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Saga06:この力


 死んだ、とスズは思った。大剣は確かに振り下ろされた。空振りはありえない。


 けれど、痛くもない。


 不意に声が響いた。獣のようなうめき声だった。スズは訝しみながら目を開く。真っ先に見えたのはトルエン=リザーラだった。彼の瞳孔が開き、唇がわなわなと震えている。血の気がない。あれは怯えた人間の表情だ。


 ――――指がない。


 スズは瞬く。トルエンが自身の眼前にかざした手。根こそぎ、指がない。親指から小指まで、全ての指がなかった。手のひらから夥しい量の血が滴る。恐怖、そして遅れて痛み。手のひらを翳したまま、彼は上体を大きく振った。かぶりを振る。叫ぶ。耳をつんざくような声。スズは絶句した。

 地面に指先はない。剣もなかった。切り落とされたのか、一瞬にして壊れたのか。いや、その片鱗がどこにもない。


 ――消えた。


 指ごと、剣が。スズは喉を鳴らした。消す力。記憶だけじゃない、物質も消せるのだ。これがミカの力だと気付いた瞬間、スズの背筋を悪寒が走る。

 剣は避けられる。銃は防げる。けれど、この力は――

 不意に背を押されて、スズは体制を崩した。よろめいて、倒れそうになる。地面に手をついた。

そしてスズの後ろから飛び出してくる影。小出ミカだ。

 ミカは長剣を握りしめ、トルエンの右肩に突き立てた。体当たりに近い。長剣は彼の骨で止まり、止まったと同時にミカは身を引いた。剣が抜け、血しぶきがあがる。トルエンの血が、スズの目にかかった。

 血しぶきにやられ、目を閉じた瞬間だった。スズは頭に鈍い衝撃を覚え、床に倒れこんだ。割れそうに痛む頭を抱えながら見上げれば、トルエンが滅茶苦茶に腕を振り回している。どうやらスズの頭にあれが直撃したらしい。

 トルエンの肘がミカの鳩尾に当たった。咳き込みながら、ミカが床に倒れる。小出。名前を呼ぶ声は声にならない。歯痒さにスズは拳を握りしめた。ミカの顔が青白い。唐突に貧血を起こしたみたいに。他人の記憶を消した後と同じように。


 消した代償――力の反動だ。


「殺す、殺す、殺す、殺す」


 うわ言のように呟いて、トルエンはミカの剣を口にくわえた。血の気が引いた顔。しかし精神が痛みを超えたらしい、息は荒いが彼の顔は歪んでいない。壊れたのだ。精神が壊れた。

 トルエンがミカを狙い、首を振る。同時に小さな雷が剣に落ちた。刀身を伝わる電撃。呻き声をあげ、トルエンは剣を落とす。口が痺れるのか、彼の唇はぶるぶると震えている。


「そこまでだ」


 凛とした声。静かだが、制止力のある声だ。スズは僅かに顔を上げた。十歳くらいの少年が、まっすぐにトルエンを見据えている。灰色の外套の裾から覗いているのは、藍色のローブだ。


「罪を認めて改心し、自ら警察庁に出頭するか、それとも散々痛い目を見た後で逮捕されるか、どちらがいい?」


 彼は言う。彼の右手には文様が浮かんでいる。墨のような、力強い線。地面にぶつかり、弾ける稲妻のような文様。


「改心だって?」


 トルエンが言う。復唱し、彼は瞠目した。そして何を思ったのか、彼は腹を抱えて笑い出した。笑った勢いで右肩から血が溢れる。けれど全く気にならない様子で、トルエン=リザーラは笑い続けた。


「冗談じゃねぇ。はなっからこうやって生きる運命なんだよ! 生まれた時から、『ごろつき』の職を与えられた北のオレ達はな。南の奴らばかりが良い思いをしやがる……それがこの国だろ!」


