫婦仲良く背中洗いっこするシーンが、あるんだもん!」
お前の主演するドラマ、確かゴールデン枠だったよな? 二人での入浴シーンなんて、あるわけないだろ。
俺の意見など無視して、雲雀は浴室に入ってくる。
追い出そうにも、今の俺は湯船から出ることが出来ない。
「体は洗い終わってる?」
「隅々まで綺麗だ」
「前も下も?」
「……背中を洗うんじゃなかったのかよ?」
一体俺のどこを洗おうとしているのだろうか?
「それじゃあ、あとは温まるだけか。……よいしょっと」
「……おい。お前何しているんだ?」
徐ろに湯船に片足を突っ込んできた雲雀に、俺は言った。
「え? お風呂に入ろうとしてるんだけど? だからもうちょっと詰めてよ」
「「自分は何もおかしなこと言ってません」的な顔をしているお前が、俺は怖いよ」
我が家の浴槽は、2人用に作られていない。
子供ならいざ知らず、高校生になった俺たちが背中合わせで入るには、かなり窮屈なわけで。
……無理に上がろうとすると、雲雀の変なところを触っちゃいそうだしな。俺は撤退を諦めて、彼女が上がるまで湯に浸かっていることにした。
背中から伝わってくる、雲雀の感触。
間にバスタオルはあるものの、そんな薄布一枚ないも同然だ。
煩悩退散と言わんばかりに、俺が頭の中で円周率や寿限無を唱えていると、雲雀が「ねぇ」と話しかけてきた。
「こうして辰哉と一緒にお風呂に入るなんて、久しぶりだよね。最後に入ったのは、いつだったっけ?」
「小学校に上がる前だな。ほら、卒園記念でお前がウチに泊まりに来た時」
「あー。あの時はまだ、ちっちゃくて可愛かったなぁ」
「……そりゃあ、体が成長すれば自ずと大きくなるだろ」
雲雀は一瞬無言になる。しかしすぐに笑い出した。
「ちっちゃくて可愛いっていうのは、アソコの話じゃないよ。身長とか性格とか、そういう話」
「……」
勘違いしてしまったのは、一緒に湯船に浸かっているせいだ。だから俺は悪くない。
「でも本当、私たち大きくなったよね」
「高校生だしな。中身は別として、見てくれだけは大人になるだろ」
「そうだね。だからこそ私は、嬉しいんだよ。お互いに成長して、環境も変わって。それでも辰哉は変わらず私と接してくれている。私を女優としてではなく、一人の女の子として見てくれているのは、この世界でもきっと辰哉だけなんだよ?」
「当たり前だろう? 俺は雲雀の幼馴染だ。お前がどんなに有名になろうが、いつまでだって幼馴染でい続けてやるさ」
「……」
俺の言葉に返すことなく、雲雀はいきなり立ち上がる。
そしてそのまま浴槽を出た。
何か気に触ることでも言ってしまっただろうか? 正直、失言をした自覚がない。
浴室のドアに手を掛けたところで、雲雀は一度こちらに振り返る。
「いつまでも幼馴染っていうのは……ちょっと嫌かな」
……今さっき、お前の方から「変わらず接してくれて嬉しい」と言ってきたばかりじゃないか。
それなのに幼馴染が嫌だなんて、一体どういうことだろうか?
