15 雷嵐の魔導師
「よく帰ってきたな、アイリスよ。イエッタ、ご苦労だった」
町長は愉快そうに、側室の妻たちをベッドの前に並べる。
彼の寝室には、アイリスとイエッタを含めて6人の妻たちが集められていた。
男と比べると、女たちの表情はどれも冴えないものだ。
彼らはそれぞれ、酒の注がれた杯を手にしている。
「お前たちは、俺の愛する妻たちだ。皆でアイリスの帰着を祝おうではないか。さあ、杯を上げろ。スコール!!」
妻達も小さな声で乾杯の音頭をとったが、アイリスだけは杯に注がれたワインを、飲む振りもせず、背後の壁に勢いよくぶちまけた。
「どうした、口に合わなかったか?」
町長は一転して、不愉快そうに尋ねる。
「別に」
「別に? 俺に何か不満でもあるのか? 誰のおかげで生きていけていると思っている。お前に子を授けたのはこの俺だぞ」
アイリスは町長の言葉を無視して、寝室を出て行こうとするが、町長は肩を掴んで引き止めた。
「お前たちは出て行け! アイリスには躾が必要だ。イエッタ! こいつの息子を連れてこい、今すぐ!」
町長は女たちにそれぞれ命令して、寝室から一人ずつ追い出していった。
「お前には、現実をわからせなければな」
町長は語気を強めて言う。
イエッタは乳母車を押して、寝室に戻ってきた。
ベッドの前に立たされたアイリスの眼前に乳母車が置かれ、息子の姿を見ることになる。
彼女は血の気が引いていった。
「リエッキ……なんでこんな……」
◇◇◇◇◇◇
差し出された息子の姿は、まるで動物実験でもされていたかのような、悲惨なものだった。生後1年半の赤ちゃんに、何本もの管が刺さり、ごく少量ずつ血が抜かれている。本来なら、自立して歩き回っている年頃の子が、寝たきりで虚ろな目をしている。辛うじて生きている、それだけの状態だった。
私は顔面蒼白になり、額には脂汗が浮かぶ。
瀕死の息子を目の前にして、現実を悟った。
町長が息子を取り上げたのは、私を逃さないための人質、と思い込んでいた。
もちろん、そういう意味合いもあったのだろうが、本質は全く違う。
息子は血を採られ、何かの悪事に利用されている。
その〝装置〟にされていた。
リエッキを救うには、新たな生贄を捧げなければならない。
そういう仕組みになっていたと、私は今になって気付いた。
逃げ場のない歯車の間で、心まで粉砕されていきそうになる。
「アイリス、わかるだろう? 次の子が生まれれば、リエッキは自由になれるんだ。お前は俺の子を産むために生かされてる、そうだろ?」
町長は我が子の前で、私の衣服を乱暴に剥ぎ取り、破り棄てる。
「懐かしい身体だな。あんなガキにくれてやるには、あまりに惜しいものだ」
彼は言いながら、女の身体をいやらしく撫でまわし、喜びに顔を緩ませている。
「さあ、俺に奉仕しろ。お前は俺の物だろう」
どうせ、この町の中では町長の言う事に逆らえない。
町長の妻に選ばれた者は、子を産まされ続ける下世話な風習。
次の子を産めば、リエッキも助かる、私も2年半ほど自由になる。
私は抵抗することを諦めようとしていた。
たった一つの、淡い期待を残して。
私の心の中に唯一残っている希望の光は、まだまだ男としては幼く、少し頼りない人。
でも、いざと言う時に助けに来てくれて、何があっても家族を見捨てない、優しい人。
小さいのに、溢れてくる包容力が彼の一番の魅力だと思う。
初めて彼に手を出したのは、ちょっとした復讐心だった。
この町の穢れた習わしに反抗してみたかっただけ。
与えられた、僅かばかりの自由を謳歌するつもりだった。
でも、彼は私の気持ちを知っても、いつも私を尊重してくれる。
生まれて初めて心で触れ合えたような、優しい気持ちをくれた人。
そんな彼の姿が、心にピンでしっかり留めてあるみたいに、ずっと残ってる。
物分かりのいい彼の事だ、本当に私の事を何年でも待っていてくれるかもしれない。
あの穏やかな顔で、再び私を迎えてくれる、かもしれない。
けれど、もし私を家族と思ってくれているなら。
「助けて」
口をついて出た言葉に、身体が震える。
一度口にしたら、気持ちが止まらなくなっていた。
助けて。
ここから連れ出して。
そう心の中で、強く願った。
その願いが通じたかのようだった。
突然、広間の方から人の騒ぎ声が聞こえた。
それからすぐに、空気を引き裂くような強い風の音が聞こえる。
ばん、ばん、ばん、と大砲でも撃っているみたいな、割れんばかりの大きな爆発音が響いてくる。
ばん、ばん、ばん、とその音は何度も続いていく。
寝室のドアが開き、屋敷の門番であるスラックが飛び込んできた。
「町長! 例の魔導師が来やがりました! あいつ、屋敷中を穴だらけにして――」
スラックはドア越しに風魔法を受け、天井に穴をあけて飛んでいった。
大砲みたいな音が、その後も続いた。
その破壊音はまるで、私を閉じ込め続けた鳥籠の編みを、一つ一つ壊していくような、清々しさを孕んでいる。
