01 亡霊
僕が死んでから一年の時が経った。
高校受験の当日に、双子の妹と共に電車で受験会場へ向かっている途中、兄妹揃って死んだ。
僕の名は士野タカキ、妹は士野コサギという。
僕らは男女の双子だったから、顔はあんまり似てなかった。
あの日は、二人で同じ高校を受験するハズだったけれど、電車が〝滑って〟この有様だ。
こうして僕は幽霊となった。
幽霊になっても僕の日常は変わらなかった。
一つだけ日課が増えたけどね。
毎朝、両親と共に食卓について、授業のある日は志望校の教室へ行き、病欠等で空いている席を見つけ適当に座って授業を受ける。
僕は幽霊だから椅子は引けない、だから授業中は空気椅子だったり、机の上であぐらを組んだりしていたが、見咎められることはなかった。
学校が終わったら、僕と妹の墓へ行って、墓石に話かける。
「なぁ妹よ、お前今さあ、どこにいんのよ」
これが幽霊の日課だ。
勢いよく脱線した電車の中で、これは二人とも助からないなぁと直感したものの、僕は妹を庇っていた。
その甲斐あって僕の方が先に死んで、コサギは約2時間後に病院で息を引き取った。
幽霊になって妹が旅立つ様子を一部始終を見守っていた理由は一つ、もしあの世があるなら、コサギと一緒に逝こうと思っただけだ。
けれど一向に、コサギの魂と言うのか、霊体が出てこないのだ。
火葬場でも会えず、墓前でも、家でも会えず。妹の自室も入念に探したのに、だ。
生前と変わらないような生活パターンを送っていれば、いずれ会えるのではないかと考えた。
しかし、1年経ったけど成果はない。
ただちょっと気になるのは、妹だけではなく、他の霊も見えない事だ。
意外と現世に未練があるヤツって居ないのかな。
「このままだとさ、お兄ちゃんは地縛霊ってやつになっちゃうんですよ。いや、もうなってるかもしれないんですよ」
浮遊霊から地縛霊へ進化、なんて笑えないよ。
今日も会えなかったか。
変わらない光景に落胆することもなく、いつもの様に自宅へまっすぐ帰ろうと踵を返す、すると視界に違和感を覚えた。
「ごふっ」「わっ」
うわ、何かにぶつかった、幽霊なのに!
突然の事に驚いたが、何のことはない、後ろに人が立っていたのだ。
「バカ兄?」「あっはい」
僕の、最高に可愛い妹は、何処からともなく現れた。
最後に見た時とまったく同じ姿をしている。
中学のセーラー服にコートを羽織り、首元にはピンク色のストールをぐるんと巻いた黒髪ロングの超絶美少女の僕の妹だ。
そいつは、怨霊のような形相で、なぜか僕に殴りかかってきた。
「うぉらぁぁあああああぁあ! クソ兄~!」
死ね! まで付け加えて、学生鞄が頭上へと振り下ろされた。
享年15(歳)元女子中学生が、なんと!
怨霊に変わり果て、全身全霊で襲い掛かってくる。
なんで?
「バカ兄、てめぇなんで今頃になって姿を現したんだよ! ず~っと探してたのに! どこで何してたんだよ! 言え!」
「何していたって? 僕もコサギを探してたんだけど……。って言うか、そんなにはしゃいじゃって、感動の再会が嬉しいんだね!」
「うれ……しぃ……?」
コサギは僕の襟首を掴み、続けて言う。
「ああ嬉しいねぇ! おめぇが中途半端に私を庇ったせいで、文字通り死ぬまで感じ続けたあの痛み! 苦しみ! 死の恐怖を! クソ兄に倍返しするまで地獄に堕ちられねぇってなぁ! でもようやく復讐を果たせるぜ! なんで突然現れたのか皆目見当もつかないけどさ、理由なんか何でもいいや? ねぇシスコンお兄ちゃん、すぐに後を追うからぁ、こ ろ さ せ て!」
コサギは、にちゃっと笑い、そう言った。
「おい! 今なんつった! 僕はただのシスコンじゃなぁい! って、おいおい、ガチで怨霊になってんじゃん、うちの妹! どーすんの⁉ すいませーん! 弁護士の幽霊いませんかー! 助けてー! おかぁさーん!」
突如始まった地縛霊の兄と怨霊妹の兄妹喧嘩は、しかしすぐに中断することになる。
兄を押し倒しマウントポジションを取ったコサギが、一気に拳を振りぬいた瞬間、大地は揺れ、大型地震の予兆のような、遠方から響く地響きが迫ってくる。
そして世界が変わった。
被虐性癖に目覚めたことの比喩ではないよ、僕らを取り巻く世界が変わったんだ、本当に。
「ちょっ、おに――」
僕をマウントしているコサギが何か言いかけたところで、景色は真っ暗になり、僕の意識は途絶えた。
◇
気が付いたら水中にいた。
実体の無い幽霊の僕としては、こういった事はままあるのだが、のだけれど……。
「ぐぉっ! ごぼぼんっ!」
意識が戻ってはじめに感じたものは息苦しさだった。
それから全身が引っ張られるような体の重さは、小学生の頃にプールでやった着衣水泳を彷彿とさせる。
じたばたしていると、流れていく水泡が目に留まる。大小様々な水泡が其処彼処から発生しているようだった。
水が冷たく、身体が冷えていく感覚がある。
(僕、生きてね?)
