08 キスはしない
「さっきから黙って聞いていれば、シノが興味を示さないからって言いたい放題ですね。こんな方が、あの女傑のマリアなんて、幻滅です」
「あぁ、私は色々な呼ばれ方するんですよね。絶対防壁、女傑、フレネミ、まぁ好きに呼んでよ」
マリアは変わらず、淡々と受け答えをする。
その態度が火に油を注いでいるのだろう、アイリスは怒りをあらわにして睥睨する。
「貴女、さっきのはどういうつもりですか」
「リズボンさんこそ、どういうつもりで士野君を誑かしているのでしょうか、旦那も息子もいるのに。こんな若い子に手を出して」
アイリスはマリアの頬を勢いよくビンタした、はずだった。
バチンと見えない壁に阻まれ、
「痛っ」
逆に手を負傷してしまっていた。
マリアは小馬鹿にするように、不敵な笑みを浮かべている。
「私に〝触れること〟はできない、ご存知なのでは? 士野君、この女はベルストック町長の妻の一人です。息子を取り上げられ、町から逃げることも叶わない。飽きられ放置され、士野君で自分を慰めているだけの、つまらない女です」
アイリスは、拳が届かないと判っていて、マリアを殴り続けている。
「アイリス、もうやめて! 手が腫れてる」
「私が! 自分から言う機会を奪うなぁ!」
駄目だ、頭に血が上っていてとても止められない。
「士野君、私と貴方は合衆国が認めている間柄なのですよ。私は、触れ合うことは出来ないけれど、貴方の為の永遠の処女でいられる。子供は産んであげられないけれど、貴方の全てを守ってあげられる。貴方の大切なゴブリンの妹も、安心安全な一生を送れる。私に付きなさい、私の物になりなさい。世界で最も美しく、最も純白な私が、貴方の為に生きる。これほどいい条件の彼女は、この世界にいませんよ?」
アイリスは拳をおろし、鼻で笑う。
「怒る気が失せました。つまらない女は貴女の方です」
「僕もそう思います」
初めてマリアの目尻に皺が寄り、感情を顔に出す。
「何故? 合理的に考えなさい。貴方たちはたった一か月、蜜月に浸っただけです、今なら傷は浅い。潮時なんですよ」
アイリスはマリアの話を無視して、膝を降ろし僕と向き合った。
「シノ、今まで黙っていてごめんなさい。ずっと伝えるつもりだったの、私の過去を。でも怖くて、言い出す機会を何度も失っていて。必ずちゃんと話すから、もう少し待ってほしい」
「はい」
再び女性同士で向き合い、アイリスが話し始める。
「マリアさんは、シノの事を何も知らないのね。さしずめ貴女の美貌で男を一人篭絡するくらい簡単だろう。とか考えてたんでしょ。でも手応えが全くない、だから焦って私を貶めたのでしょう? そんなにズルい手を使っても、自分の美しさを主張しても、シノは靡かないわよ」
「……一回、一度会ったくらいでは、落とせないかもしれませんね。私は、リズボンさんと違ってファーストコンタクトの方法を誤りました。私が最初から、ゴブリンから助けていたら、士野君は貴女になんか出会っていなかったはず」
「言い訳なんかしないで! そもそも貴女は、一度も、シノの意見を聞こうともしないじゃない!」
「聞くまでもないから! 新品の私の方が良いに決まってます。そうでしょ? 士野君」
二人の視線が僕に集まり、回答を求められていると判った。
聞くまでもないなら、言うまでもないんだけど、ビシっと言っておくか。
男として、百点満点中の五百億点を叩き出してやるぜ!
「愛のあるキスが出来ない女に、興味はないです」
肩をすぼめて言ってやった。
しかし、アイリスの困り顔から、たぶん僕が滑った事を言ったのだと察してしまった。
顔が熱くなってくる。
「キス……。それは、絶対に士野君にとって必要なものなの?」
だがしかし、科雨マリアは触れられない女。
推測だけど、聞いた話から搔い摘まんで考えると、特殊固有スキルが超防御寄りなんじゃないか?
攻撃を防ぐだけでなく、自身に降りかかる全ての危険から身を守るスキルであれば、男女の交わいも不可能に違いない。
ちょっと下品だけど、科雨を黙らせるには、この弱点をつくのが一番効果があるな。
「本当に科雨さんが僕を自分の物にしたいなら、絶対に必要な行為ですよ。さぁ、今から試しましょう、僕とキスできるか」
「「え?」」
とアイリスとマリアが同時に呟く。
僕はマリアに向かい合い、身体を触ろうとして、やはり、見えない壁に僕の指先は阻まれている。
「え、ちょっと、いきなり――」
顔を寄せ、キスをしようとしても、やはり見えない壁に阻まれる。
絶対に越えられないのだ、この壁は。
だから絶対防壁などと呼ばれているんだろう。
「その壁の向こうから出られたなら、その可愛い顔を撫でられるんですけどね」
マリアの青白い顔が一気に赤くなっていった。
彼女はそのまま後ずさり、座り込んで頭を抱えている。
よし、折れたな!
流石にこれ以上の悪あがきはしてこないだろう。
「今日は、この辺で引き下がりましょう」
「……今日は?」
「また来ます。その時までに、士野君とキスする方法を探します。今後も今まで通りに監視しますので。では」
言うや否や、マリアは瞬間移動でもしたかのように一瞬で消えていった。
「また来るのか……あの嵐みたいな人が。面倒くさいなぁ」
「シノ! なんであの女にキスしようとしたの?」
アイリス、怒ってる!
「出来ないと判ってたからですよ、もちろん。あれで諦めてくれたんじゃないですかね、実際のところは」
「逆に火を付けてしまったように感じたけど……。まぁいっか」
「アイリスさん、そろそろ帰りましょう。なんだか気疲れしてしまいました」
「そうね。あ、ねぇ、一つ気になってたんだけどさ、科雨マリアって、マリアがファーストネーム、で合ってる?」
「ああ、そうだよ。僕の生まれた国と、こっちの世界とは前後が逆だね」
「じゃあ、シノはタカキだ?」
「それは、そうだよ。ああ、もしかしてずっと下の名前で呼んでると思ってた?」
「そういうことは、早く言ってよ! あの女がいきなり名前呼びしてるから、最初からずっと冷や冷やイライラしてたんだから」
「最初から盗み聞きしてたんかーい!」
なんのかんのと話している内に、あっという間に家に帰ってきた。
「コサギちゃん、一人にしてごめんね。よしよーし」
アイリスがコサギを抱っこしてあやしてくれているから、僕は家の中を見て回っている。
監視しているだの、家の中を確認しただの、プライバシーの無さを匂わせ続けられ、いてもたってもいられなかった。
「でも、これと言って異常はなーんもねぇ」
最後に寝室をチェック。
念のため、仮想付与の呪文を壁に使ってみる。
防音壁か防音室になってくれ!
《仮想付与 『防音性Ⅲ』》
っしゃ! 単発SSR引いた!! 始めて欲しいの出たよ~。
「どーお? 変なところあった?」
寝室の入り口で、アイリスはコサギを抱っこしたまま中を覗き込んでいる。
「いや、それが何もない。何もないけど、はったりにしては僕たちの事が筒抜けっぽいんだよねぇ」
「いいんじゃない、見たかったら、見せてあげれば」
「あー、開き直った? 確かに精神衛生的にも、気にしないのが一番かもね」
アイリスは、にぃっと笑って言う。
「家の隙間には入れても、私とタカキの間に入る隙間なんかないよーって、教えてあげようよ」
「……何企んでるのかなぁ」