第3話:帰路
それから俺達は、睦月と卯月の家に向かった。
道のりは帰り道を少し脱線したところ。別にここからまっすぐ帰れないことは無い。
「あぁ、待ってたよ。スイカ、持ってくるから縁側で待っててねぇ」
睦月と卯月のおばあさん、喜久子さんが優しく俺たちを迎え入れてくれた。
どうやら、部屋の方では宴会のようなものが繰り広げられているようだ。酒気を帯びたような大きな笑い声が聞こえてくる。
「はい、みんなで食べてねぇ」
『いただきます!』
俺がスイカをひとかじりすると瑞々しい果汁が口の中に広がった。美味い!
しゃくしゃくと一人で食っていると、真也が何やら立ち上がった。
「みんな!どこまで種飛ばせるか勝負しようぜ!」
「いいね、それ!」
「負けませんからね!」
「私もする」
なんかみんなやる気みたいだな。
明日香は、何やらモジモジとしている。
自分から言い出せないんだろうか?
「俺と明日香もやるぞ」
「お兄ちゃんが言うんならしょうがないな、私も参加する!」
「よし、じゃ、決まりだな!」
俺達はスイカの種を口に含んで、勢いよく吹き出した!
その様子を、正座した猫背の喜久子さんがおだやかに眺めている。
結局、夜の闇と同化したスイカの種は、ひとつも見つけられなかった。
「持ち越しだな」
「私が一番です!」
「いや、俺が一番だ!」
相も変わらず、二人は騒いでいた。
ホント、なんでこいつらこんなに仲悪いんだろ?
俺ですらまだわかっていない。
「なぁ、もうそろそろ帰らないか?八時過ぎてるぞ」
「ほんとだね、じゃ、帰ろっか」
「先輩は私の家に泊まっていきますよね?」
「ちげーよ、俺も帰る。またな」
「あ、ちょっと待ってください!なにか大事なこと、忘れてませんか?」
んー、大事なこと…か。
大事なこと、大事なこと…。
はっ、もしかして。
「スイカ、美味しかったって喜久子さんに伝えておいてくれ」
「違います、メールアドレスですよ!」
あぁ、確かにそんな約束もしたっけ。
「それなら明日香に送ってもらってくれ」
「ほんとですか!?」
「ほんとだよ、明日香、送ってくれるか?」
「家に帰ってからね」
睦月は「わーいです!」と言いながら飛び跳ねて喜んだ。
そこまで嬉しいことなのか?
「じゃあな、二人とも」
「また明日です!」
「明日なのか…」
「お邪魔しました!」
「うん、バイバイ」
俺達は帰路に着いた。
どうやら、真也は自転車で来ていたようで、それを押しながら歩いている。
「案外良いもんだろ?」
「まぁな」
少なくとも、退屈することはなかった。
何故だろう?あんなの、ただ短冊に願い事を書いて括るだけなのに。
「如月さんが来てくれたからかもな」
「どういうことだ」
「お前、如月さん好きだろ?」
「はぁ!?」
真也は二人に聞こえないように耳元で囁いた。
ななななな、何言ってるんだ、こいつ!?
「好きじゃねぇって!いや、好きだけど、それは友達的な意味で!」
「俺は別に『女の子として好きだろ』とは言ってないだろ」
「ともかく、この話はなしだ!それ以上言うなら、お前が明日香が好きなこと、明日香にバラすぞ?」
「よし、この話はもう忘れよう、今すぐ忘れよう!」
図星かよ。
でもなんでこいつは俺が如月のことを好きだと思ったんだろう?
恋なんてしたことないっての。
「家まで送ってくよ、きぃ」
「そう?ありがとう!」
「一人じゃ危ないからな」
すると、何やら真也が自転車に乗った。
「じゃ、俺は帰るわ、明日香ちゃん、またな!」
「あ、はい。お気をつけて」
明日香は過ぎ行く真也に手を振った。
真也も手を振っていたが、片手運転が苦手なのか、自転車がぐらついて振るのをやめた。
「じゃ、私も帰るよ。二人の邪魔しちゃいけないからね」
「邪魔ってなんだよ」
「楽しんできてねー」
あいつ、何勘違いしてるんだろう。
いや、あいつも、か。
「しーくん?」
「あ、いやなんでもない。じゃ、行くか」
「うん!」
如月が元気に頷いた。
懐中電灯を構え、夜道を歩く。
名前も知らない虫や蛙の声が、夏の夜を連想させる。
「なぁ、きぃ」
「何?」
「都会の方で、恋とかしたか?」
「してないよ、浮いてたもん」
「浮いてた?クラスでか?」
「いや、社会でかな」
やけにスケールがデカイな。これが都会の洗礼ってやつか。
いや、人間の本質なのかもな。適応できないものを嫌い、追い出し、虐げる。
ほんと、くそったれた本質だ。
「だったらさ、ずっとここに居ろよ。ここじゃ、お前のことを嫌うやつなんて居ないだろ?」
「きっと居るよ、この街のどこかには。人間の本心なんて、誰にもわからないから」
「そんな時は…!」
俺は声を張り上げた。
あぁもう、なんでこんな恥ずかしいこと言ってるんだろ、俺。
「俺が守ってやるよ、お前を!」
「しーくん!?」
咄嗟に口から出たのは、俺には似合わなさすぎる言葉だった。
「ほんとに?」
「あぁ、真也を連れて助けてやるぞ」
「絶対それかーくんに丸投げだよね」
うぅ、何も言い返せない…。
しょうがないじゃないか、こっちは運動なんてからっきしなんだよ。
「でも、ありがとね。とっても心強いよ」
「まぁ、真也が乗り気ならいいんだけどな。あいつ気まぐれだから」
「確かにねー」
如月は空を見上げた。
透き通った、雲ひとつない夏の空。
「ちゃんと前見ろよ」
「転けそうになったら、支えてね」
「無理ゲーだろ…」
「そうかな?って、ふぁ!」
言わんこっちゃない!
