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Saga08:月は輝く

 青い月。藍色の空に浮かぶ、細い三日月がポポを見下ろす。朧月。今にも夜に消えてしまいそうな不安定さが漂う。

 ミカは路上から町長宅の二階の窓を見上げた。あれは廊下の窓だ。ここからでは書斎の様子は見えない。グレナーデの嘲笑がミカの脳裏を過った。

 職業決定所で選ばれるのは、あくまで町長候補だ。数名選ばれた候補者の中から投票によって長は決まる。適性を認めたのは、職業決定所だけではなかったのに。

 ミカは左右に首を振った。いや、彼にとっては誰が適性を認めようと同じことだ。誰よりも自

分が適性を認めない。ミカは視線を落とすと、既に歩き出しているスズとノアの後を追った。


『手紙が届いた時から、胡散臭いとは思っていた』


 いつから町長を疑っていたのかと、ミカがノアに聞いた時、ノアはそう答えた。無感情の目で、淡々とノアは言う。


『確信になったのは、トルエン=リザーラの仲間に言った小出の言葉だ。――釈放が早過ぎると言っただろう。釈放の権限がある人間はそうそういない』


 なるほど、とミカはノアの言葉に頷いた。頷くと同時に、無理に釈放したとすれば、結局彼の

不正が露呈するのは時間の問題だったのだ、とミカは思う。


「地位を捨ててまで縋りつく金額じゃねぇと思うけどなぁ。面倒だしさ」


 スズが言う。スズは夜空を見上げ、深く息を吐き出した。計算しているのだろう、スズが指折りながら、小さな声で呟いている。


「マージンが三割入るから、支払っているのは五十二万ルッツ。町長が十万。町民が残り四十二万ルッツと仮定して。報酬の四十万ルッツのうち、窃盗団へ一人五千ルッツを払えば二十万差し引き。残りは二十万ルッツ。結果、十万ルッツのプラスが町長の手に入る」


 いや待てよ、続けてスズが言う。


「もっとはねてるかもしれないな。ポポの町民は三千人だろ? 森に住み着く犯罪者の一掃で金を集めているはずだから――他の依頼の報酬は平均よりやや低いぐらいだったし」


 言いながら、スズがテープレコーダーを軽く放った。重力に従い、テープレコーダーはスズの手元に落ちる。グレナーデの言葉が記録されたレコーダー、ギルドに提出する証拠品だ。

 トルエン=リザーラに宛てた手紙、あれは即興で作った偽物だ。

 実物は、念のためトルエンの記憶を消したいと言って――後でノアに、どうせ仲間の記憶は消していないんだから無駄だ、と止められもしたが――トルエンに近付いたミカが発見した。しかし、血に濡れて読めたもんじゃなかったのだ。

 ところどころニュアンスをひろいあげ、似せてはいるが、中身は違っている可能性が強い。だからこそ注視される前に、ノアは懐にしまった。グレナーデが嘘に気付かなかったのは、ノア=トリエンナーレの名と、ノアの堂々とした態度のおかげだろう。ミカやスズに突き付けられたなら、彼は偽物だと気付いたはずだ。

 証言さえあれば、あとはギルド仲間のスズがなんとかしてくれるだろう。それにスズが言うには、ポポのギルドもトルエン=リザーラ達の行動を訝しんでいたらしい。ならば、この犯罪を証明する証拠は喜ばれてもいいくらいだ。

 そう考えて、ふとミカは思考を止めた。そしてスズの言葉を反芻する。


 あれ? あたしの報酬分はどこいった。


「ちょっと待ってよ。あたしの報酬分はどうなるのよ」

「小出の分なんかねぇよ。――殺すつもりだったんじゃねぇの、お前のこと」


 事も無げに言い切ったスズに、ミカは言葉を詰まらせた。飄々と言ってくれる。でも確かにそれが一番しっくりくるのも事実だ。


「じゃあ、ノアは? なんで刈り出されたのよ」

「証拠隠滅だろ。これをネタに揺すってくることはわかってるからな。全員地の底に埋めるのが一番楽だと思ったんだろ」

「じゃ、窃盗団に払う予定だった二十万ルッツは――」

「結局、町長の元に」

「ふざけてる! 紳士気取りのちょび髭め」


 奮然として言ったミカに、スズは苦笑した。ミカはスズを横目で見遣る。自分のことは棚に上げて、とでも思っているのだろう。しかしミカは思う。それでもあたしは、人の命を取ることはしない。


