幕間 逃げた男は過ちを繰り返さない……?
色々試行錯誤しましたが、執事長が勝手に突っ込み始めました。
ゆらゆらと、視界が揺れる。
白が、揺れた。
荒れる呼吸、身体を流れる冷や汗。だるいのに、熱い。不快な吐き気の理由はひとつしか思い至らなかった。意識を無くす前に飲まされた酒になにか入っていたに違いない。
揺れているのが視界だけでないと気づいたのは、意識が少し回復した頃。
身体は動かないが、自身を揺らしているナニかがいた。
「…………」
ため息も出なかった。
ローレン・ハリェス。ようやく子爵家を立て直したばかりの24歳は、妻に迎えた女と初めて会った日、襲われた。
「……いっぷくもられて、うまれたのが?」
「お前だな」
ありえなーい、と言わんばかりのあきれた視線に、ローレンは頷くしかできない。いや、そこはなぜ3歳児が一服盛られたとか言葉だけじゃなく、意味まで知ってるんだと突っ込むところなんだが。
内心突っ込んでる執事長は、見なかったことにした。賢明な判断である。
「でも、それでうまれたのはわたしでしょう? あにとあねの……んん? え、ちょ、はじめてあった?」
ああ、そこも気づきますか。と執事長はもはや感心しかしない。大人を相手にしてるような気がするほど、話がスムーズに伝わるのだから、無理もない。
ようやくソファーに座った父娘。お茶を用意する執事長。向かい合ったふたりを見て、ようやく執事長は納得した。
それぞれ個人だけを見れば、このふたりはまったく似ていない。栗色の髪と琥珀色の瞳が同じなだけ。だが、並べて見比べてみると、驚くほどよく似ているのだ。
ふたりを同時に見なければ気づかないこの事実に、館の使用人が噂するのも仕方ないとすら思った。処罰するしないは別として。
ああ、だからご自身の名前を譲られたわけですか。
トゥレンと名前をつけたのは父であるローレン。親としての最初の仕事だけはこなしていたことに、今さらながら気づいて笑いそうになった。
あー、うー、えー、と言い淀んだ後ローレンが話したのは、まぁ、レンさん曰く黒歴史というもので。
早い話、ローレンが妻に迎えた女は、ハリェス家より立場が上の縁戚に当たる伯爵家の娘だった。しかも、嫡男次男の後に産まれた一人娘ということで、蝶よ花よと甘やかされた、典型的な我が儘で癇癪持ちだった。
しかも、性に奔放ときたから手に負えないという、公にできない事実があった。見た目だけなら美しい娘だったので、侯爵家などからも求婚があったが、誰の子を産むかわからぬ娘を嫁がせるわけにはいかなかった。使えない娘さんである。
お貴族様的には使えない上に完全にお荷物だったらしい娘は、それでも自分を甘やかした。遊ぶことをやめるわけでもなく、男を侍らせることを求めた。
屋敷に軟禁し、監視をしていたにも関わらず、娘が身籠ったのはそんな時だった。伯爵夫人は倒れて3日寝込んだそうだ。
その頃、ローレンは成人し父親の仕事を継ぐために、本格的に勉強を始めた所だった。が、両親がそろって病死という不幸に見舞われる。子爵位を継ぎ、無我夢中で事業を起こし働いていたローレンに、伯爵が目をつけたのは……不運でしかない。
「……つまり、みおものあれのしょぶんをおしつけられたのですね」
その通りです。と内心拍手を贈る執事長。いいのか、それで。てか、あれって。誰も気にしないのね。
産まれたのが男なら伯爵家で引き取るという、密約つきで娘はハリェス子爵家に嫁いだ。不本意ですというアピールのため、ローレンとの婚儀も顔合わせもなかった。ありがたかった。
「ちなみに、あにのちちおやはわかっているのですか?」
わぁ、ばっさり切り込みますねぇ素敵です。執事長の心の中は結構パニックになっていた。
「伯爵家の従属らしい。自身専属にしていたようで、見目のいい男だそうだ」
そしてあっさり答えちゃうんだなこの野郎。執事長はちょっとお怒りらしい。言葉が乱れてきている。
「ならば、ねえさまは」
聞かずにはいられないんですねわかります、結構重い話なんですけどね。執事長は現実から逃げ出したいようだ。
「解雇済みだが、うちの下働きだ。容姿がいい男の口車に乗せられた、と」
「わぁ。……で、わたし。ききにくいのですが、おとうとは」
やっぱりそこまで聞きたいですよね気になりますよねそうですね。執事長は覚悟を決めた。
「あれはわたしの子だと言っているようだが、お前以外に覚えはない。侍らせていた男爵家のボンクラと騎士爵の落ちこぼれのどちらかだろう」
そこまで明け透けに言うかこの野郎……!
「なら、しょうこもおさえてますよね、それ?」
で、なんでさらっと流しちゃいますかねそこ!?
「ならなぜ動かないんです? 伯爵家を押さえることくらいできるのでしょう? お披露目されたら訂正するのが恥なのが貴族なのだと思いましたが」
……今、なんかすごい言葉が飛んできたような。しかも流暢な口調だった?
もがもがとレンさんはお茶を飲んだ。仕切り直したいようだ。
「おとうとがあととりだといいふらされるまえに、いえ、もうおそいですが、あれをおさえたほうがよろしいかと」
ああ、とローレンと執事は同時に唸った。
厄介なのが手つかずだと気づかれてしまったから。情けない大人共である。やれやれ。
ヘタレワーカホリック、覚醒する?