17 ファーストキス
頭の痛みで目を覚ますと、知らない場所にいた。
頭部を叩かれたような気がして、一瞬身構える。
辺りを見渡すと、僕は清潔なダブルベッドで眠っていて、真新しい四壁が蝋燭の火で揺れて見える。
ベッドの脇には科雨マリアが座っており、本を読んでいた。
その隣には、小さいテーブルが置いてあって、木の札が何枚か載っている。
「おや、起きましたか。この台詞も2回目になると、親密さを感じますね」
科雨は本を閉じ、微笑みながら言う。
「そう、ですね。記憶が無いんですけど、僕は一体どうなったんですか? なんで生きてるんですか」
彼女はハッとして、記憶がないんですか? と驚いた。
「こんな美人と結婚している事も記憶に無いんですか? それなら、今から私と貴方の馴れ初めをお聞かせ――」
「いや、記憶喪失じゃないんで!」
「ちっなんだ、つまんないの」
舌打ちをしてから、僕の途切れた記憶を知っている範囲で話してくれた。
「貴方は魔力切れで倒れ、妹さんが此処『シノク王国』まで担いで飛びました。丸一日のフライトですよ、後で感謝した方がいい」
「僕を担いで飛んで……? コサギは無事なんですね?」
飛んでって、どういう事だ?
「もちろん、別室で寝てます。今度は妹さんが魔力切れですね」
「アイリスは……――」
科雨は僕の唇に指を添えて言う。
「残念ですが、リズボンさんはこの国に居ません」
「そんなっ! アイリスは……助けられなかった……?」
心臓が絞られるような気持になる。
「まぁ私が助けようと思えば、すぐにでも助けますけど。どうします?」
「え? ちょっと……冗談でもそういう、期待を持たせるようなこと言わないで下さいよ」
「本当の話ですよ。ただ、多少は見返りも欲しいですね? 私が一番嫌いな事は、タダ働きです」
僕はベッドから飛び起き、シーツに頭を擦りつけながら、科雨に懇願する。
「お願いします、アイリスを助けてください! 助けてくれたら、僕は科雨さんに何でもします。なんでも差し上げます。だから――」
「じゃあ、まずは名前で呼んでください。〝さん〟も無し」
「マリアさ……マリア、お願いします。助けてください」
「じゃあ次は、足を舐めてください」
マリアは、スッと靴下を脱いで、生足を差し出した。
僕はすぐにマリアのおみ足をぺろぺろした、が忘れてた。
この女、〝絶対防壁〟があるから〝触れない〟んじゃん!
僕は一体、何処をぺろぺろしてたんだっ!
「ふぅむ。そこまで従順になってくれるならいいでしょう。リズボンさんを助けましょう。少し待ってね」
彼女はテーブルの上から木の札を一枚手に取って、耳に当てる。
まるでスマホみたいに。
「門兵さん、聞こえますかぁ。ええそうです、マリアです。ついさっき南門で止めた〝荷物〟がありますよね。えぇ」
マリアは本当にスマホで話しているみたいに、木の札で話をしている。
「そうです、それ私の〝荷物〟でした、いやうっかり。それ入国させて、ギルドの宿舎に。はい、お願いします。では」
マリアは電話を切るように、木の札をテーブルに戻した。
「今の、どういう事ですか?」
「私に付いてきて」
後を追うと、そこは部屋のバルコニーだった。
彼女は窓を開き、僕に身を乗り出すように促す。
二人で外の様子を眺めると、既に日は落ちていて、綺麗な星空が広がっている。
「ここはギルドの2階にある、私の部屋です。大通りに面していて、人の流れを観察するには持ってこいなんですよ。ほら、あれを見て」
マリアの指さす方から、一台の屋根の無い荷馬車が走ってきていた。
目を凝らしてみると、イエッタが御者をしている。
荷台にはアイリスが子供を抱えて座っていて、隣には百火もいる。
「んなぁ……アイリス⁉ イエッタまで逃げていたのか」
「イエッタは私の諜報員です。仕事が終わったので帰国させました」
「仕事?」
「ベルストックで製造されている〝違法な聖水〟の現物と、聖水に使われた〝血の持ち主の確保〟です。リズボンの息子は生き証人ですから」
「どういう事ですか? 話が分からない」
眉根を寄せてマリアに質問すると、壁ドーーーン! された。
「説明したいところですが、今は〝貴方の大切な人達は全員無事〟ってことで、納得してくれませんか?」
マリアの鼻息が荒い。
彼女の眼鏡の奥から、何やら不穏な視線を感じる。
「どうせ、リズボンは貴方に暫く会えません。息子の養生を済ませた後、彼女はイエッタを交えて事情聴取します。ベルストックの悪行を一つ一つ暴いていき、法で裁くための準備を整えなければいけませんから」
「僕はアイリスに、いつ会えるんですか?」
「いずれ、必ず会えますよ。ですから今は、彼女に声を掛けてはいけません。〝私からのお願い〟です」
荷馬車はギルドの正面を通り過ぎるところだった。
僕は、彼女に〝なんでもする〟と言った手前、目の前にいるアイリスの無事を心の中で祝う事しか出来ない。
僕に気付かず視界から消えていく荷馬車を睨みながら、拳をぐっと握る。
「よく我慢出来ましたねぇ。いい子いい子、流石は私の見惚れた少年! 大好きですよ、シノ」
恍惚の表情という表現が最も相応しい顔をしたマリアが、僕を抱きしめてきた。
あれ?
