02 育児を始めていいですか?
一斉に振り返り僕を凝視するゴブリンたち。
顔と身体が緊張でひり付くのを感じ、のっぽ男へ視線を送る。
とにかく助けてくれ! という救難信号だ。
「わははは! 愚かなゴブリン共よ! こんなベタな策で背後を見せるとは! 人質も役に立つもんだなぁ!」
豪快に笑いながら、のっぽの男はゴブリンの群れに突っ込んでいった。
「おい! のっぽ! 僕を囮にしやがったな! 許せねぇ!」
「わはは! お主も自分の身は自分で守ったらどうだ、男の子だろう?」
ぐぬぬ、あんな朴念仁に助けを乞おうとしたのが間違っていた。
だが、戦力には含ませてもらうぞ、最低限は仕事をしてくれ。
ゴブリンの群れを半分くらいぶっ殺してくれれば、この洞窟から脱出するのも容易になるだろう。
「マー君! がんばれ! がんばれ!」
糞メガネ女はのっぽ男の応援をしている、マジで役に立たねえ。
ついに2匹のゴブリンが僕に掴みかかってきた。
ゴブリンの体格は本当に小さくて、小学校低学年の子供と同じくらいだろう。力もそれほど強くないし、武器も持っていない。2匹といっぺんに取っ組み合いになっているが、完全に僕の方が優勢だった。
いける、勝てるじゃん! だが、殺す、となると話が変わってくる。
なまじ人間と似通った外見をしている分、怪我をさせるのも抵抗を覚える。
「あっ! しまった!」
からん、と金属が跳ねる軽い音が洞窟内に響いた。
「マー君! どうしたの⁉」
「わははは! 思い切り剣を振ったら、すっぽ抜けてしまったぞ!」
「へ?」
呑気なやり取りに呆気に取られている間に、一匹のゴブリンが剣を拾いあげ、高々と掲げている。
「うそ……だろ……?」
「あちゃあ、まーた武器を盗られちまったよ。どーしようかなぁ、わはは!」
「マー君は十分に戦ったよ! そろそろ逃げよう! ダッシュだよ!」
「わははは! おう、そうだな!」
「そうだな、じゃねえ!」
のっぽ男が尻尾を巻いて逃げるのは別にいい、正直そこまで期待していなかった。
問題はそこではない、ゴブリンが一匹も減っていない上に、ゴブリンに武器が渡ってしまったことだ。
「じゃあなぁ少年! 達者でなぁ! ああそうだ、もし生き残ったらこれ食え、美味いぞ! じゃ、頑張れよー!」
「マー君! 町まで走って帰ろう! 競争だよ! 私に勝ったらご褒美にイイことしてあげるよ!」
マー君は小ぶりな荷物を足元に置いていった。
さっさと退散していく二人組の後姿をしり目に、僕は群がり始めるゴブリンに手こずっている。
「ちくしょう……あんたら! 待てよ、マジで見捨てんのかよ!」
◇◇◇
ゴブリンどもは、一匹ずつなら大したことない。
でも数が多すぎる、飛び掛かってくるゴブリンに手足を押さえられ、あっという間に身動きが取れなくなってしまった。
振りほどいて逃げようとしても、すぐに別のゴブリンに掴まれる。
まるで蟻地獄に捕まったかの様で、もがいても絡めとられるように引っ張られ、脱出不可能と思えた。
がらがら音を立てて剣を引きずるゴブリンが、僕の前にやってくる。取り巻きのゴブリンはソイツに道を開けていった、ゴブリンの中にも格差があるらしい。剣持ちゴブリンは、にちゃっと嫌な笑みを浮かべて、得物を振り上げる。
「いや、待てって」
ぶん! と頭を狙って振り下ろされ、間一髪で避けた。
「だから待てって! 日本語わからんの⁉」
再び剣は振り上げられた。
次は胴体を狙っている、と言うのは嫌な目線から感じ取れる。
(食らったら死ぬ、食らったら死ぬ!)
2度目の攻撃は寸前に身体を捩じり、僕の右肩を押さえていた奴を間に割り込ませた。盾にしたゴブリンはそのまま切られて崩れ落ち、鮮血が飛び散る。
「ひぃぃぃっ!」
数匹のゴブリンはその行動に激昂し、僕を殴り、突き飛ばした。
足がもつれ、安定感を失って倒れ込んだ先は、最初に隠れようとした檻だった。
恐ろしく陳腐な作りの檻は、勢いの乗った僕の重さに耐えられず、簡単に崩れ、囲われていたものが露になる。
目を疑った。
コサギの衣服、靴や学生鞄、見覚えのある所持品が散乱していた。
それだけじゃない、その奥には金髪の女性が一人、全裸で横になっていて……恐らく亡くなっている。
僕の2度目の死亡が、いよいよもって現実味を帯びてきていた。
ゴブリンはモンスターだ。
ゲームの感覚だけど普通は、出会ったら殺すか、殺されるか、逃げる。
一匹も仕留められてない、まだわんさと居る。逃げられない、殺すしかない。
ゲームみたいだと思ったところで、さっきの頭の中に流れた声を思い出した。
進化魔法、とか言ってたか? 武器になるものは手元にない。
一か八かでこの魔法に頼ってみるか。
「っしゃー反撃開始だ! 見とけよ行くぜぇ? 進化魔法を発射! でぃりりりり!!」
ウルトラマンみたいなポーズをとってみたが、ビームも破壊光線も何も出てくれなかった。
あのぉ、進化魔法ってぇ、どう使うんですか?
