004 過去の、かこ
レンさんの前世の、さらに過去です。
前世の私にも、姉がいて私がいて弟が産まれた。今と同じ家族構成だった。違うのは、私と父がステルスであるということ。
弟が母のお腹の中にいた頃はまだよかった。母の両手に私と姉、母が私を見失うことはなく、姉が母を気遣うのを隣で見ていた。だって私まだ2歳。ちなみに父はいつも空気。
自分のステルスもまだ理解できずに、父がやたら必死にフォローしていたのは覚えてる。母がのんびりと「大丈夫よー」と笑うのをただ見ていた。
問題は、弟が産まれた後だった。弟は夜泣きどころじゃなく、1日中泣いていた。母が抱っこしてようやくうとうとする感じ。寝かそうとして泣く。エンドレス。
母の疲労はピークだった。父にも余裕はなかった。5歳の姉が母のフォローをしながら、父の尻を叩いていた。何者、姉。
そして私は忘れられた。さすがステルス。けっして誉め言葉ではない。理由はわからなくとも、私が認識されてないのはわかったんだろうな。当時の私はひとり遊びがデフォルトだった。
ひとりで起きて適当にパンを食べ、自分で着れるワンピースを着て、ひとりで遊ぶ。ちょっと寂しい。
両親の友人夫婦達が心配して来てくれて、世話をしてもらったり遊んでもらったりしたおかげで私はなんとかなっていた。
真桜ママとしぃパパが来てくれた時、私は水を飲んだコップを片付けようとしていた。両手でコップを持って、そろりそろり歩いていた。落としたら割れる、と多分いつにも増してステルスモードだったと思う。
だからだろう。いつもなら気づいてくれる姉がぶつかってきた。私は驚いてコップを落とした。割れたコップの欠片が頬を掠めた。痛い。
「ぁ、っだからうごくなっていったでしょ!! つかえないんだから!!」
キーン、と耳鳴りがした。5歳の声は甲高い。確かに、認識できないと(両方が)困るから気をつけるようには言われていた。けど、そんな直接的な発言は初めてだったよ。
今なら、姉もテンパってたし疲れてたんだろうとわかる。でも、しつこいかもしれないが当時の私は2歳。姉のことに思い至るお年頃じゃなかったのさ。
割れたコップ、怒る姉、ケガして痛い頬、家族に無視され続けた日々。知らず知らずのうちにストレスは溜まっていた。自分的には辛いことだらけだった。ひとり遊びだって辛かったし悲しかった。なんていうか、悲劇の主人公みたいな。
理不尽なんて言葉すら知らない私は、ただただショックだったのさ。
私は意識をすっ飛ばして倒れたらしい。気づいたら真桜ママの家だった。頬は手当て済み。周りを間中家の子供達に囲われて寝ていた。いわゆる雑魚寝、子供だから小スペースだけど。
そこからしばらくの記憶は曖昧だ。自宅でスルーされてた頃からしゃべらなくなってたけど、言葉を忘れたみたいに話せなくなってた。
そんな私に、間中家の4兄弟は優しかった。いつも私と手を繋いで、私を真ん中にして遊んでくれた。長男くんは学校があることを悔しそうにしてたし、下の双子ちゃんだって幼稚園がー、と叫んでケンカしてたよ。あれはなんだったのか。
結局、私と朝から晩まで、寝るのも一緒だったのはいっこ上の末っ子弟くんだった。当時3歳の彼は、なにが気に入ったのか私のお世話をにこにこ笑いながらしてくれた。
末っ子だから妹ができた感じだったんだろか。でも、そのおかげで私の回復は順調だった。単純だけど、私だけを見て私だけを気にしてくれる存在は初めてだった。そして尚単純なことに私はこの時初恋に堕ちた。ちょろいな、私。
いや、それくらい嬉しかったんだよ。刷り込みとか雛とか言わんでくれ。知ってるよ、でも好きだったんだよ。
無条件に受け入れてくれる存在ができて、私は初めて声を上げて泣いた。泣いて泣いて目がパンパンに腫れて、真桜ママに叫ばれたけど、心は晴れやかだった。
少しずつ、笑うことを思い出して、あと少しで声もでるかもしれない。
そんな生活がしばらく続いていたある日、父が迎えに来た。
「ごめんな。さぁ、帰ろうか」
そう言って手を差し出す父は、笑ってたけどなんか、うん、なんか違うなって。だからその手を取れなかった。
「不憫くんや。あんたそれでこの子が納得するとでも?」
なんだか怒ったような真桜ママが、父の襟を締めたのが見えた時には、私はしぃパパに抱き上げられていた。
「見なくてもいいし、帰らなくていいよ。部屋にいこうか」
「あ? おい、ちょ間中!」
「あんたはこっち。話はまだ終わってない」
その夜、真桜ママが誰かと電話で話してるのが聞こえた。「迎えには、なにをおいてもあなたが来るべきだったよ。ちぃちゃん」と。それでわかった。
母は、私より弟を選んだのだ、と。
しかも続くっていうね!