「みんな、色々考えるのね。関心するわ」

「お前が言うか」


 呆れ顔でスズがミカを見る。そして彼は小さく肩を竦めた。


「計画を立てるのは簡単だよ。難しいのは計画を遂行することだ」


 なるほど、ミカは頷く。事実、彼らは計画を遂げることができなかった。

 ミカはノアを見た。ノアは真っすぐ前を見たまま、黙々と歩みを進めている。見ているようでなにも見ていない彼の目。ミカは小さく息をついた。


「ノア、随分浮かない顔してるじゃない」


 ミカが言う。しかしノアから返ってきたのは無言だった。聞こえないふりをしているのか、聞こえないほど考え込んでいるのか。何にせよノアの態度は、ミカの癇に障った。物思いにふけるふりをして、自分に浸る人間は嫌いだ。


「暗い。暗すぎる。ありえない。あんた、英雄なんでしょ? もうちょっと胸張って堂々と歩いたら?」

「小出はもうちょっと謙虚に歩け」

「スズは黙ってて」

「ど底辺勇者のくせして偉そうだよな、小出は」

「ど暗い魔術師より増しよ」


 口を挟むスズに、ミカは堂々と胸を張る。スズがため息をついたが、そんなことは気にしない。ミカは心からそう思っているのだ。

 一方、二人の言い合いに、さすがに無視しきれなくなったのか、耳に入ってきたのか、ノアはミカとスズを一瞥した。あくまで冷静な視線にミカは肩を竦める。本当に子供らしくない。


「グレナーデは」

「は?」

「彼は、本当は何になりたかったんだろうか」


 今にも夜に溶けそうな、震える声でノアが言う。


「得にもならない、面倒でしかない、あんな罪を犯して、そこまでして今の型から外れたかったのか」


 ノアの問いに、ミカは瞠目した。そんなこと、本人にしかわからないことだ。それに知ったところでどうしようもない。そんなことを聞いてどうするのだと問おうとして、ミカは口を開く。しかしその前に、スズの言葉がミカを遮った。


「今の就職制度を作ったことを、後悔してるんですか」


 スズの言葉にミカが瞬く。そのうえノアが否定の言葉を口にしなかったことに、重ねてミカは驚いた。否定をしないのは、スズの言葉が的を得ているからだ。


「なにそれ」

「何って、今のこの国の制度を作ったのは統一戦争の勝者だよ。ま、ノア=トリエンナーレだけじゃないけど」

「……ばかにしてんの? いくらなんでもそれぐらいわかるわよ」


 ミカはスズを睨んだ。スズはミカを横目で見ると、「そりゃ失礼」と肩をすくめた。どう見たって馬鹿にした態度だ。ミカはむっと口をかたく結ぶと、イーッと口を歪めた。


「小出は、本当になりたい職はなかったのか」


 ノアが問う。それを聞いてどうするんだと問い返したくなったが、ノアの目があまりに真剣なもので、ミカは結局「ない」と簡潔な一言を口にした。ミカに続いて、スズも「オレもありませんね」と言い、ミカとノアを交互に見る。


「そういうあんたはどうなの? 魔術師になったこと、後悔してるの?」

「与えられたものになることに、疑いを持ったことがなかった。それだけだ」


 だから。続けてノアは言う。


「今の就職制度に、何の疑問も抱かなかった」


 淡々としたノアの声が、夜の闇に溶けていく。夜風にノアの闇色の髪が揺れた。この世のものと思えないほど、綺麗に整った彼の顔立ちに苦痛の色が浮かんだ。


 ――何の疑問も抱かない。それはそれで、問題だけど。


 ミカは脳裏にグレナーデの顔を思い浮かべた。続けてトルエンの顔を浮かべて、ミカは眉を潜める。南が悪い、制度が悪い、なんで自分が。そう叫んだ彼らの汚い顔。博愛をふりかざすつもりは毛頭ないが、あれほど自己しか見えない人間は嫌いだ、とミカは思う。


「なりたい職があるなら、なれるよう変わればいいのよ。転職だってお金貯めればできるんだから。努力もしないで制度が悪い、国が悪い、周りが悪い――ああいうやつはどうなったって言い訳を見つけるわ。自分の問題よ。周りが変わったって無意味だわ」