《〝進化魔法〟は対象に進化情報を流し、強制的に次の段階へ進める魔法です》
返事してもらえるじゃん! えっと……要は攻撃は出来ないってこと?
《個体の生命に行使する場合、急速な進化に耐えきれず絶命するケースがあるので注意して下さい》
とりあえず撃てば殺せるんだな⁉
《進化の発動条件は右手で直接触れることです。あまり会話をしたくないので、今後は自身でステータスを参照して下さい》
ステータス……出し方わからんし、まずは生き残ることが最重要だ、後回し!
右手で触れることで魔法が発動するなら、剣の攻撃だけ注意して一匹ずつ進化させてみるか。
全部倒して、コサギの安否を確認する!
「待たせたな! 今度こそ皆殺しにするぜ!!」
自ら近寄ってくる間抜けなゴブリンに右手で掌底打ち、そのまま進化を撃った。
『進化!!』
青白い光がゴブリンを包む。
進化を撃ったゴブリンは、ものの数秒でぐちゃぐちゃな肉塊へと姿を変えていった。途端に群れは混乱に陥っていく。
恐怖に狼狽えるゴブリンと、キレて襲い掛かってくるゴブリンの半々に別れていた。
これが進化……? 考える余裕はない、片っ端から進化を撃ちこむ。
辺り一面が崩れ落ちた肉の塊にまみれるのに、そう時間は掛からなかった。
「僕の魔法、グロ過ぎ」
数匹のゴブリンは外へ逃げていったが、残りは血の滴る肉塊へと変貌した。
とんでもなく血なまぐさい惨状の前に、興奮した頭の中で思考が錯綜している。
さしあたって脅威になるものはなくなった。
落ち着いて、状況を整理する必要がある。
檻の中に戻ると、先ほど見つけたコサギの所持品が散らばったまま。
奥に女性が倒れている、ぴくりとも動いていない。
女性の肩に手を掛けて軽くゆすり、声を掛けてみるが反応はない。
それに、生きている人間の体温ではなかった。
拘束具を付けられてる訳でもないのに、死ぬまでここから逃げられなかったんだな。
散乱しているコサギの持ち物を学習鞄に仕舞っていく。
これは理由があって荷物を捨てただけ、コートは脱ぎ棄てただけ、そうに違いない。
学生鞄の傍に落ちているコートを拾う。
コートの下には、コサギの着ていたセーラー服があった。
スカートが、ストールが、靴があった。
「そんな……」
頭の中で、引っかかっていた言葉を思い出した。
「僕はコサギの腕を掴んで、確かその時に、〝進化発動〟ってあの声が聞こえて……身体から光が溢れて、それから消えたってことは」
ゴブリンの亡骸を一瞥する。あんな事になってる訳ないよね。
嫌な予感が消えないまま、恐る恐るコサギのセーラー服をつまんで持ち上げようとすると、服の中で何か動いていた。更に嫌な予感がしつつも、セーラー服をめくり、下着のボタンを外して中を確認する。固唾をのむ。
「ゴブリンの……赤さん?」
薄緑色の肌をした、生まれたての赤ん坊にそっくりな生命体が、コサギの衣服に包まっていた。
「お前もしかして、コサギ?」
当然だけど、赤ん坊は返事をしてくれない。
視線は泳いでるし。うー、あー、と言葉にならない声を発するだけ。
抱き上げ、赤ん坊の状態を見てみる。
へその緒は既になかった。髪は薄く、歯も生えていない。
性別は女のようだ、ナニが付いてない。
健康に問題はなさそう。
状況としては、この赤子がコサギという事になるのか?
しかし、僕が誤ってコサギにかけた……かもしれない魔法は進化だ。
これじゃ物理的な幼児退行だし、それにどう見てもゴブリンだよな、この肌の色は。
◇
僕らは異世界に転生した。ゴブリンの存在と僕の魔法がそれを裏付けている。
妹の転生後の姿、かもしれないゴブリンの赤子を見捨てられるわけもなく、僕はこの洞窟から旅立つことに決めた。
コサギの鞄の中を物色し水筒を見つけ、最初の泉で水を汲んでおく。
この湧き水なら、沸かせば飲めるだろう。
ついでに、泉に浮いていた僕のリュックを発見した。これで水筒2本だ。
水面に映る自分の顔が、生前より幼く見えたような気がした。
服装は制服姿だった、死んだ日の恰好そのまま。
アウトドアのパーカージャケットを羽織っていて良かった。
妹の衣服は荷物になるから、綺麗に畳んでスタート地点に置いておく事にした。
他の荷物は整理して、必要性の高そうな物だけ、リュックへ詰め込んだ。
ゴブリンの巣に戻り、使えそうなものを物色する。
剣は使い物にならない。今にも折れそうだし、いらん。
大きな布と長い縄を見つけた、ゴブリンたちが幌馬車の残骸から盗んだのだろう。回収回収。
手ごろな布で赤ん坊を包み、簡易だが抱っこ紐を作った。
リュックを背負い、赤ん坊を抱っこして、巣穴の出入り口へ進んだ。
小さい麻袋が置いてある。
「そういや、マー君がなんか置いていったっけ」
それは手に取ると中々重かった。揺するとざらざらと音がする。
麻袋には精米された綺麗な白い米が詰まっていた。
「米……か。あいつら、町に戻るとか話してたよな……」
洞窟から出ると、辺りは緑色に染まる豊かな土地だった。
鬱蒼と茂る針葉樹の森が広がっている。
「マー君とメガネ女に文句言いに行こうぜ! な、赤ちゃん!」
僕は町を探して歩き出した。