「千魔斬滅」の澪丸
明神暦五八〇年・睦月・四日。
その日は、どす黒い雲が空にたちこめる、寒い冬の日であった。
都の中央に走る、玄武大路。その広い道をふさぐようにして集まっていたのは、甲冑や戦装束に身を包み、各々の武器を持った男たちであった。みな一様にこわばった顔を浮かべており、敵もまだ見えていないというのに、武器を固く握りしめている。
そのなかにあって、澪丸は一人、道の端にある民家の壁によりかかっていた。彼のまとう旅装束が強い風にはためき、腰から下げた瑠璃色の刀の鞘が鈍く光る。少年は周囲の武者たちのように浮き足立つことなく、ただ静かに「敵」が来るその時を待っていた。
「なあ、おめえら。この戦いが終わったら、どうするよ?」
ふいに、武者たちの中にいた、ある髭面の男が、周囲に向かって問いかけた。彼らのほかに人のいない玄武大路に、野太い声が響く。澪丸がふと、その藍色の瞳を動かして彼らのほうを見ると、五十人ほどの集団のうち、十数人が考えるそぶりを見せていた。
真っ先に答えたのは、長弓を持った、齢二十くらいの青年であった。
「ふうむ。俺は、腹いっぱい蕎麦でも食うかな。行きつけの蕎麦屋の主人が、魔神が怖くて夜も眠れねえって言っててな。もしもこの都を守ることができたら、働いたぶんだけはタダで蕎麦を食わせてもらおうかね」
うまい食い物を想像したからか、青年は少しだけほころんだ顔を見せる。髭面の男は「そりゃいいや」と青年に返したあと、今度は隣で念仏のようなものを唱えている僧侶のほうを向く。誰もが武器を持つこの場にあって、その僧侶だけは空手であったが、そんなことを気にもとめていないふうに、「おまえは?」と男は尋ねた。
黒い袈裟をまとったその僧侶は、難しい言葉を唱える口を止めて、考えるように目を細める。そして、喉の奥からしぼり出すような声で、ゆっくりと語った。
「……魔神に壊された町や村を再興するための、旅に出ようと思いまする。失われた命までは戻りませぬが、そうすることが亡き者への弔いになりましょうぞ。――そのためにも、私は五十年もの修行を経て手に入れた、この破魔の力で、魔神の軍勢を打ち破るつもりでございまする」
重々しく語る僧侶の手の平から、まばゆいばかりの光の渦が生まれる。それは選ばれた僧侶だけが使えるという、「法力」と呼ばれる力だった。「へえ、頼もしいねえ」と髭面の男は感心したような声を漏らし、次は誰に尋ねようかとばかりに、辺りを見渡す。
と、そこで、澪丸とその男の目が合った。澪丸がなにかを考える前に、男の野太い声が飛んでくる。
「おい、そこの兄ちゃん。おめえは、この戦いが終わったら、どうするんだ?」
「……そうだな」
表向きには涼しい顔をとりつくろいながらも、澪丸は「面倒なことになった」と考えた。
正直に言って、澪丸はこの戦いが終わったあとのことなど、考えたこともなかったのだ。六歳で親を魔神の軍勢に殺されてから、十六歳の今に至るまで、魔神への復讐ばかりを考えて生きてきた。そのために、最強とうたわれる、「鬼界天鞘流」に弟子入りし、血反吐をはくような修行にも耐えてきたのだ。すべては、自分から故郷を奪った、魔神の軍勢を滅ぼすため。その後のことなど、ひと時たりとも考えたことがない。
ふと顔を上げると、髭面の男だけではなく、周囲の武者たちも、どこか期待したような表情で澪丸を見ていた。この場において、ひときわ若いながらも冷静な雰囲気を保つ澪丸に、皆が注目しているのだ。
「考えたことがない」と突っぱねることも、もちろんできた。しかし、いくら初めて出会う者ばかりであるとはいえ、大事な戦いの前に、皆を白けさせることは、できれば避けたかった。
――そのとき、悩む澪丸に向けて、ひとつの声が飛んでくる。
「……おい、おまえ。その刀――ひょっとして、『千魔斬滅』の澪丸じゃねえのか」
発言したのは、「蕎麦を食べたい」と言っていた青年だった。彼は、少年と、少年が持つ瑠璃色の刀を交互に見て、驚いたような表情を浮かべている。
髭面の男が、興味深げに青年に尋ねた。
「なんでえ、この兄ちゃん、有名人なのか?」
「ああ。これまでにひとりで千体もの魔族を殺したっていう、とんでもねえ奴だ。なんでも、『鬼界天鞘流』とかいう、伝説の流派の使い手で――鮮やかな瑠璃色をした刀を操るという。噂によると、殺した魔族の青い血が刀の刀身や柄、そして鞘に染み込んで、そんな色になったというが――」
どこか恐ろしげに語る青年の視線につられて、周囲の武者たちも、澪丸とその刀を交互に見つめた。少年はそんな大勢の視線に居心地の悪さを覚えながらも、ここでなにも答えないわけにはいかず、渋々といった口調で言葉を紡ぐ。
「……たしかに、俺はこれまでに千体以上もの魔族を斬り伏せてきた。だが、その血で刀まで青くなったというのは、真っ赤な嘘だ。この刀、『王水』は、数百年前から『鬼界天鞘流』の当主に伝わる宝刀で……羅摺という特殊な鉱物によって構成されている。この青色も、その鉱物がもとから持つ色が表面に浮かんだに過ぎないんだ」
腰から下げた刀を引き抜きながら、澪丸はそう説明する。あらわになったその刀身は、柄や鞘と同じく、夜空のような瑠璃色をしていた。
手のひらに伝わる、その刀の重さを感じながら――澪丸は、これから始まるであろう、人間と魔族との「最後の」戦いについて、思いを馳せたのであった。