如月が足を滑らせ、コケそうになるのを、俺が咄嗟に手を伸ばして止める。
「無理ゲー?」
「わざとかよ」
「さー、どっちでしょ?」
如月は笑った。無邪気そうに、それでいて意地が悪そうに。
それじゃ、わからないじゃないか。嘘なのか、本当なのか。
如月が足を滑らせた所を見てみると、そこにはガラス玉のようなものが転がっていた。
「なんだろ、これ」
「ビー玉?」
「かもな。でも、人間が踏んで壊れないビー玉なんて…」
「なんか言った?」
「いや、なんでもない!」
一応持っておくか。なんか綺麗だし。
中身はまるで万華鏡のように湾曲していた。
「あ、もうここまででいいよ。家、すぐそこだし」
「そうか?じゃ、また明日学校でな」
「うん、またね。それと…」
そう言いながら、如月は俺に歩み寄ってきた。
顔近い!
「ありがと!」
如月が振り返り、家の方向へ走っていく。
その背中を、俺は何も言えずに見送った。
「帰るか…」
俺は、ポツリとそう呟いた。
その帰り道の途中だった。
「あれ?七宮先輩じゃないっスか、奇遇っスね!」
そう話し掛けてきたのは『衣笠結弦』。俺の元後輩であり、美術部所属の中学三年生だ。
「久しぶりだな」
「三ヶ月ぶりくらいっスね」
「…用はそれだけか?」
「いやいや、ひとつ聞きたいことがあるんス」
「なんだ?」
「さっきの、双葉さんっスよね?」
「…なんで知ってんだ」
こいつ、何故如月のこと知ってるんだ?
結弦とは面識はないはずだけど。
「子供の頃一度だけ助けて貰ったんスよ!」
「は?」
「怪我した時、双葉さんが優しーく手当てしてくれて…、きっと双葉さんも覚えてくれてるはずっス!」
いや、そんなの覚えてないだろ!?そんな淡い恋の思い出みたいに語られても困るんだが!?
「ところで、名前は教えたのか?名前知ってないと覚えてももらえないぞ」
「教えてないっス。俺が知ってるのは双葉さんが名札を付けていたからで…」
名札に下の名前書いてるのって…、確か小学一年生の頃!?
そんなの尚更覚えてないだろ。しかも名前教えてないって…。
「てなワケで、今度会ったら告ろうと思ってたんスけど、そこで先輩と鉢合わせってわけっス」
「いきなり知らない人に告られるアイツの身にもなれよ」
「きっと覚えてくれてるっス!」
「そうか、んじゃあ今度それとなく聞いてみるよ」
「ありがたいっス!ところで、お二人はどーいう関係っスか?」
「ただの再会したクラスメイトだよ」
どうやら、結弦は俺の情報を信じていないらしい。
疑いの視線を向けてくる。
「じゃあなんでこんな遅くに出歩いてたんスか?」
「七夕祭だよ、みんなで行ってきたんだ」
「デートっスか!?」
「みんなって言ってるだろ」
「ダブルデートっスか!?」
「ちげーよ」
あーもう、なんで俺の知り合いって何かと恋愛事情にこじつけようとするのだろう?
「じゃ、夜も遅いし帰るから」
「約束、忘れないでくださいっス!」
「あ、そうだ」
俺は結弦に向かってシャッターを切った。
いきなりの行動に、結弦はかなり動揺している。
「な、なんスか!?」
「本人の顔見せた方が早いだろ?」
「あぁ、たしかに」
「じゃ、明日聞いてみるわ」
「さよならっス!」
「あぁ、またな」
俺は結弦と別れ、帰路についた。
さて、結弦は想い人に覚えられているのだろうか?