「来やがったな、ガキめ。そーくると思ってたぜ。こっちは想定通りなんだよ、ばーか!」
町長は強がりなのか、言葉通りなのか判らないが、威勢の良いことを言った。
それから数回の爆発音が聞こえ、屋根を全て吹き飛ばされ、屋敷は荒れ果てた家屋のような有様になっていた。
鳥籠は壊れた。
大空への道が私の前に敷かれる。
やがて大空から現れたのは、私が心から待ち望んだ、心優しき男の子。
「タカキっ!」
「待たせてごめんね、アイリス。迎えに来たよ」
◇◇◇◇◇◇
僕は寝室のベッドに土足のまま着陸して、迷わず町長に杖を向ける。
町長は、まるで僕の行動を予測していたかのように、既にアイリスを人質にとり、あまつさえ盾にしようとしていた。
「お前のような強い魔導師が、黙って女を差し出すわけがねぇからな。だが、どうだ? 女ごと俺を撃てやしねぇだろ」
アイリスの首を掴み、僕の前に晒す。
彼女は苦しそうにもがき、町長に抵抗している。
「アイリスを離せよ、お前なんかと話はしない」
「そうはいかねぇ。俺の家をこんなに、滅茶苦茶にしてくれたんだからな。罰を与えないと収まらねえよ。まぁ、ただ殺すのもつまらんしな。どうしようか? お前の前でアイリスを犯そうか?」
「話は無しだ。アイリスを離せ」
町長は笑い飛ばした。
「おいおい、まさかお前、この期に及んで、まだなんとかなるって思ってないか? どうせアレだろ、俺を倒して、アイリスと息子を救って逃げおおせれば、ハッピーエンドを迎えられる。みたいな甘い考えで来たんだろ。甘いな、甘過ぎる。子供ならではの幼稚な浅知恵だな。お前の行動は、ぜんぶ予想通りだっつうの!」
大見得を切って言う町長は、アイリスの首に腕を回して杖を取り出し、僕に杖先を向ける。
町長が火球を飛ばすと同時に、他の場所からも魔力の気配がした。
反射的に空へ飛んで回避する。
単調すぎる攻撃に、反応できない訳はない。
上空から目を凝らして見定める。
屋敷の屋根は全て吹き飛ばした、全貌は視認できている。
寝室には町長が、先ほどと同じようにアイリスを盾にしたまま此方を見ている。
今すぐ助ける。
だが、先に敵を無力化しなければならなかった。
広間に数人の男がいる、奴の配下だろう。
子供部屋と思しき広い部屋が隔離された場所にあって、イエッタと数名の女性、子供たちがそこで身を寄せ合っている。
あの場所へ攻撃が届かないよう、気を付けなければいけない。
広間に杖を向ける。
風魔法を撃つと、火魔法が撃ち返された。
何度も魔法を撃ちあう。
「お前らに掛ける時間はない! 『来来雷』!」
特大の雷を広間に落とした。
大地の割れるような雷鳴が、町中に轟いていった。
僕は再び町長とアイリスの前に舞い下り、再度、杖を向ける。
「今度はお前の番だ。死にたくなかったらアイリスを解放しろ!」
「タカキ、ダメ! 逃げて!」
「黙っとけよ、邪魔するな、女の分際で」
町長はアイリスの口を塞ぎ、悪態を付く。
「流石は魔導師、属性魔法が得意と見える。あっぱれだよ、〝ソレだけ〟だったらな。俺はお前に勝てないだろう」
「何の話だ。もう逃げ場は無いぞ、早くアイリスを自由にしろ。それ以上僕のアイリスに触るな」
「モンスターにばかり魔法を使ってるヤツはな、どいつもこいつも属性魔法しか覚えねえ。要は能無しってこったな」
町長は、にやにやと笑みを浮かべる。
「魔導師くん、〝お前に新しい魔法を教えてやるよ〟人間同士の戦いはこうやるんだっ! よーく見とけ!」
「何をするつも――」
「『ナーフワーム』!!」
それは一瞬の出来事だった。
マッシュバーンの杖から黒い線が伸びてきた。
その線は僕の杖にぐるぐると絡まり、ぐっと力が入った途端、僕の手から杖を奪い去っていったのだ。
「〝対人魔法〟だよ。知らなかったなぁ? 知ってたらこんな初級魔法、対策は簡単なんだけどな。お前に出来ることは、杖振り回して脅かすだけか? 考えろよ。子供なりに」
意地の悪い笑みを浮かべ、マッシュバーンは勝ち誇る。
「……くそっ」
杖を盗られた……⁉
杖の無い僕は、それこそただの子供だ。
アイリスが僕にした警告は、これを恐れての事だったのだ。
町長は僕の杖を、容易く真っ二つにへし折った。
「惨めだなぁ。もう何も出来ない。杖が無ければ魔導師でもない、ただのガキなんだよ、お前は!」
いや、まだだ。
まだ、僕には〝進化魔法〟があるじゃないか!
進化魔法はアイリス以外に、この場で知っている者はいない。
どうにか油断と隙を狙えば、右手であの男に少しでも触れられればいいんだ。
探せ、接近する方法を!
少しずつ摺り足で動き出そうとしたところに、広間の方からドカドカと駆け寄ってくる足音が近づいてくる。
新手がまだいたのか⁉
足音の正体は、町長の配下の男、その一人だった。
そいつは寝室の入り口に立つなり、こう言った。
「町長へ報告します! ゴブリン娘の生け捕りに成功しました。これより、教会にて処刑を執行します」




