第20話 薩英戦争(前編)
この頃、横浜ではイギリス艦隊の鹿児島遠征が計画されていた。
「生麦事件の処理について幕府が薩摩藩に何も強制できない以上、イギリス自身が薩摩藩に強制するしかない」
このように判断したニール代理公使は、自分が直接艦隊を率いて鹿児島へ行くことに決めた。
この日、ユーリアラス号の司令室でニールとキューパー提督が遠征計画の打ち合わせをした。
キューパー提督はニールに尋ねた。
「やはり目的地は、下関ではなくて鹿児島ですか?」
「ええ。本国政府から薩摩に対する処分命令が来ていますし、長州は我がイギリスの船を攻撃していませんからね」
本国政府からの薩摩に対する処分命令とは、以前書いたように
一、イギリス士官立会いの下、殺人犯を死刑に処する事を要求
二、被害関係者への賠償金として2万5千ポンド(10万ドル)の支払いを要求
三、この要求を拒んだ場合、薩摩藩の船舶の拿捕ないしは海上封鎖を実施する。ただし状況によっては薩摩藩主の居城を砲撃することも含む
という、この通達のことである。
「それで提督はどのように艦隊を編成するお考えですか?」
「日本の地方政府との交渉事だから、軍艦の二隻も連れて行けば十分だと思いますが」
ニールはキューパー提督の弱腰姿勢に若干眉をひそめた。
「それではあまりにも少な過ぎます。相手にナメられて、交渉事が不利になります。少なくとも軍艦七隻は必要です」
「そんなに威圧的に出ては、逆に相手を追い込んで暴発させてしまうかも知れませんよ!」
「いや。日本人は常に時間稼ぎを狙って問題を先送りしようとします。だからこちらは大艦隊で威圧して、一気に事を運ぶ必要があるのです。中央政府の幕府でさえ賠償金を支払ったのだから一地方政府の薩摩がイギリス艦隊に手向かう訳がないでしょう?」
結局キューパー提督は七隻の軍艦を率いて鹿児島へ向かうことをやむなく了承した。
その七隻とは旗艦ユーリアラス号、パール号、パーシューズ号、アーガス号、コケット号、レースホース号、ハヴォック号であった。
ニールやキューパー提督が乗るユーリアラス号には旗艦付き通訳としてシーボルトが乗り込むことになった。
そしてサトウとウィリスはアーガス号に乗り込むことになった。他の公使館員もそれぞれの艦に分乗させることになり、ほぼすべての公使館員を鹿児島へ連れて行くことになった。
鹿児島遠征を控えたサトウとウィリスはいつもの居間でお茶を飲みながら、その鹿児島遠征のことを語り合った。
ウィリスはサトウに鹿児島遠征の日程が決まったことを告げた。
「鹿児島へ出発するのは8月6日(六月二十二日)と決まった」
「そうか。楽しみだなー。鹿児島旅行」
「まあ……シーボルトの件は、あまり気にするなよ」
「えっ?なんで?もともと全然気にしてないよ」
「そうか。それなら良かった。だけど、俺はサトウが旗艦で通訳の仕事をすべきだと思うぜ。同じ船に乗れるのは嬉しいけどな」
「ありがとう。でも、確かにまだ会話の点ではシーボルトのほうが上かも知れないよ。こっちはまだ日本に来て一年弱。あいつはもう四年も日本に住んでるんだから」
「でも英語はまだまだ上手くないけどな」
「そう言えば、あいつがサン・オブ・ガン(卑劣な奴)を「鉄砲の息子」と日本語に訳してたのを見たことがあるよ」
「ハハハ、そいつは傑作だ」
「日本語の読解力ではあいつに負けない自信はあるけど、結局は日本人通訳がいないと正しく読めない点では同じだから、今は仕方がないよ。なに、すぐに追い越してみせるさ」
さらにサトウは語った。
「とにかく、今はこの横浜を出て鹿児島へ行ける解放感で一杯だよ。たまにはこの横浜から飛び出して、どっか旅行に行きたいと思ってたんだ」
