表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/9

5話

ハロルドは庭のベンチにクピタを座らせ、自分は立ったまま彼女に問いかけた。


「さっきの言葉、嘘はないんだね?」


「ええ」


「どうして早く言ってくれなかった?その方が互いの為に良かっただろう。それに大広間で言わなくても良かったじゃないか」


「私、私は……後戻りできないように皆の前で言ったの」


随分勝手な言い分だ、とハロルドは呆れ返る。二人きりの時に言ってくれれば、まだ失恋の痛みを抱えるだけで良かったものを、衆目に晒されて耐えきれない羞恥を覚え、あのように無様な姿を皆に見せてしまった。



「君がそんな子だとは思わなかった」


ハロルドはそう言って彼女に冷ややかな視線を向ける。

クピタはその言葉にかっとなって反駁した。自分も悩みぬいて下した決断だったのに、その決断の中には彼を思いやる気持ちも確かにあったのに、一方的に責められるのはおかしいではないか。


「そんな子と思わなかった、ですって?私はずっと無理していた。父の言うように素直で明るい良い子を演じていたわ。貴方や貴方の家族に気に入られる良い子をね。貴方は私を金で買ったくせに……」


「金で買った?何てことを言うんだ。母が強く勧めてきたから君と会ったのが始まりだけど、君が嫌というなら僕は断った」


「貴方の目には世の中の綺麗な部分しか見えていないの?お父様が事業で成功なさっているヴェルロール家と、何もかも失ったイレンコルス家の縁談なんて、どちらが弱い立場か少し考えれば分かるでしょう。それに父は私を嫁がせたら週に一回はお金をせびりに来ていたでしょうよ」


それくらいは僕だって分かっている、と言い返してやりたいのにハロルドは声を出すことが出来なかった。彼女に心惹かれるようになってから、全てを都合よく解釈しようと努めていたことを否定できない。

最初は金目当ての縁談だ、と決めつけていたのをヴェルロール家の財産ではなく自分を気に入ってくれたのだろう、と思い込むようになっていた。

そもそもルクレツィアが縁談を持ち掛けてきたのも、娘の良い嫁ぎ先がないと困り果てた彼女が、どこの馬の骨とも分からない男に娘を嫁がせるよりも友人の息子にやる方が心配ないという親心で……

そんな甘い考えで脳を満たそうとしていた自分に愕然とする。

それと同時に、あの場で言わなければならなかった、という彼女の言葉には相変わらず納得がいかなかった。



「大広間で言わなければ、僕に丸め込まれると思ったの?僕の、いや父の金で」


「その通りよ。貴方の家には電話もある、電気冷蔵も車もある。避暑には海辺のホテルで執事付きの部屋に泊まって、夜にはシェフに特別メニューを出して貰う。そんな生活に私が憧れなかったと思っているの?私がそんなに良い子だと本当に信じていたの?」


クピタは自分の家に帰るたび、一日家にいて家事すらろくにしない父と、隣家からもらい受けた二か月前のゴシップ誌に夢中になっている母を目にして陰惨たる気分になった。

それでも家族の間に愛がなかったわけではない。

自分と妹が学校へ行くために、両親は親戚に頭を下げてくれたし、不足分を補う為に、父母は度々働きに出てくれた。

半年もするとあれこれ理由をつけて辞めてしまうのだが、娘たちが飢えない程度には金銭を稼いでくれた。

いっそ愛情など感じたことがなければすっぱりと家族の絆を断ち切れるのに、中途半端な思い出のせいで自分は彼らを見捨てることが出来ない。

誕生日に移動遊園地へ連れていってメリーゴーランドに乗せてくれたこと、怖い夢を見て飛び起きた時には父がいつも自分を抱きしめて優しい声で歌ってくれたこと、風邪をひいたときには自分たちの夕食をパンだけで済ませても、娘の為に林檎を買ってきてすり下ろしてくれたこと。

きっと父母は私を愛してくれている。子供を痛めつけることで快楽を感じるような悪魔ではない。ただヴェルロール家の金貨に目が眩んだのだ、どんな善人でも大金を目にすると己の美徳をあっさりと捨ててしまうことがあるように、両親は娘を捨てたのだ。

これはクピタの幸せの為なんだ、と自分に言い聞かせながら。


それに、罪のない妹はどうするのだ?

妹のアンダルクは姉が嫁げば自分もいい服を着て、大通りにあるフルーツパーラーへ連れて行って貰えると無邪気に思い込んでいる。

街外れの大きなお屋敷に住んでいる同い年の女の子、メアリ・エルソンが着ているような、大きな白い襟のついた赤いワンピースを着てフルーツパーラーに行くのが彼女の夢なのだ。


自分さえ嫁げば、妹は無邪気なままでいられる。たまに通りでメアリ・エルソンを見かければ、瞳をきらきらさせながら彼女が今日どんな服を着ていたかを姉に報告し、素直に賛辞を贈る妹のままで。


それだけではない。自分も本当のところは安楽な生活に惹かれていたのだ。

しかも、ハロルドは金持ちの家の息子というだけではなく、彼女が望むならば職業婦人を続けても良い、更に専門的な技能を身につけたければ学校に通っても良い、習い事を楽しむのも良い、と言ってくれていた。

うちの母のように家に閉じこもらなくても良いんだよ、と。

ただ一緒に食卓を囲んだり、日曜に朝の散歩を楽しんだり、カフェで一緒にコーヒーを飲みながら他愛ない話を出来たりすれば幸せなのだ、と話してくれた。


その言葉に心は揺れ動いた。仕事を続けられる、習い事もさせて貰える、彼は私に選択肢を与えてくれる。与えてくれる、その言葉を頭の中で反芻させた時、さあっと血の気が引いていくのが分かった。

私は誰かに与えられる自由が欲しいのではない、人生を自分で決断できる自由が欲しいのだ。

それに、彼の語る幸福に自分はちっとも魅力を感じない。これはいけない、彼にも失礼だ、と思ったが彼は照れくさそうに笑いながらハロルドは自分が描く幸せな未来に浸っている。


自分の意思も聞かずに笑っているハロルドを、クピタはどうしても許すことが出来なかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