普通に抱きしめられて、柔らかい胸に顔が包まれていく。
触られてるぞ。
「気付きましたか? ギルドの受付嬢で実験したんです。私の意思で、私からなら触る事は出来るんですよ。だからシノは動かないでくださいね」
「あっはい」
マリアは僕を抱きしめながら、頻りに僕の頭を撫で、すんすん匂いを嗅ぐ。
「可愛い、男の子の匂い」
マリアから漂う佳い香りで、少し頭がぼうっとする。
「ベッドに行きましょう」
「はい」
マリアに手を引かれて、先ほどまで寝ていたふかふかベッドに寝転んだ。
すぐに僕へ覆いかぶさったマリアは、少し顔を赤らめていて、緊張しているようだった。
「何度も言うけど、シノは動かないでね。私の〝絶対防壁〟が起動しちゃうから」
「……わかりました」
マリアは眼鏡を外して、少し声を震わせながら言う。
「き……キスしていい?」
「いいですよ」
マリアは僕の顔をじっと覗き込み、唇を寄せようとしては顔を離す、を繰り返している。
唇を寄せて、離す。
繰り返すこと10回。
「き……緊張するなぁ。前世でもキスした事なくて、小学校以外は女子校にしか通ったことなくて、男子って珍しくて」
急に言い訳を始める。
「本当にいいんですか? ファーストキスが僕で」
「貴方はどうなの? なんでもするって言ったから私を受け入れるの?」
「それもありますけど、マリアさんは命の恩人だし。貴重な同郷の人です」
「〝さん〟は無し。女として、私をどう思う? 顔もスタイルも自信はあるんだけど。シノの好みじゃない?」
「いや、マリアはお世辞抜きに綺麗だと思います。ただ、初見の印象が最悪だったんで、今すぐ好きになれっていうのは難しいかな」
「そう、そうだよね。あの時は本当にごめんね」
「キスしてくれたら、許してあげますよ」
こっちからキス出来ないから、誘導してあげないと一生マリアの下敷きになってしまう。
そう思って言った。
するとマリアの顔がますます赤くなってしまう。
「しゅ……主従逆転プレイね⁉ そう、貴方が求めて来るなら拒めないよね」
「最初は恥ずかしいと思うので、軽くする感じでいいですよ」
「年下からキスの手解きをされて、初めてを奪われるのね!」
演技過剰とばかりに興奮を露にするマリアに、内心ちょっと驚いていた。
普段とのギャップがあり過ぎる。
「…………するよ」
「はい」
ゆっくりと降りてくるマリアの顔を眺めてから、目を閉じた。
柔らかく、触れる感触がある。
少しだけ唇を啄まれた瞬間、覆いかぶさっていたマリアが、ばっと起き上がり両手で顔を隠していた。
彼女はベッドから飛び降りて、最初に座っていた椅子へ戻っていくが、さっきまでと全然様子が違う。
「これで、私も貴方の女って訳ね」
とんでもねぇ拡大解釈がぶち込まれてきた。
体育祭の借り人競争で『将来の旦那』とか『理想の彼ぴ』みたいなカードを一番引いちゃいけねぇ奴だ!
間違いなく文面通りに受け取って、執拗に彼女アピール、果てはストーカーにまで及んでしまっても僕は驚かない。
マリアは自分の唇を人差し指でゆっくり撫でながら、乙女な顔をして何もない空間をぼうっと眺めていた。
まぁ、ちょっと変わった女性ではあるけれど、僕の味方ではある。
それに、僕とコサギが安全にシノク王国に渡れたのも、アイリスが助かったのも一重に科雨マリアのお陰だ。
感謝こそすれ、もう無下に扱う訳にはいかない。
そうこう考えている間、マリアはまだ宙を見つめている。
「あ、〝絶対防壁〟のランク上がってる。ふぅーん。何これ、〝思い人設定〟? とりま、〝彼ぴ〟の名前書いておこっと」
マリアはステータスを確認していたらしい。
っていうか、なんで急に女子高生みたいな事を言い出したんだこの女は。