「そうだな。鹿児島はどんなところだろうな。行くのが待ち遠しいよ」
サトウとウィリスはこの時、鹿児島で戦争が待ち受けているとは夢にも思っていなかった。
そして六月二十二日(8月6日)イギリス艦隊は鹿児島へ向かって出発した。
一方、薩摩藩はイギリス艦隊の襲来に備えて軍事演習をくり返していた。
鹿児島湾沿岸の砲台を着々と強化し、日々砲撃訓練に励んでいたのである。
なにしろ薩摩は生麦事件における自分たちの非を認めていない。大名行列を邪魔した者を斬り捨てたのは当然だったと思っている。
そしてなにより薩摩は武勇を尊ぶ国柄である。
藩上層部の方針は開国とはいえ、多くの薩摩藩士は他藩同様、攘夷の感情が強い。敵が大英帝国といえども「戦わずして夷狄に屈する」など、あり得るはずがなかった。
これに加えて、幕府から伝達されたイギリスの要求が誤って伝わり、その事がいっそう薩摩側の闘志に火をつけた。
二月にニールから幕府へ通告書が届けられた際、福沢諭吉たちが大至急、徹夜で翻訳した。翻訳自体に誤りはなかったが、これが幕閣の手を経て薩摩藩へ伝わった時には「殺人犯を処刑すべし」というイギリスの要求が、なぜか
「島津三郎(久光)の首級を差し出すべし」
と誤って伝わってしまったのだ。
この要求を見て薩摩側が激怒したのは言うまでもない。
このような事情もあって、薩摩藩は鹿児島湾内の十ヵ所に砲台を整備して軍事訓練をくり返していた。
「イギリス艦隊出発」の情報を得た薩摩藩の江戸詰家老は、すぐに薩摩へ飛脚を送った。さらに家老自身も幕府の蟠竜丸に乗って薩摩へ向かった。
イギリス艦隊は比較的ゆっくりと進んだので鹿児島まで六日間かかった。しかし飛脚が鹿児島に到着したのはイギリス艦隊到着の十二日後。家老が到着したのは更にその七日後だった。要するに江戸からの情報は間に合わなかったのだ。
にもかかわらず、薩摩藩はイギリス艦隊襲来の情報を事前に入手していた。
入手したのは、長崎にいた五代才助(友厚)だった。
六月二十三日(8月7日)、この日長崎にいた五代は重大な情報を入手して動揺していた。
その五代のいる部屋には、五代のビジネスパートナーであり友人でもあるグラバーもいた。
五代はため息まじりにつぶやいた。
「まさかイギリス艦隊が長崎へ寄らずに、直接鹿児島へ向かうとは……」
日本語を話せるグラバーが五代に語りかけた。
「ミスター・レニーの情報なので間違いありません。イギリス艦隊は昨日出発してます」
この部屋には少し前までイギリス軍の軍医であるレニーという人物がいたのだが、すでに先ほどこの部屋から立ち去って長崎港へ向かった。上海行きの船に乗る時間が迫っていたからだった。
彼は横浜から上海へ行く途中たまたま長崎へ立ち寄ってグラバーに会いに来た。その時グラバーがレニーから「イギリス艦隊出発」の情報を聞き、前々からその情報を知りたがっていた五代に知らせたのだった。
イギリス人グラバーは四年前に来日して長崎で貿易商を営んできた。その間、薩摩藩との関係を構築して蒸気船などを売却した。その時グラバーの取引相手となったのが五代だった。
五代は思いつめた表情で語った。
「ミスターグラバーに仲介してもらって藩に無断で賠償金を支払う。あとは俺が切腹して事を収める。そうするしかないと思っとったが、イギリス艦隊は長崎に来んか……」
「何度も言いましたように、私はただの一商人です。海軍との仲介なんてできませんよ」
続けてグラバーは厳しい表情で五代に忠告した。
「いいですか。これだけは必ず守ってください。薩摩からは絶対、先に大砲を撃たない事。長州の真似をしてはダメです。長州に下関海峡を閉められたせいで、長崎の商売はアガッタリです」
