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4話

イレンコルス家の者が到着して、アンヌは大慌てでお湯を沸かした。

応接間にはクピタと両親、そしてハロルドと両親が向かい合って座っている。クピタは白粉をべったり塗って、目元にも濃い化粧を施していたが、腫れぼったい瞼は隠せていない。


ジェイミーはアンヌの手伝いをする、という口実で席を外した。最初は家族だけで話すのが良かろう、と気を遣ったからだった。


「皆さん紅茶でいいのかしら」


「叔母様はカモミールティーが欲しいって、気持ちが落ち着くから」


ティーカップとソーサーを人数分出しながらジェイミーが答える。アンヌはお湯が沸くまでの間にお茶菓子を準備してしまおうと、ドライフルーツ入りのずっしりとしたバターケーキを切り分けようとしていた。


「ジェイミーさんは行かなくていいのですか」


「うん。僕は部外者だからさ」


「そんなこと。奥様も旦那様もハロルドさんと同じくらい、貴方のことも大切にされていらっしゃいます」


ジェイミーは、果たしてそうだろうか、と思いながら頷いた。

アンヌから、傍から見ればそうなのだろう。しかし、実際は違う。確かにハロルドと衣食住の差をつけずに自分は育てられた。

学校もハロルドと同じ寄宿舎に入れて貰ったし、家族の楽しい行事、海水浴やスキーや観劇から締め出されたこともない。

叔父も叔母も自分を物質的には何不自由なく、大切に育ててくれた。しかし愛情の面ではどうだろうか?本当に小さかった頃、四歳くらいまでは二人を本当の親と思って甘えていたかもしれない。でも自分がハロルドとは違うと分かると、遠慮が生まれた。

その上、叔母が何となく自分を疎んじている、と気づき始めてますます距離を置くようになった。

ヴェルロール家から離れて中等学校に進むとほっとした。

寄宿舎の中で同年代の他人と大勢で(ハロルドはいたが)生活を共にする方が彼にとっては気楽に感じられたのだった。


アンヌとジェイミーがお茶とケーキを応接間へ持っていくと、クピタの父が深々と頭を下げているのがまず目に入った。クピタ本人はハンカチに顔を埋めて、すすり泣きの声を上げている。クピタの母であるルクレツィアは演目をじっと無表情に見つめている。

二人が紅茶とケーキを置くと、ルクレツィアは相手の目を見ずに、微笑んで礼を言った。視線は相変わらず無様に頭を下げ続けている夫の方へ向けていた。

ジェイミーは唖然とした様子で彼女を見つめた。

艶々とした黒い髪と、濃い青い瞳が美しいが、やや吊り上がった目元と薄すぎる唇が冷たい印象を与える。

無駄な肉のついていない、すらりと伸びた肢体と湯上りのようにぽっぽと赤みがさしている頬と、背筋をぴんと伸ばして、怒ることも悲しむこともせず注意深く応接間に揃った面々を観察しているさまを見て、彼はごく自然に人を魅了してしまう性質と技巧を持った者達のことを思い出した。


そういった者達たちはカフェでコーヒーを一杯飲み終わるまでに、何をすることなく街をぶらぶらしていたり、ベンチで文庫本をぱらぱらめくっていたり、或いは家路を急いでいる顔のないごみごみとした塊の中から自分の崇拝者を見つけ出す。

不文律の道徳の中に自らの魅力を押し込めない彼等彼女等は、微笑むだけで人生の助けや踏み台となる人間が近付いてくれることを、夜を共にしなくても相手を魅了出来ることを知っているのであった。

自分は彼らの崇拝者になり得なかったが、周囲に一人いた。

理由を聞くと、奴はこう言った。人生には盲目的な信奉でしか癒せない痛みもあるのさ、と。


ジェイミーがクピタの母を見つめていることに気が付いたマーリーが咎めるかのように彼を睨んだので、ジェイミーは慌てて退室する。


ハロルドは一瞬ジェイミーを引き留めようとしたが、すぐに止めてクピタの方へ向き直り、こう言った。



「先ほど言ったことがクピタさんの本心ならば、婚約の解消はやむを得ないと思います。僕自身、あんなことをされて彼女と一緒に暮らせる自信がありません。きっと昨日のことをいつまでも責めてしまうでしょう」


「そこを何とか」


クピタの父が床に膝をついて懇願する姿を見て、ハロルドはぶるっと身震いした。


「父さん、もうやめて。私がつくった損害は何としてでもお支払いするわ。だから、それ以上を求めないで」


「いい加減にしろ、クピタ。父さんたちを見捨てるのか」


彼は娘を怒鳴りつけた。彼が娘を金蔓として見ていることは明白で、デーヴィスは眉を顰めた。こんな男、一刻も早く我が家を出て行って欲しい、と思いながら紅茶に砂糖を放り込む。


「クピタ、少し二人で話そう。庭かどこかで」


クピタはハロルドの提案を受け入れ、二人は庭へ出て行った。



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