 ノアは真っすぐにミカを見ている。不安定な子供の目。なんて目だ、とミカは思う。


「あたしなら、国を潰してでも変えてやる」


 ミカは大股でノアに歩み寄ると、ノアの腕を引いた。ミカを見上げるノアのこめかみを両手で覆う。ノアの黒髪の隙間から覗く、リングの宝石が輝いた。


「あんたね、ちょっと自分の力を買いかぶり過ぎよ。国なんてどれだけの数の人間で成り立ってると思ってんの? 国の未来を、自分一人が背負ってるような顔はやめてよ」


 ぱちん。目の前のシャボン玉が弾けるような音がする。ノアの顔色が代わり、不安に揺れていた灰色の目に、目に見えて輝きが戻った。それを確認し、ミカは満足そうに笑った。


「どう? ちょっとは前向きな気持ちになったでしょう?」


 驚いたようにノアは目を見張る。


「そうか。お前の力はこういうものも消せるのか」


 そう言って、ノアはミカに微笑みを向けた。今までにない、吹っ切れたような笑顔。当然だ。ミカが彼の心から不安を消したのだから。

 そういうこと――そう言おうとして、ミカは唐突に膝をついた。足に力が入らない。体がひどく重たい。


「ダメだ。力を使い過ぎだせいで、体が重い」

「……どこまで使いこなせてねぇんだよ」

「スズ、うるさい」

「まぁ、オレはとりあえずこれ持ってギルドに言ってくるから。後は任せるよ」


 スズが言う。そしてスズはノアとミカを交互に見て、ノアの耳元でなにかを囁いた。なにか余計なことを言ってないか。ミカはスズを睨んだが、スズはミカの睨みなど気にならない様子で笑った。


「んじゃな、小出。この一件でちょっとは懲りろよ」


 スズはミカに手を挙げると、背を向けて歩き出す。しばらくスズの後ろ姿を見送った後、ミカはノアを見上げた。


「ねーノア、しんどくて動けない。ノアの家に泊めてよ」

「断る」

「ちょっと! 誰のせいでこんなしんどいと思ってるの! せめて一緒に南まで帰ってよ」

「断る」

「じゃあもうちょっとだけ一緒にいて」

「しつこい。なんでそこまで――」


 そう言ってノアは言葉を切った。何か思いついたらしい、ノアの端正な眉が寄る。


「お前、隙あらば、オレの記憶を消そうと思ってるんじゃないだろうな」


 ――ちゃんと覚えていたか。


 今更、ミカが相方の記憶を消して、報酬金を独り占めしようと目論んでいたことなど、忘れてるんじゃないかと思っていたが、どうやら希望的観測だったようだ。

 ノアの言うことは正しい。ミカは心の中で舌打ちをした。そしてミカは浅く唇を噛む。


「そんなわけないでしょ。他意はないわよ」


 本当は四十万ルッツを未だ狙っているけれど。


 そもそもこの事件が明るみになったら、四十万ルッツが台無しになる可能性もあるが、そこはスズが頑張るとして。ミカとしては、なんとかノアに二十万ルッツ分、権利を放棄してもらいたいところだ。


「だからもうちょっとだけ一緒にいてよ」


 もうちょっとだけ一緒にいて、さりげなく権利を放棄するよう説得するのだ。ミカは微笑みながら、ノアに手を伸ばした。小さく息をついて、ノアがミカの手を取る。


「小出」

「何?」

「お前は嘘をつくとき、唇を浅く噛むくせがあるらしいぞ」

「へ?」


 ノアが言う。そして同時に離される手。支えを失ったミカは再び地面に座り込んだ。反射的にミカは唇を触れる。


 唇、浅く噛む? 自分はいつ唇を噛んだ?


「四十万ルッツはギルドに寄付だ」


 ノアは言う。きっぱりと。そしてノアが背を向けると同時に、ミカは瞠目した。ギルドに寄付なんて、冗談じゃない。


「ちょっと待ってよ! こら!」


 ミカの呼びかけにノアは足を止めた。ノアがゆっくりと振り返る。どうせ馬鹿にした目をするのだろうと、ミカがノアを睨みつけた瞬間だった。


 ノアは真っすぐにミカを見て――笑った。


 皮肉げな笑みでもない、苦笑でもない。正真正銘の笑みだ。目を見開き、ミカは思わず言葉を止めた。伸ばした手が中途半端に止まる。ミカは思わず息を呑んだ。


 なんて、綺麗な。


 僅かな月光に透ける細い髪。人形のような、繊細で美しい顔立ちだとは思っていたが、まさかここまでとは。

 思わず見とれてしまったミカは、歩き出すノアの後ろ姿を呆然と見つめた。真っ白な頭のまま、口を半開きにした、お世辞にも美しいとは言いがたい表情で。女性としては賞賛しがたい表情から、解放されたのはノアが角を曲がり、ミカの視界からノアの姿が消えた瞬間だった。


 ――視界から消える?


「ちょっと! え? 本当に動けないんだってば! ねぇノア! ノアってば! ど暗魔術師! 帰ってこーい!」


 我に返ったミカの叫びが、ポポの閑静な町並みに響き渡った。ちなみに騒音によるポポ町民の安眠妨害を懸念して、ノアがミカのもとに戻ったのは、それから十分後のことだ。

 不安定な青い三日月。時として霞雲に覆われながら、それでも月は確かに輝く。そして確かに満月へと近づいて、じわじわと明かりを広げていく。


 これが後に聞く、この国を再編した勇者と魔術師の、出会いの物語である。


これで一旦終了です。

次は別途でアップしたいと思いますので、この話はここでしめます。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!

また2章目がアップできましたら、お付き合いいただけたら嬉しいです!

それでは。

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