「分かっておる。とにかく俺は急いで鹿児島へ戻る。もしも生きておったら、また会おう。ミスターグラバー」
「幸運を祈ります、五代サン。グッドラック」
五代は長崎から鹿児島へ急行した。
翌日、五代が鹿児島の鶴丸城に入ると松木弘安(後の寺島宗則)から声をかけられた。
「五代君。君も私と同じ船奉行に命じられたぞ。君が調達してきた、あの蒸気船の責任者だ」
前述したように、松木は幕府の竹内遣欧使節団に参加して昨年十二月に帰国した。そのあとイギリスとの交渉のために帰藩を命じられ、薩摩に戻ってきていた。
松木は話を続けた。
「それで、君はやはり国父様に和平交渉を勧めるつもりか?」
「はい。この鹿児島を焦土にしてはなりません。松木さんもイギリスの実力は十分ご存知のはずでしょう?」
「分かっている。だから私も小松様を通じて和平交渉をお勧めした。しかし小松様は、自分は和平交渉に賛成だが、とてもそんな話を持ち出せる状況ではない、と仰せられた……」
とにかく二人は藩主父子(国父・久光、藩主・茂久(忠義))の御前でイギリス艦隊襲来を報告するため広間へ向かった。
藩主父子の近くには家老・小松帯刀、側役・中山中左衛門、側役・大久保一蔵などが控えていた。ちなみに西郷吉之助(隆盛)はまだ沖永良部島に幽閉されている状態である。
「そうか。イギリスが七隻の軍艦を率いて、数日中に錦江湾(鹿児島湾)へ来るか」
五代の報告を聞いた久光は意気盛んに語った。
それで五代がふたたび意見を述べた。
「つきましては、恐れながら申し上げたき儀がございます」
「申してみよ」
「イギリスとの和平交渉はもはや不可能なのでございましょうか?」
これに中山が反論した。
「国父様の首級を差し出せと申す奴らと、交渉などできる訳がなかじゃろが!」
この中山の意見に五代が答えた。
「それは誤解でございます。イギリスは国父様の首級を求めてはおりません。犯人の処刑を求めているだけでございます」
ここで大久保が意見を差し挟んだ。
「それは良かった。しかし和平交渉など今更不可能である。イギリス艦隊の襲来を聞いて金を支払ったと思われては武士の名折れ。第一、朝廷から攘夷実行の命令が出ている昨今、賠償金支払いなど不可能であることは才助どんもご承知のはず」
中山がさらに五代に反論した。
「おはんは長崎でイギリス人と付き合って、イギリスかぶれになってしもたんじゃなかか?」
五代は和平交渉をあきらめて別の進言をすることにした。
「……それならば、せめて蒸気船三隻を坊泊(現・南さつま市坊津町)へ退避させるよう、お許しねがいます」
同じ船奉行である松木もこの案に同意した。そして五代は進言を続けた。
「あの蒸気船は某が長崎で買い付けました。賠償金の三倍の30万ドルという大金をつぎ込んでおります。しかし軍艦ではございません。もし戦になればイギリスは真っ先に蒸気船を狙うはずです。それゆえひとまず坊泊にでも……」
ここで五代の進言をさえぎるように中山が大声で反論した。
「ならん!敵を前にして逃ぐっとは、おはんらはそいでも武士か!そげん卑怯未練の言葉、まるで商人のようではなかか!」
五代と松木は愕然となった。
“卑怯”という単語が出てしまっては、薩摩隼人にこれ以上の議論は無用であった。
結局、蒸気船の湾外への退避案は中山中左衛門によって却下され、湾の奥まったところにある重富で待機させておくことになった。
横浜を出港したイギリス艦隊は順調に鹿児島へ向かっていた。
サトウやウィリスの記録によると航海中は天候も良く、アーガス号の士官たちと楽しく親睦を深めて上等な食事やワインを振る舞われていたようである。ウィリスは故郷への手紙で「アーガス号ではすべてが素晴らしいものでした」と書いている。