たしかに、結弦にとってはすごく印象に残る出来事だとしても、如月にとってもそうかは分からない。
明日になればわかる事か。
しばらく歩き、家に着いた。
何やら親から「どうだった、上手くいった!?」だとか「あんた達って付き合ってんの!?」だとかと聞かれたが、全部無視した。
挙句の果てには父すら「青春してるな(遠い目」だ。
あ、ビー玉はちゃんと綺麗に洗った。
かなりキラキラして、綺麗だな。
「はぁ…」
浴室でシャワーを浴びながら、俺は一日の疲れを癒した。
これからはアイツとも一緒に過ごすことになるのか。
まぁ、嫌な奴じゃないし、むしろ好感が持てるし。
「あんなこと言っちゃったしなぁ…」
体を洗い終え、キュッとシャワーを止める。
そして、ゆっくりと温まった風呂に浸かる。
それにしても、結弦の恋は実るのだろうか。
んー、なんか如月だと二つ返事でOKしそうな気もするんだよなぁ…。
そう思った瞬間、どうとも言えない気持ちが俺の胸を満たした。
なんだろう、このモヤモヤした気持ち。
ふと、真也の言葉を思い出した。
「お前、如月さん好きだろ?」そう真也は言ってきたのだ。
「そんなことはない…はずだ」
またため息をつく。なんなんだろうな、この気持ち。
俺は風呂を上がり、身体を拭いてパジャマに着替えた。
軋む階段を登り、俺の部屋に向かう。
ふと、携帯に着信履歴があることに気がついた。
「に、二十七件!?」
明日香のやつ、電話番号まで教えたのか!?
いや待て、もしかしたらただの悪徳なセールスかも…。
そっちの方がタチ悪いか。
俺が小説を読んでいると、何やら着信が入った。
「はいもしもし…」
『先輩、私ですよ!』
「ワタシワタシ詐欺の方ならお引き取り下さい」
『違います、睦月ですよ、白澤睦月です!』
「何の用だ?」
ハナから分かっていたが、念には念を押して聞いておかないとな。
『先輩とお話したいなーと、それで掛けました』
「あっそ、じゃーな」
『待ってください!何か話しましょ?』
「なんだよ何かって…」
俺が問うと、睦月は『むー、何かあったっけ…』と考え込んだ。
『あ、そういえば、私気がついたんですよ、『壁』と完璧の『璧』って、漢字違ったんですよね、昨日知りました』
「なんだよそれ」
『あ、それと、何やら明日香ちゃんから聞いたんですけど、如月先輩のこと、家までひ・と・り・で!送ったんですか!?』
「そうだけど?」
すると、しばしの沈黙が続いた。
もう切ろうと思った瞬間、今度は大音量で騒ぎ始めた!
『わぁぁぁぁぁ!そんなことあってはならないのです!もう先輩は私以外の女の子を家まで送り届けないでください!一人でも、みんなとでも!』
「何言ってんだお前、そんなの無理。女子一人で帰らせる訳にも行かないだろ?こんな夜に」
『ぐすん、それなら私は明日から毎日先輩の家に迎えに行くので、一緒に学校へ行きましょう?』
「分岐点までならな。じゃ、夜も遅いし切るぞ」
『はい、おやすみなさいです!』
「ん、おやすみ」
俺は電話を切り、机の上に置く。
そしてベッドに倒れこみ、ビー玉を見つめた。
ほんと、綺麗だな。って、よく見ると周りの景色が湾曲してるだけじゃないか。
「お兄ちゃん、もうお風呂入った?」
俺がベッドに寝ていると、明日香が入ってきた。
ビー玉越しに見てるからこいつの顔も歪んでなんか変な感じだなぁ…。
「あぁ、入ったぞ…」
『お兄ちゃん、今日もかっこいいなぁ、羨ましいなぁ、如月先輩。お兄ちゃんに送ってもらうなんて…』
不意に、明日香の声が聞こえてくる。いや、こいつの口は動いてないぞ?
「お前、なんか言った?」
「え、いや、なんにも言ってないけど」
「そ、そうか?」
『何言ってるんだろ、お兄ちゃん。それにしても、先に入ってもらえてよかった。これで残り湯を堪能出来る!』
なんか、頭の中に直接語りかけてくるような、そんな感じの声が聞こえてくる。どうなってるんだ、これ?
「お前、なんて卑猥なことしようとしてるんだよ!」
「し、ししししてないよ!しようとなんてしてないよ!」
『なんでわかったの!?お兄ちゃん読心術目覚めちゃったの!?でも、お兄ちゃんに心の奥底まで見られてるのって、いいかも…』
「お兄ちゃん、疲れてるんじゃない?」
「そ、そうかもな、今日は寝るよ」
俺はそう言うと、明日香は部屋の電気を消した。
「おやすみ、お兄ちゃん」
『出来ることなら一緒に寝たいけどな…』
「一緒には寝ないぞ?」
「…お兄ちゃん、やっぱり変だよ」
変って、俺はただ明日香の言ったことに対して返答しているだけなんだけどな…。
なんなんだろう、これ。
俺はビー玉で外を写し、歪んだ星々を見つめた。