 彼は踊り狂うマリオネットのようだ。スズはトルエンを見る青の目を細めた。操っているのは神か、この国か、あるいは彼自身か。

 ある種真理だ。仕事紹介ギルドに勤めるスズは、彼の言っていることがよくわかる。同じことを思う人間は決して少なくないだろう。

 この国の職業は能力で決まる。希望は問わない。適材適所、適正のある人物を適正のある場所へ送りこむ。

 転職は何回だってできるが、三年以内の転職には三万ルッツ必要だ。それにしたって、能力に見合わない職には転職できない。合理的だが、機械的だ。

 スズは数ある適正の中からギルドの仕事を選んだが、人によっては一職種しか選べないこともあるという。自分が就きたくない職に就くしかない、それはひどく苦痛だ。


「ばっかじゃないの」


 そこへ、聞こえてきた呟きにスズはハッとした。ミカが床に横たわったまま、トルエンを睨みつけている。彼女の顔は土気色のまま。


「『ごろつき』にしかなれなかったのはあんたのせいよ。あんたの生き方が選んだ職なの。それを国だ、運命だ――言いたい放題言ってくれるわ。そんなだから『ごろつき』にしかなれないのよ」


 ミカは笑った。嘲るような笑いだ。

 トルエンの顔が赤く染まる。歯ぎしりをし、眉を吊り上げる。言葉にならない奇声を発し、トルエンはかぶりを振った。不治の病にかかり、痛みに悶える獣のよう。

 スズは少年を見た。少年は慈愛と悲哀に満ちた目をトルエンに向けている。しかし、それも一時のことで、一度瞬きをした後、少年の目から感情は消えていた。少年は深く息を吸い込むと、小さな手のひらを宙に向ける。


「雷の精霊、雷神よ。稲妻となれ。かの者を深い眠りへと誘え」


 少年の手のひらが輝く。そして、トルエンに向かって、一直線に稲妻が落ちた。白目を向いた彼は天を仰ぎ、瞠目したままぴたりと静止した。彼を繋ぐ、糸が切れたのだ。

 床に倒れ込むトルエン。彼の右肩から溢れる血で血だまりが出来ていく。広がっていく。残ったのは静寂だった。僅かに潮騒が聞こえる。まるで泣いているようだ、とスズは思った。



「気絶しているだけよね、ノア」


 床に寝転がったまま、ミカが言う。心なしか、声に気力がなくなっている。スズはミカに歩み寄ると、ミカの手を取った。手が氷のように冷たい。スズの手の感触に、ミカは一瞬手を震わせたが、やがてゆっくりとスズの手を握った。

 しかしその力も徐々に弱まっている。記憶を消した時よりも反動が大きい。スズはより力を込めて小出の手を握った。きっと、記憶という形のないものと物質を消すのでは、反動の大きさが違うのだ。


「あの体格だ、死にはしないだろう」


 ノアと呼ばれた少年は、小さく息をついた。そして彼は再度呪文を唱える。すると緑色の仄かな光が、トルエンの体を包んだ。血だまりの広がりが止まる。あれは止血の呪文なのだろう。あれだけの流血を止めるのは、相当高度な治癒術のはずだ。それを事も無げに唱えたノアに、スズは羨望のまなざしを向けた。

 ノア。ノア=トリエンナーレ。スズは仕事票に書かれた相方名を思い出す。そうか、あの少年がミカの相方だったのだ。

 そう思うと同時に、スズは思い出した。ノア=トリエンナーレ。どこか覚えのある名前だと思っていたが、その名前をどこで見たのか。

 英雄史で見たのだ。歴代の英雄の名前が連なった書物で。


「英雄、ノア=トリエンナーレ」


 スズは言う。スズの言葉にノアは瞠目した。あの表情は当たっているということなのだろう。

 ミカがスズに視線を送りながら、僅かに首を動かした。英雄という言葉に疑問を持ったのだと解釈し、スズは言う。


「ノア=トリエンナーレは南北統一の功績者。稀代の魔術師だよ」


 ミカは閉じかけていた目を、僅かに開いた。彼女の唇が震える。


「南北統一の功績か」


 ノアが言う。吐き捨てるような言葉だった。まるで南北統一を後悔しているような口振りだとスズは思う。

 格差が残ったままとはいえ、統一のおかげで北の環境は幾らか増しになったはずだ。それでも統一を進めた者としては、思うところがあるのだろうか。

 スズはトルエンと彼の仲間を一瞥した。ああいう連中に対して、心を痛めるだけ無駄だとスズは思うが、志高い功績者は見捨てきれないのかもしれない。


「英雄が、なんで」


 絞り出すような声でミカが問う。ミカの問いにノアは答えなかった。その代わりミカに歩み寄ると、ノアはそっとミカの頬に手を伸ばした。彼の手のひらがランプのような穏やかな光を纏う。すると、みるみるうちにミカの血の気が失せた顔に色が戻っていく。