六月二十七日(8月11日)午後、イギリス艦隊は薩摩半島の山川沖に到達した。
これをうけて山川で監視していた薩摩藩の見張り番は、すぐに烽火をあげて鹿児島へ通報した。山川から鹿児島城下まで約50㎞あるが、その間烽火台を数珠繋ぎに配置してあり、イギリス艦隊襲来の報せはすぐに城下へと伝わった。
薩摩藩士たちはすぐに持ち場の砲台へ向かった。
その中には若き日の西郷信吾(従道)、大山弥助(巌)、東郷平八郎、山本権兵衛などもいた。
一方、鹿児島の町人に対しては退去命令を出して町から避難させた。
イギリス艦隊は鹿児島湾へ来るのが初めてで詳しい海図を持っていなかった。そのため水深などを測量しながらゆっくりと湾内を進んでいった。
ウィリスは故郷への手紙の中で
「緑の木々が美しく作物は豊かで想像以上に素晴らしい風景です。この景色を心ゆくまで味わうことができたら最高でしょう」
と鹿児島湾の風景を絶賛している。
しかしそのウィリス自身が、後に西南戦争まで約七年間、この鹿児島で暮らすことになろうとは、それこそ想像もできなかったに違いない。
イギリス艦隊はこの日の夜、鹿児島市街の南方のあたりに停泊した
翌六月二十八日(8月12日)、イギリス艦隊はゆっくりと北上して鹿児島市街の沖合いに到着。その威容を薩摩藩に対して見せつけた。
キューパー提督は薩摩藩の砲台群を見て、思った以上に防備が固められていることに気がついた。
とはいえ、イギリス人から見れば所詮旧式の砲台であり、この段階でも戦争になる可能性をほとんど考慮しなかった。そしてそれはニールも同様だった。
とりあえずキューパー提督は湾内の測量および偵察の任務を部下に命じた。
一方、薩摩側も各部隊に「命令があるまで発砲禁止」と厳命してあったので、イギリス側の測量や偵察の部隊が近づいても発砲することはなかった。
この日、薩摩藩の軍賦役・伊地知正治がユーリアラス号へ使者として向かった。
船内の応接室で薩英両者の談判が開始され、ニールは伊地知にイギリスの要求書を渡した。これにはイギリスの要求が英語、オランダ語、日本語の三通りで書いてあった。
伊地知はニールやキューパー提督に薩摩側の事情を説明し、それをシーボルトが通訳した。
「現在、我が藩主は霧島温泉で療養中である。遠隔地にいるため、すぐの返答は難しい」
これにニールが答えた。
「国が大変な時にのんきなものだ。とにかく急いで連絡をとって回答すべし」
「それでは、我が方の外国人接待施設に代理公使と提督をご招待したい。手紙のやり取りではなくて、そこで直接話し合いをするというのはどうだろうか?」
ニールはキューパー提督に耳打ちして相談した。
「我々に上陸するように言ってきてますが、私はこの連中のことが信用できません。絶対に罠が仕掛けてあると思います」
「私もそう思う」
ニールは伊地知の提案を拒否すると伝えた。
「その提案は拒否する。我々の要求はすべてその書類に書いてある。あとはそちら側で判断して回答すればよろしい」
ニールの予想通り、実際、薩摩側は罠を用意していたらしい。
ニールたちを人質に取るか、殺害する計画があったと言われている。
この日の会談はこれで終了となり、伊地知は陸地へと帰っていった。
同じ頃、イギリスの偵察部隊が重富で待機している蒸気船を発見した。松木弘安と五代才助が乗っている船である。
「もし薩摩が回答を渋るようであれば、その蒸気船を拿捕して質に取りましょう。本国政府からの指令でも船舶を拿捕するように書いてありますから、何も問題はないはずです」
とニールはキューパー提督に提案した。
キューパー提督はただちにこの案を了承した。