状況が飲み込めずにいるけれど、一旦、水泡が流れていくほうへ向かい水をかいて進むことにした。
時折大きな泡が上っていくから、素人考えながらおおよその上下は判断できる。
幸運なことに、僅かながら光源があるようで、水面の小さな波紋の動きが見える。
それなりに浮上し、安堵したのも束の間、更なるトラブルが発生した。
息が持たない……、水を掻く腕も、バタ足も疲れてきた、みるみる速度が落ちていく。
(あれ……また死ぬかも……?)
筋肉が悲鳴を上げているのが判る。
これは、夢でなければ紛れもなく生きている証拠だろう。
己の限界を感じながら、目覚めてから再び独りきりになっている事も自覚していた。
コサギは無事なのか、それが気掛かりだ。
(嫌だ! せっかく愛しの妹に再会出来たばかりなのに……死んでたまるか!!)
ふと、頭の中に知らない声が響いている事に気付いた。
AI音声のような、淡々とした口調の若い女の声だ。
《士野タカキの転生を実行中、パーソナルデータの不備を確認しました》
《プルマキア大陸での適性に問題あり。不要項目を抽出します》
なんて? プル……プルなんだって?
《スキル項目を修正します。【虚弱体質】削除。【シスコン属性】削除失敗。【メンヘラ気質】削除。【被虐性癖】削除》
おい! 今なんつった! シスコン消そうとするんじゃねぇ! ってか、ここはこの窮地を一発逆転する場面でしょーが!
《新たな項目へ〝進化〟〝言語習得〟を加筆しました。〝進化魔法〟のスペルを加筆しました。スキルツリーの分岐を修正します》
何言ってんのか訳わからん。
ともかく息が出来なければ溺れ死ぬことは避けられない、最後の力を振り絞って泳ぎ続ける。
水しぶきの音が聞こえ、水面から人の腕が伸びてきた。
よかった! 誰かが気付いて助けに来てくれたんだ。
伸ばされた腕を掴む。
《進化発動》
水辺の淵まで引っ張り上げてもらい、ようやく満足に呼吸が出来た。
息を整えたところで、顔を上げてもう一人の人物を確認する。
「コサギだったか。ありがとう、助かったよ」
そこに立っていたのは妹のコサギだったが、どうにも様子が変だ。
ついさっき、僕と握り合った右腕が眩しいほどに光り輝いていた。
その激しい光のお陰で、周囲の状況が視界に入り込んでくる。
ここは洞窟の中だ。今いる空間は水飲み場のようだった、一軒家を立てられるくらいの広さで、中央の大穴に大量の水が張ってある、泉だ。
天然水かな。透き通った水面を眺めながら、なんでここの泉に移動したのか気になった。
岩壁には所々に光る鉱石が埋まっているらしく、洞窟の奥のほうまで薄っすらと見える。
横穴が二つあった、僕の向かいに一本、背後に一本の道がある、どちらかが出口に繋がっているはずだ。
「どうした! なんだそれは⁉」
コサギも驚いている。
いつの間にかコサギの全身から光が溢れていて、収まる様子がない。
コサギは何か言おうと手と口を動かしているが、声が聞こえない。
気が動転したのか、コサギは僕に背を向けて横穴に走っていき、すぐに姿が見えなくなった。
「って、どこ行くねーん!」
慌てて追いかけると、横穴を通り抜けた先に広い空間があり外界からの自然光が差し込んでいて明るい。
僥倖とはこの事か!
思いのほかすぐに出口へ辿り着いたことで、胸を撫で下ろしたい気持ちで山々なのだが……。
眼前に広がるのは、ファンタジー系のゲームでよく見かけるモンスターの群れだ。
緑色の気持ち悪い肌に、痩せこけた低身長の体躯で、小汚い腰布を巻いている。ゴブリンってやつだな、たぶん。
コサギは此処を通ったのか?
ゴブリンと言えば女を攫ってチョメチョメするってよく聞く設定だからな、不安になる。
連中に見つからないよう、物陰を忍び足で移動する、人骨っぽい白い棒切れを見つけるたびに心の中で悲鳴を上げてしまう。
ここはなんだ、ゴブリンの巣か?
何かの檻のようなモノの隣まで移動したところで、揃った足音が響いてくる。
音の鳴る方を見やると、洞窟の入り口から人間が2人、侵入してきたのだ。
十数匹いるゴブリンたちの意識が、一気に入口の方向へ向かう。
そこには、のっぽの男と、おかっぱ頭のメガネ女が、ゴブリンに立ち向かうように進んできていた。
見る限り、二人ともかなりの軽装で、携えている武器も男が剣を持っているだけだった。
そんな頼りない二人組だが、剣が一本でもあれば、ゴブリンなんか簡単に蹴散らしてくれるだろう。
よし、やれ! たのむ! 安全確保よろしく! 僕はここで隠れているからな!
「わははは! ゴブリン退治に来てみれば! 子供も拉致られていたとはのう! 待っていろ少年! 今助けてあげるからなぁ!」
男は僕を指さし、大声を上げた。
ゴブリンたちはぐるりと首を傾け、男の指し示す場所へ視線を向けた。
即ちそれは、影で様子を窺っている僕である。
「えぇっと……あ、どうも! あはは……どうぞ、お構いなく。ね? 実は僕、妹を探しているんだけど、知らない? 知らないか。そうだよね」
ゴブリンたちは、僕に釘付けだった。