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Saga07:不公平の嘲笑

 夜八時を回る頃。三日月が空に昇り、街灯とともにポポを明るく照らしている。昼間はあれほど賑わっていたメインストリートも、今ではすっかり静まり返っている。代わりに住宅の窓から暖かな光が溢れ、時折子供の笑い声が聞こえていた。

 ポポの町、町長のグレナーデ=ポポは自宅の廊下を歩きながら、ポポの町並みを見下ろしていた。薄茶色の彼の目が細まる。目元に刻まれた皺が、更に色濃く刻まれる。ぴんと伸びた背中は凛々しいが、それでも表情には疲労の色が滲んでいた。

 グレナーデは今年で四十歳になる。彼は歴代の町長の中で、最も若い町長だった。彼がポポの町長として就任してから、およそ二年が経つ。月日が過ぎる早さを実感し、グレナーデは小さく息を吐き出した。

 織物産業の退廃で、一時はどうなるかと思ったポポは、こうしてなんとか盛り返している。笑い溢れるポポの町。グレナーデは昼間の光景を思い出し、思わず口元を緩めた。生まれ育った町だ、発展していくのはとても喜ばしい。


 ――ポポのためにもうひと頑張りだ。


 グレナーデは自慢の口髭をなでると、書斎のドアを開けた。 


「はぁい。こんにちはぁ、グレナーデ町長」


 途端、中から聞こえてきたのは高めで甘い声。しかし作り込んだ、わざとらしい女の声だ。グレナーデは目を見開いた。町長の席に、二十代半ばくらいあの女が腰掛けている。色褪せたジーンズに白のTシャツ。組んだ足の先を机の上に乗せ、女は笑う。


「なんだね、君は」


 不法侵入もちろんのこと、この上なく無礼な態度。グレナーデは女を睨んだ。しかし女は反省の色を見せず、それどころか背もたれにもたれ掛かり、偉そうに仰け反る。


「人を呼ぶぞ」


 そう言って、グレナーデが扉近くにある電話を手にかける。この電話は、屋敷内の警備室へと直通になっている。

 しかし、受話器を取る前に町長の手にやんわりと制止の手がかかった。


「すみません、無礼な奴で。どうしても座ってみたいって言って聞かなくて」


 そう言ったのは、扉近くの壁際に立っていた男だった。浅黒い肌に銀の髪、青の目。とても印象的な顔だちとパーツだ。彼はグレナーデと目が合うと人なつっこい笑顔を浮かべた。話し方や仕草から人当たりの良さを感じる。


「君は何者だ?」


 そこで、グレナーデは男の影にもう一人、招かれざる客がいることに気がつく。身の丈をすっぽり覆った灰色の外套。その人物は町長と目が合うと、被っていたフードを降ろした。

 漆黒の髪、真っすぐに伸びた猫っ毛。水晶玉のような灰色の目が、グレナーデを真っすぐに見つめている。人形のように綺麗な顔立ちの少年だ。


「ノア=トリエンナーレという」


 少年の言葉に、グレナーデは瞠目した。口を半開きにしたまま、彼は僅かに首を振る。まさか、こんな子供がノア=トリエンナーレだと。

 しかし彼の心を読むように、ノアと名乗った少年は、懐から一通の手紙を取り出した。封筒にはグレナーデ=ポポと書かれている。それは紛れもなく、グレナーデがノア=トリエンナーレに宛てた手紙だった。