「逆に聞きたい。小出、そのリングの『力』はなんだ? 反動があまりに強い。その様子だと、消す力はお前の力ではないだろう」


 ノアの灰色の目が慈愛に揺れる。ミカを心配しているようだとスズは思う。人が抱えるには大き過ぎる力を持つ者は、同じく大き過ぎる力を持つ者に、親近感を覚えるのかもしれない。背負い切れない重さと、道を外さないよう前を見据える精神力。

 ミカはスズの手を借りて起き上がると、ノアの手のひらに自分の手のひらを重ねた。見かけは十歳ほどの少年の手は、ミカの手よりひと回り小さい。


「妹にもらったの」


 ミカの言葉に、ノアは水晶玉のような目を瞬かせた。妹、彼は小さな声で呟く。

 スズはミカを見た。妹の名をうわ言のように呼びながら、雨の中、道端で倒れていたミカをスズが拾ったのは、確か半年前のこと。

 今でもスズは、詳しい事情をミカに問いかけたことはなかった。ミカからスズに話してくることもない。ただ聞いているのは、スズに土下座をして、お金を稼がせて欲しいと頼んできた、あの時のミカの一言だけだ。


 ――『妹を、買い戻したいの』


 どういう経緯で妹を手放すことになったのか、妹がどれだけ価値がある人間なのか、スズは知らない。ただ、これほどの力を人に与えることができる妹だ、与えられた職は高位だろう。

 スズと同い年であるミカの妹は、当時十九歳。それこそノア=トリエンナーレと同位ほどの能力を持つ、特殊職の人間は闇市でも相当の高値がつく。

 誘拐か、借金の形か、何らかの要因で妹は売られた。そして、ミカはそれを買い戻そうとしている。そう考えるのが自然だ。事実はしらないが、大方そんなところだろうとスズは考えている。


「悪いものが降り掛からないよう、消す能力をもらった。本来は厄災を遠ざける力よ」


 そう言って、ミカはリングを撫でた。赤い宝石が僅かに光る。


「そうか」


 ノアが呟く。しかしそれ以上、彼の言葉は続かなかった。何を言っていいのかわからないのかもしれない。彼は大きくかぶりを振った。

 それからノアはスズの肩口に触れた。トルエンに蹴られた部分だ。同じように彼の手のひらが、ランプのような暖かな光に包まれ、その光がそのままスズの肩口の傷を癒す。


「さて、あたしもノアに懲らしめられるのかしら」


 ミカは腰に手を当て、堂々と仁王立ちをした。小出ミカ、復活だ。今まで死にそうだったくせに、なんてやつだ。スズは思わず舌打ちをした。心配した自分が、馬鹿みたいだ。

 更にミカはノアに向かって手の甲を向けた。どうやら彼女は、ノアの記憶を消してしまおうとでも考えているらしい。稀代の魔術師にど底辺勇者が適うはずもないのに。

 大体記憶を消すことも、いまいち力を使いこなせていないミカでは、警戒している人間に効かせることはできない、とスズは聞いている。あくまで隙をついてこその力なのだ。スズはため息を吐いた。なのに、この態度。ここまでくると、いっそ清々しい。

 ノアにもミカの考えは伝わっているらしい。ノアはミカに呆れ顔を向けた。


「オレは何もせん。罰を与えるのは警察庁であり、裁判庁だ。――とはいえ小出の場合、罪を立証するのは難しそうだからな」


 ノアは小さく息をつくと、ミカとスズを交互に見る。


「善行につきあってもらおう」


 僅かに口元を緩めるノア。


 ――善行?


 スズはミカを見た。ミカもスズを見る。二人で顔を見合わせて首を傾げた。


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