*
人間と、人ならざるもの――「魔族」との戦いの歴史は、はるか数百年前にまでさかのぼる。
天地が創造されたときに、人間が先にいたのか、魔族が先にいたのかは分からない。そもそもなぜ両者が争うようになったかを澪丸は知らなかったし、知ったところでどうにかなるものではない。ただ、澪丸が生まれたときにはすでに、両者が殺しあう関係になってから、途方もないほどの時間が過ぎさっていた。
それでも、およそ三十年ほど前までは、両者の力は拮抗していたという。いや、拮抗していたからこそ、戦いが数百年にも及んだ、ともいえるだろうが――とにかく、ある一体の魔族の出現により、状況は一変したのだ。
その者の名は、「厭天王」という。
もとは魔族のうちの一種である、鬼の家系に生まれた者であったらしい。彼はおよそ三〇〇年前にこの世に生まれ落ちてから、数々の人間を喰らってきた。普通の魔族であれば人間を喰らったところで腹の足しになるくらいだが、彼の場合は違った。人間を喰らえば喰らうほど、その魔力が高まり、恐ろしい怪物になっていくというのである。
長い時間をかけて「成長」した厭天王は、いまから三十年前、みずからを「魔神」と名乗り、魔族を率いて人間を喰い尽くすべく動き出した。彼の軍隊によって、人間の村や町はまたたく間に壊滅していき――ついに、人間の住処は、人の数が最も多い「都」を残すのみとなってしまった。もちろん、都の外にも、目立たぬようにして生き残った人間はいるだろうが……都が落とされてしまえば、事実上、人間は滅びることになる。
文字通り最後の砦となった都に、澪丸は単身で向かった。生まれ故郷はとうの昔に魔神の軍勢によって滅ぼされ、剣術を教わった師匠も、老衰の果てに亡くなっていた。わずか十六歳にして天涯孤独の身となってしまった少年には、もう、守るものはなかった。少年の頭にあるのは、ただ、魔神とその配下の軍勢を討ち滅ぼすという、その意志だけ。
都にたどり着いた澪丸は、魔神の軍勢がもう、すぐ近くまで迫っていることを知った。そして同時に、自分と同じように、魔族と戦うために兵どもが奮起しているということも。澪丸は彼らに混じって、都の北側の「玄武大路」を守ることにして――今に至るというわけである。
「……ヘッ。そんなに強い兄ちゃんがいるんだったら、百人力だな。――いや、『千魔斬滅』とか言われてるくれえなら、千人力か?」
髭面の男が、野蛮かつ快活な笑みを浮かべてそう語る。そして、周囲の武者たちに向き直ると、まるで喝を飛ばすように、大きな声で吠えた。
「……いくら強いとはいっても、こんな若いやつだって、命を張って戦おうとしてんだ。おめえら大の大人が、びびってる暇があんのかよ!?」
野太い声が、玄武大路にこだまする。それは、緊張で固くなっていた武者たちを奮い起こすには、じゅうぶんなほど強い響きを帯びていた。周囲の男たちは一瞬だけ圧されたかのような表情を浮かべたが、すぐに立て直して、今度は闘志のみなぎった目で髭面の男を見据える。
それに満足したかのように、髭面の男は最後にこう叫んだ。
「――派手にやるぞ、おめえら! 魔神なんかあっさりぶっ飛ばして、今晩は美味い酒でも飲みあかそうぜ!」
応! という無数の声が、玄武大路に響き渡る。その声は、曇り空ですらも吹き飛ばすような、強い生命の力に満ち溢れていた。
澪丸は彼らを眺め、目を細めながら、思う。
人間は、滅びない。魔神がどれだけ強大であろうと、魔族の軍勢がどれだけ多かろうと。こうして集まり、互いを鼓舞し、抗おうとする限り――きっと、生きて明日を迎えられる。
湧き上がる力を確かめるように、少年は自身の腰に下げた瑠璃色の刀を握った。
「――来た!」
そのとき、集団の中にいた誰かが、弾かれたようにして声を上げる。澪丸を含めたその場の全員が、彼の指さす方向を睨んだ。
はるか遠くに、山よりも大きな黒い影が見えた。額に何本もの角を持った、巨大な鬼。地鳴りを起こすように大地を踏み鳴らしながら、その怪物はゆっくりと歩いてくる。――間違いなく、あれこそが、魔神「厭天王」であった。その周囲に見える鳥の群れのような影は、おそらく天狗のものであろう。また、ここからでは見えないが、魔神の足元にも、地面を移動するおびただしい数の魔族の群れがいることは、想像にかたくなかった。
魔神の軍勢。その規模は、澪丸が十年前、故郷を滅ぼされたときよりも、はるかに大きくなっていた。「厭天王」の背丈も、あのときの倍ほどになっている。
「……おっとお。待っていたとはいえ、北側から来たか。――おい、誰か他の方角で待ち構えてる奴らに連絡しろ! さすがにあの数は、ここにいる人数だけじゃ対処できねえ!」
髭面の男が叫び、自らは魔神の来る方角へと駆け出した。本来であれば、援軍が来るまで待機するのが得策だろうが――彼にもまた、自らが真っ先に戦わねばならぬ理由があるのだろう。
刀の柄を握り、澪丸は静かに目を閉じた。不思議なくらいに穏やかな感覚が、少年の心に生まれる。
(今日、ここで、終わらせる。……父さん、母さん、師匠。どうか俺に、力を)
迷いなど、なかった。
鞘から刀を引き抜いて、澪丸は魔神軍へと駈け出す武者たちのあとに続いて走り出した。