「町外れの強盗団の退治を直接依頼されたようだが、間違いだっただろうか」

「いえ、間違いではありません。稀代の魔術師からご足労いただけるとは……言ってくだされば使いのものを寄越しましたが」

「気遣いはいらない。ここへ来たのは私用のためだ」

「私用ですか」


 グレナーデが瞬く。ノアは彼に歩み寄ると、外套の下から一枚の白い紙を取り出した。書類作成に使われるサイズの紙だった。紙は四つ折りにされている。

 ノアはグレナーデに向け、四つ折りの紙を広げた。怪訝そうに紙を覗くグレナーデの動きが止まり、これでもかというほどに瞠目する。


「あなたがトルエン=リザーラに当てた手紙だ」


 そう言ってノアはすぐさま手紙を懐にしまった。灰色の目がグレナーデを見据える。彼の目に映るグレナーデは唇を振るわせ、顔は血の気が失せている。ごくりと喉を鳴らし、グレナーデは拳を握る。動揺とともに言い得ぬ怒りが彼の中に沸き上がった。使えないごろつき共が――


「燃やせと言っておいたのに」


 グレナーデが独りごちる。同時に、ノアの目が僅かに細まった。


「トルエン=リザーラと組み、町民から大金を巻き上げる算段を立てたのは、やはりあなただったのか」


 ギルドを使い、町民から金を巻き上げようとしている連中がいる――それに気付いたのは、他ならぬグレナーデだった。

 町民の依頼はギルドを経由し、グレナーデにも送られる。もちろん結果報告もギルドから随時届けられていた。それを見た時、グレナーデは思わず笑ってしまったものだ。捕まったごろつきと、それを捕えたごろつきは仲間じゃないか。なんて陳腐な手を考える奴らだ。そしてそれを見落とすギルドもなんて滑稽なのか。

 仲間だと分かったのは、エタ製品を主産業にするため、グレナーデが部下に森調査をさせていたためだった。密やかに調査は進み、森に住う悪党達の関係図は大体把握できている。


 ――その時、グレナーデは目が覚めた気分だった。


 突如、目の前の世界の色が変わった。グレナーデがこれほど必死になっている時、こんな陳腐な手で金を稼いでいる奴もいる。自分が必死になって町民を稼がせている中で、その金を巻き上げている奴がいる。


 なんて、不平等な世の中だ。


「グレナーデ町長。あなたはポポの町を愛し、必死に施策を進め、ここまで町を復興させた。あなたほど優秀な町長はいないだろう。それなのに、なぜ」


 ノアが言う。彼の言葉にグレナーデは笑った。思わず自嘲的な声が出た。哀れだ。目尻を下げ、グレナーデはノアを見る。深く、ため息を吐き出して。


「適性があったと、あなたもそう言うのですか」

「適性があったから町長なんでしょ」


 ミカが言う。言い切った彼女にグレナーデは鋭い視線を向けた。歯を食いしばる。

 グレナーデは大股で机に歩み寄ると、右手の拳を机に叩きつけた。鈍い音。振動が響く。机の上に置かれた書類が宙を舞い、その何枚かが床に落ちた。本が倒れる。有名な政策指南の本だ。読むのも困難とされる難解な政策指南書もある。それらは全て本の背が解れ、ページの端がよれている。


「お前のような人間になにがわかる! 私は、初めから町長になりたかったわけじゃない。職業決定所で命じられたから、町長になっただけだ! 町長になってみれば、湖汚染、産業退廃……胃が締めつけられるような事ばかり。それを私はここまで立て直したのだ。狡をして何が悪い。そうでなければ不公平だろう!」


 叩き付けたグレナーデの拳が赤く染まる。痺れるような痛みが広がった。

 ミカは表情を変えなかった。真っ直ぐにグレナーデを見返している。生意気な目だ。しかしグレナーデは訴える言葉が出てこなかった。膝が折れ、机に沿うようにしてグレナーデは腰を落とす。机にかけたままのグレナーデの指先が震えた。


「不公平だ。私は間違っちゃいない」 


 訴えた先は神か、この国か、目の前の人物に対してか。それとも自分自身かもしれない――グレナーデは笑った。嘲笑だ。

 不意に、人の気配が消えた。書斎の窓から強風が吹き込む。書類が床に舞う音がした。崩れていくグレナーデは声に出して笑った。響く、笑い声。風に舞うカーテンの流れる音は笑い声に掻き消され、空しくその身を揺らしていた。


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