なぎさくんが来ない。
渚くんがまだ来てない。
いつもなら1番に教室にいて、図書室で借りた本を読んでいる渚くんが今日はいない。
GW明けの教室はまだ誰も来ていない密閉された空間で少し蒸し暑かった。
私はいつも空気を入れ替えをしてくれていた渚くんの代わりに窓を開け、グラウンドの向こうにある校門を眺めるけれどまだ誰もやって来る様子はない。
もしかして、私が早く来すぎちゃったのかも。
ふと、そう思い、教室の黒板上にある丸時計を見るといつも通りの7時30分に時計の針は置いてある。
しかも秒針もちゃんと動いている。
やっぱり、いつもいる渚くんは来ていない。
それがショックな私はふらふらと窓際にある前から3列目の日当たりが良過ぎる自分の席に座り、友達が来るのをひたすら待って朝のHRを迎えた。
「きりーつ、れい。」
日直が適当に号令をして出席者全員を座らせると、担任の乙武先生はいつものように出席を取り、まだ来ていない渚くんの名前を呼んだ。
乙武「潮原 渚…は、喪中と。」
「モチューって何?」
と、渚くんの友達の田中 満路くんが乙武先生に質問した。
乙武「潮原の親戚が亡くなったみたいで今は葬いの期間っていうことだ。」
満路「…そう。」
田中くんは渚くんの1番の友達と思えるほど、いつも一緒にいたのに今回のことは聞いてなかったそう。
だからだいぶショックを受けたみたいで自分の名前を呼ばれた時、とても弱々しく返事をしていた。
すると、その様子を見た周りの女子が急に渚くんのことを心配し始めた。
けれど、それは“渚くん”ではなく“田中くん”の気を慰めようとするもので、この教室で渚くん本人を心配するのは私と田中くん、あとは多分乙武先生くらいしかいない。
それくらい、渚くんはクラスの人たちに慕われていない存在ではあったけど私は好き。
そう初めて思ったのは中学1年目の冬に私が近所の酒屋さんで肉まんとおしるこを買っていた時にギリギリと鳴く自転車を重そうに漕ぎながら配達のバイトをしていた赤鼻の渚くんを見た時。
この町のみんなは大体幼馴染で高校からそれぞれの道を行く。
だけどそんな町に渚くんは中学生の入学式にやって来て同級生のみんなにバレないよう、少し強面のおじさんで学校の人たちがあまり寄らない酒屋さんで白い息を切らして頑張っている所がカッコよくて好きになった。
今でもたまに1人で行く酒屋さんで渚くんの働いている姿を見るとその日のことを思い出して好きが募る。
だからGW中に会えないから酒屋さんに行ったけど仲良くなり始めたおじさんからは『あいつは明けまで休み』と言われ、暇なGWをこの町で過ごした。
そんな暇な休みが終わり、やっと会えると思って昨日はトリートメントして、今日はアイロンして髪の毛サラサラにしてきたのに。
私は自分の空回りを反省するように毛先をいじっていると、突然乙武先生に呼ばれた。
乙武「哀川、このまま校外実習の班決め。トイレ行きたい奴はたったか行ってこい。」
乙武先生がそう言うと数人が教室を飛び出し、トイレに向かったので私はノートとペンを持って教壇に上がる。
乙武「じゃあ、あとは苺に任せた。」
私の肩をポンっと鈍い優しさで叩いた乙武先生は私の耳元でそう呟くと、教室の端に置いてある埃っぽい椅子ではなく私の席に座って1時間目を始めた。
苺「…えっと、まずは男子3人組、女子2人組で計6グループを作って班になってくださーい。」
その声にみんなは操り人形かのようにグループを組み始めて大体の班は決まる。
けれど、余り物と奪い合いのグループできてしまった。
それはちょっといけてない男子グループと田中くんがいるグループ2組と、田中くんが好きな女子グループ2組が余り物を譲り合いする。
…バカだ。
私はそう思いながら黒板に1班から6班とチョークで書き、そこに決まったと手をあげてくれている人たちの名前を書く。
「苺はここだからね。」
そう言ってくれる私の友達であり、あの作戦の発案者の朝見 恵奈はしっかりとあの男友達と一緒のグループを作って私を入れてくれた。
それを変更されないよう私はすぐに名前を書き終え、あと2班をグッパーで決めてもらい乙武先生に声をかける。
苺「終わりました。時間的にー…、出来ますか?」
そう私が聞くと乙武先生はコソコソと私の席で作っていた番号札を全て巾着に入れて軽く頷いた。
乙武「よーし、じゃあこのまま席替えするぞー。」
そう言って乙武先生は自分の携帯で私がみんなの名前を書いた黒板を携帯で写真に取り、私に手渡すと迷わず長い腕をうまく使って綺麗に消していく。
乙武「とりあえず哀川からでいいかー?」
と、お決まりのように出席番号一番の私に1番最初のくじを引かせようとする乙武先生はみんなの意見を聞く。
それにブーイングを送る人もいたけど、乙武先生は私の手首を掴んで巾着に入れた。
すると、その巾着の下から一枚の紙を渡され、席に戻って確認してみると3番。
乙武先生が席の図を描いたマスの中にランダムに数字を書くけれど、私の嫌な予想は当たったらしく教壇の1番側の席になってしまった。
…これはセクハラって奴?
と、頭の中で思考を巡らせていると最後に余った紙を乙武先生は開き、そこの席の番号を消して名前を書いた。
『潮原』
私はそれだけで今学期1番の胸の高鳴りを覚え、ウキウキ気分で席を変えて空っぽの席と自分の席をしっかりくっつける。
するとちょうどよく1時間目終わりのチャイムが鳴り、クラスのみんなは休み時間に入り始めた。
私は教卓の前で自分の携帯を待つように私を見てくる乙武先生の圧に少し震えながら、みんなの名前を書き校外学習の班メンバーが書かれた紙を渡して休み時間を終えた。
けれど、その校外学習があった2週間後の今日もまた渚くんは来なかった。