湯船に残された俺は、雲雀の発言の真意を考える。
考えて、考えて、考えて……気付いたら、いつの間にかのぼせていたのだった。
◇
俺の家で演技の練習をしている雲雀だが、ぶっちゃけ彼女は出来たお嫁さんだった。
作る料理は美味いし、掃除や洗濯もそつなくこなすし、話していて心が落ち着くし。
お風呂に乱入してきたりとか、夜中ベッドに潜り込んできたりとか、やり過ぎなところもたまにあるけれど、それを差し引いても彼女は十分すぎるくらい良妻だといえた。
しかし、俺と雲雀は本当に結婚したわけじゃない。この夫婦生活は、あくまでドラマの為の練習だ。
ドラマが終われば、練習する必要もなくなる。
ようやく慣れてきたこの日常も、知らない間に残すところあと一日になっていた。
「ごちそうさまでした」
最後の晩餐を終えて、俺は手を合わせる。
明日から雲雀の料理が食べられなくなると思うと、なんだか寂しい感じがした。
食器を洗っている雲雀に、俺は話しかける。
「雲雀、今日までありがとうな」
「ううん。お礼を言うのは、寧ろこっちの方だよ。演技の練習に付き合ってくれて、ありがとう。参考になったし、それに……凄く楽しかった」
楽しかったのは、俺も同じだよ。
最後の一日だからといって、何か特別なことをするわけじゃない。
いつものようにソファーに並んで座り、同じテレビ番組を視聴する。
手を繋がない。キスもしない。それ以上の行為だって、ご法度だ。
だけど、それで良い。何気ないこのひと時が、俺にとって何よりの幸せだった。
不意に雲雀が、俺の肩に頭を乗せてくる。
目を瞑る彼女を見て、疲れて眠くなったんだなと感じた。
「……」
俺はほんの出来心で、彼女の前髪をかき分ける。
…….やっぱり雲雀は、可愛いな。
それは決して、女優だからじゃない。彼女がただの女子高生だったとしても、きっとそう思っている。
スースーと寝息を立てる雲雀の唇が、無性に艶かしく見えて。吸い寄せられるように、俺は自身の唇を近付けた。
あと数センチで二人の唇が重なり合うというところで……雲雀はいきなり目を覚ます。
「今、キスしようとしたでしょ?」
「もしかして、お前……起きていたのか?」
先程までの熟睡は、演技だったということか。
すっかり騙された。流石は名女優である。
俺は慌てて雲雀から離れる。
「悪い! 今のはその、気の迷いというか……忘れてくれ!」
「ううん、忘れない。忘れさせてもあげない」
そう言うと、雲雀はグイッと俺に近づき、その唇を奪う。
「……これも演技の練習か?」
「違うよ。意味は、自分で考えて」
それだけ言い残して、雲雀は我が家をあとにするのだった。
◇
雲雀が帰った後、俺はキスの意味について考えていた。
雲雀は演技の練習じゃないと言った。
練習以外の理由で、彼女が俺にキスをする理由なんてあるのだろうか?
……一つだけある。雲雀が俺に好意を抱いていた場合だ。
この一ヶ月を振り返ってみれば、全く思い当たる節がないというわけじゃなかった。
一緒にお風呂に入ろうとしたり、「ずっと幼馴染は嫌だ」と口にしたり。そもそも演技の練習とはいえ、なんとも思ってない男と二人きりで暮らしたりするだろうか?
雲雀は俺のことが好きだ。その結論は、俺の中で揺るがないものになろうとしていた。
だけど俺はその告白を、受けるわけにはいかない。
雲雀のことが嫌いなわけじゃないさ。寧ろ、好きなんだと思う。
しかし俺がこうして雲雀に「好き」と言って貰えているのは、幼馴染だからに過ぎない。もし俺が幼馴染じゃなかったら、告白どころか知り合うことも出来なかっただろう。
雲雀は努力して、人気女優になるという夢を叶えた。
対して俺はどうだ? 幼馴染という偶然手に入れた代物に、甘えているだけだ。
そんな俺に、望みを叶える資格はない。
俺は雲雀に電話をかけた。
「もしもし、雲雀? さっきのキスについてなんだけど――」
俺は自分の胸の内を、雲雀に曝け出す。
雲雀が好きだということ。だけど今は付き合えないということ。雲雀は俺の考えを、黙って聞いてくれていた。
全てを聞き終えた雲雀は、怒るわけでも泣くわけでもなく、俺に質問をしてきた。
『ねぇ。辰哉は、女優の私が好き?』
「そうだな。でもそれは、お前が女優の仕事を心底楽しそうにやっているからであって。俺は夢を叶えて、楽しそうに仕事をしているお前が好きなんだ」
だから雲雀が女優じゃなくたって、笑っていてくれるのならばそれで十分だった。
『ありがとう。じゃあさ……私、女優辞めようかな』
「何で!?」
小さい頃からの夢だった女優を、どうしていきなり辞めるだなんて言い出すのだろうか?
『だってさ……もっとなりたいものを見つけちゃったから』
数週間後、雲雀電撃引退した。
結局、雲雀のなりたいものはなんだったのかって?
そんなの決まっている。俺のお嫁さんだ。