4.「なぁ、九龍」
才能症候群と呼んでます。
果たして、何人目に行き当たった医者だっただろう。白衣を纏った恰幅のいい彼は、そう言った後。「まぁ、私が勝手にそう呼んでいるだけなんですけど」と頬を掻いた。
悪化した九龍の病状は一向に好転しなかった。碌に飲みも食べもせず、咳き込み、汗をかいている。その癖、病名の一つもつかず、だから、誰一人有効な処置を加えることが出来なかった。
幸い金には余裕があるものだから、名医と呼ばれる医者、噂があるだけの医者、誰かれ構わず呼んで診てもらうことは可能だった。
そうして今日やって着てくれた彼が初めて、それらしい病名を付けたのだ。
「治るんですか?」
僕は間髪を入れずに聞いた。
僕は焦っていた。
九龍はだんだんと弱っていくようで、このままじゃ本当に死んでしまうんじゃないかと、僕はようやく現実味を帯びて考え始めていた。
医者は小さく咳払いをして、それから僕の目をしっかりと見た。
「治せません。そもそも病ではありませんから」
「分かりました」
僕はそう答える。僕はもうすでに見切りを付けていたのだ。治せないのであれば用はなかった。さっさと次の医者に診てもらおうと僕はそう考えていた。
医者はさらに言葉を繋げる。
聞いてもいないのに。
「要は寿命のようなものなのです」
「九龍はまだ19です」
「けれど類まれなる才能を開花した」
「だから?」
「同じような患者を何人も診ました」
そう医者は言う。
「ある人は、誰の心も揺らせる音楽家になった。ある人は解けない問題はない数学者になった。ある人は必ず騙せる詐欺師になった」
僕は睨みつけるようにして、ひょうひょうとした顔の医者の顔を見ていた。
僕の視線など医者は少しも気にしていないようで、いやに穏やかな表情で続ける。
「皆、若くして死にました。生命を維持するパラメータは全て正常値なのに不自然にやつれて行った」
僕はもう少し医者が話すのを待ってやる。
何か有益なことを言ってくれはしないだろうかと、僕は勝手に期待していたのだ。
「私が思うに、彼らは人間でなくなってしまったのでしょう。人間でないから人間基準の正常値など訳に立たなくなってしまったわけですが。つまりまぁ、人間でない彼らの生命を維持するためには、どれもこれもが不適切なのです」
僕は眉間に皺を寄せる。彼が言っている意味が良く分からない。
「土台、半年もかからず100万円を10億にできる人間など、おおよそ、人間ではないのです。魚を陸にあげたら死ぬでしょう?そこまで極端でなくとも、もはや人間でない九龍さんには、我々と同じ環境で生きていくことなど不可能なのです。周りの環境、全てが薄い毒になって、緩やかに死に至る」
「九龍は人間です」
僕は答える。
「幸せになれるかどうか考えて不安になって、友達が出来ないことを不安に思って、馬鹿みたいに人間臭い。あいつが人間じゃなかったら、誰が人間なのか僕には分からない」
「人間だった。というのが正確ですね。まぁ持って半年でしょう」
医者は平然と言う。
殴ろうと思った。
結局そうしなかったのは、所詮、八つ当たりに過ぎないと知っていたからだ。
「なぁ、九龍」
「何?」
「なんでもない」
「うん」
「ねぇ、イズミ」
「何?」
「病院のベッドってさ?」
「うん」
「あんまり柔らかくないね」
「うん」
「こほこほ」
「…」
「なぁ、九龍」
「何?」
「なんでもない」
「うん」
「なぁ、九龍」
「何?」
「お前さぁ」
「うん」
「死んじゃうかもしれないって」
「ふぅん」
「ふぅん、じゃないだろ」
「まぁだって」
「そんな気がしてたし」
寝転がっていたベッドから上体を起こし、九龍は穏やかに笑っていた。
「ねぇ、イズミ」
「…何?」
「へんなかお」
「うるさいなぁ」
「ねぇ、イズミ」
「…」
「自分のことは自分じゃ分からないって、イズミは言ってたけどさ」
「…」
「案外わかるもんだね」
「なぁ、九龍」
「何?」
「それでいいのかよ」
「良くはないけど」
「うん」
「仕方がないんでしょ」
「色んなお医者さんに診てもらって」
「…」
「みんなどうしようもなくて」
「…」
「諦めるしかないよね」
「まぁ、わたしの人生。生まれてから死ぬまでイズミと二人きりで、悪くなかったよ?」
「僕は良くない」
「そう言わずに」
「良くないって!」
「そうは言ってもね」
「なぁ、九龍」
「何?」
「魔女がいるんだって」
「魔女?」
「人の生き死にを司る魔女」
「オカルトかぁ」
「あのね、イズミ」
「何?」
「古今東西、いまむかし」
「…」
「不老不死は存在しないし」
「うん」
「人は必ず死ぬんだよ?」
「知ってるけど」
「なら」
「他にないだろ」
「何もないって言った方が良いんじゃないかな」
「こほこほ」
「…」
「けどさぁ、イズミ」
「何?」
「わたし、半年くらいで死んじゃうでしょ?」
「…」
「へんなことに時間を費やさないでほしいな」
「まぁいいけどさ」
「…」
「その魔女、どこにいるの?」
「アメリカ、郊外」
「はぁ」
「ごめん」
「いいよ、英語勉強してて良かったね」
「最高でも三カ月」
「うん」
「何もなかったら、すぐ帰って来てね」
「うん」
「それから、毎日電話することと」
「うん」
「怪我しないこと」
「うん」
「ねぇ、イズミ」
「何?」
「あんまり行かないでほしいけど」
「ごめん」
「いいよ。いってらっしゃい」