25 野宮リリイの影
港湾の国、シノク王国。
豊かな水産物に恵まれ、周囲は緑色に染まる大地が広がっている。
起伏の少ない草原と丘陵地帯が続き、固く整った轍や馬車道が近隣国や大きな町へと繋がっていた。
その交易の盛んな恵まれた国は、しばしば略奪者を呼び寄せる。
6年前、初めての襲撃があった。
北の民が財宝を求め、襲ってきたのだ。
荒れ狂う大海を渡り、貧しい土地から富を求めてくる。
一度目の襲撃で、東門を破壊された。
一年掛けて修復すると、翌年もまた東門を破壊された。
3年目は南から来た。
この時は既に、シノク王国と合衆国は同盟を結んでいた。
4年目は同盟軍が立ち上がり、国外での撃退を成功させていた。
それ以降、北の民は姿を見せていない。
〝ついに北の民を観念させた〟とシノク王国は歓喜に沸いた。
この2年は、実に平和な日々が過ぎている。
朝日が水平線から顔を覗かせる。
漁に出て行った漁船が姿を消した寂しい港に、一人の男が立っていた。
灰色の背広を着て、白シャツに蒼いネクタイを締めているその姿は、まるで日本のサラリーマンのような風体だった。
整えた赤い髪と理智的な眼鏡姿が、それを際立たせている。
男のもとに、茶色いローブで身を包んだ男が近づいて行った。
その男は、病院の医者だった。
「〝ゆかしい薔薇も棘がある〟」
医者は合言葉を口にする。
「〝謙虚な羊も脅しの角がある〟」
背広の男がそう返した。
「トオ、報告がある。ゴブリン娘を〝鑑定〟した」
「それで?」
トオと呼ばれた男は、食い気味で医者の報告を聞く。
「あれは〝ゴブリン・エンジェル〟と言う新種だ。そして〝リリイ様〟と同じ異世界の者」
「他には?」
「〝情報吸収〟という妙なスキルを持ってる」
「それだけか?」
「すまない。他は〝日本語〟で書かれていて、私には解読出来なかった」
「そうか。ご苦労だったな」
医者は足早に去っていった。
トオは、沖の方で海面に突き刺さっている太古の〝宇宙船〟を眺めながら、口元を緩めた。
「異世界人! 異世界人ですよ! リリイ様が気にするはずです。〝進化〟を持つ異世界人の士野タカキ、そして噂のゴブリン娘も異世界人だったとは! 彼らの〝特別な力〟を手に入れれば、合衆国など最早敵では……ふっ」
感情が昂ぶり、一人でに笑いだしそうになり、咄嗟に堪えていた。
「早くリリイ様の耳に入れなければ。久方ぶりの戦争を起こせますよ」
トオはネクタイを締め直し、血で染まったように赤い髪を風に靡かせながら港を去っていく。彼はそのまま、しんと静かに眠っている市街地の中へ、スキップをしながら姿を消していった。
◆◆◆◆◆◆
コサギは入院から二日後に退院した。
医者曰く、特に後遺症もないらしい。
傷跡は、多少は残るだろうが時間が経てば綺麗になっていくそうだ。
病室へ迎えに行くと、すっかり元気になって抱きついてくる。
「心配かけてごめんね、パパ」
「ホントだよ。無事でよかった」
マリアが退院祝いをしてくれると言う事で、僕たちはそのまま『科雨食堂』に向かった。
娘と手を繋ぐと、握り返された。
隣にいるコサギの横顔は、どこかアイリスに似ていて、前世のコサギの面影もある。
お互い、転生してから容姿が変わった。
種族も、誕生日も、年齢も別々になった僕たち、元双子。
関係性は親子に変わり、今は生死を共にする冒険者仲間だ。
でも、僕たちが変わったのはそれだけだろう。
世界でたった一人の血を分けた妹は、世界を超えても共に生きている。
外側は変わっても、中身は何も変わってはいない。
僕は妹を愛している。
眩しい日差しを手で隠し、コサギは笑顔になった。
「いい天気だね、パパ」
食堂の場所は、港と海を一望できる見晴らしのいい場所にあるらしい。
賑やかな市場を超えた先に海へと繋がる大通りがあって、コサギと並んで歩く。
二人で街中を歩く、たったそれだけの事が僕には新鮮だった。
マリアの言った通り、コサギはこの国で人と同じように堂々と歩ける。
市街地を抜け、高台に足を向ける。
芝生が植えてある広くて整備された場所に、和風な建設物があった。
入口の上にある大きな木の看板には『科雨食堂』と彫られている。
あそこで間違いないな。
パン! パン! パン!
中に入ると、クラッカーが鳴った。
花びらや、細長い紙が飛び交う。
「「「コサギちゃん! 退院おめでとー!」」」
中で待っていたのは、マリアとアイリスと百火、それからアリーヤがいた。
それぞれ手にクラッカーを持って祝ってくれている。
アイリスがコサギに飛びついて、涙を流した。
「コサギちゃぁーん! 心配してたんだからね、急に大怪我したって聞いて」
「ごめんなさい、冒険で無茶しちゃって」
「次からは気を付けるのよ? 女の子なんだから、傷が残ったら困るわ」
久しぶりの再会を二人とも心から喜んで、固く抱き合っている。
「コサギ、この前はごめんな。俺……――」
アリーヤが言い切る前に、コサギは飛びついていた。
「アリーヤも無事でよかった! パパから聞いたよ! アリーヤがサギの応急処置をして病院に連れてってくれたんでしょ! 本当にありがとう!」
「……うん。ほんとに、無事でよかった」
アリーヤはすっと涙を流した。
それぞれが挨拶を交わす中、僕は百火に声を掛ける。
「百火、久しぶり」
「ほうじゃの。アイリスに会えて安心したかぇ? あの町でウチを探しとった時は、随分とまぁ血相変えて慌てておったのに」
「あの時は、百火だけが頼みだったからね。僕が町長の気を引いてる間にアイリスを助けてくれる人が、君しかいなかったから」
「ウチがいてよかったのぅ。褒美として今日はたーんと美味い飯を食わせておくれ」
「それはもう、任せてよ。マリアに」
僕は無一文だからな!
マリアはいつの間にか厨房に移動していて、せっせと寿司を握っていた。
厨房の方を見に行くと、なんと受付嬢のルオッタも並んで寿司を握り、手を米粒だらけにしていた。
二人とも可愛らしい割烹着を着こなしていて、和風の雰囲気が最高にぐっとくる。
微笑ましいが、大丈夫なのか……一朝一夕で握れるほど、寿司は甘くないぞ。
ただ、二人とも楽しそうに日本食を作っている姿が、とても僕の心を和ませてくれる。
「皆さん席に着いててくださいねー」
マリアはしゃもじで鍋蓋を叩きながら、全員に促す。
ラーメン屋にあるような掘り炬燵式のテーブルを囲み、座布団に座る。
非常に懐かしい感覚だ。
僕が着席すると、慌ててマリアがもう一枚の座布団を持ってくる。
桜色の座布団を僕の左横に置いていった。
大きな文字で『マリア』という名前をハートで覆った刺繍が施されている。
科雨マリア、抜かりの無い女だ。
それを知ってか知らずか、僕の右側にはアイリスが腰かける。
早速、炬燵の下で足を絡めてくるアイリスの顔を見て、つかえが取れた様に心が軽くなった。
僕の日常が、やっと帰ってきたんだ。
「元気そうでよかったよ。アイリス」
「うん」
彼女は短く言って、僕の胸に顔を埋める。
僕の身体に腕を回し、手を握って指を絡めてくる。
アイリスは暫くの間そうしていた。
「久しぶりのタカキの匂いだ」
「こっちに来てから忙しかったって聞いてるよ。息子さんは元気?」
「うん、元気元気! 私の息子、リエッキっていうの。暫く寝たきりだったんだけど、今じゃもう走り回って危なっかしいよ」
「今日は連れてこなかったの?」
「まだちょっと、外に出すには危なくてね。それに……」
「それに?」
「今日は、私が甘えたい日なの」
「さいですか」
「こらー! 私の食堂でイチャつくなー!」
寿司を握りながら、マリアが怒っていた。
(引用)「The Lilly」 William Blake(1757~1827)




