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Saga01:ど底辺勇者

 『自己の運命を担う勇気を持つ者のみが英雄である』 ヘッセ




 薄く輝く、不安定な朧月。青白い光は今にも消えそうなほど淡い。

 一歩歩く度に硬質な音がする、白石のテラス。手すりから身を乗り出し、少女はゆっくりと手を伸ばした。

 彼女の肩をシルクのヴェールが滑り落ちた。白の光沢あるグローブは月光を受け、輪郭がより白く浮き上がる。彼女はそっと、右手のグローブを取った。

 決して大きくない手のひらで、簡単に消えてしまう微かな光。それでも僅かな光を集めて、指先のリングは輝く。赤く、確かに光る石。愛おしそうにリングを撫で、少女は、笑った。


 ――――大丈夫、ちゃんと待ってるよ。





■ 第一章:出会い ■



 さすがに二回目は厳しいか。

 小出(こいで)ミカはじっと目の前の男を見つめた。どこかで見たことがある女だ、と思っているに違いない。

 目の前の男、トルエン=リザーラは疑いの眼差しでミカを見ていた。ミカの経歴表とミカを交互に見る。そして首を傾げる。トルエンはミカと仕事履歴が一つも被らないことを、不思議に思っているのだろう。

「上出イコです。初めまして」

 もちろん、偽名だ。ミカは愛想の良い笑みを浮かべた。念には念を――スズには偽名で書類を出してもらった。彼の経歴表に小出ミカの名前は残っていないが、念のためだ。

 一応、変装もするべきだっただろうか。変装がばれた時、逆に疑いを強めることを恐れて、ミカは変装をしなかった。

 自分はとりわけ特徴がなく、覚えにくい女だとミカは思う。ミカの薄い茶色の髪と目はこの国で一番多い色だし、髪の長さも肩にかかる程度で特別長いわけじゃない。中肉中背。そこそこ美人だが、とびきり目を引くほどでもない。印象に残るとすれば、やや吊り上がった狐目ぐらいだ。

 だから、大丈夫だって思ったんだけど。

「どこかであったことがあるか」

 トルエンの言葉に、ミカはぎくりと肩をすくめた。しかしそれも一瞬のこと。ミカはすぐさま笑みを浮かべた。

「どうかな。ギルドですれ違ったことくらいはあるかもしれないけど」

「いや、それは逆にねぇな。あんた、主な拠点はアサボアだろう。俺はアサボアには行かねぇからな」

 その通りだ。ミカが仕事紹介を受けているアサボアの町は、ログザリア国の南西に位置する。今回の仕事は北エリアの仕事だが、それだってアサボア経由で受けた仕事だった。それに対してトルエンは元から北エリアを拠点といる武道家――彼にとってアサボアは関わりのない町だ。

「そう?」

 ミカは首を傾げるとトルエンの顔を覗き込む。狐目を少しだけ丸くして、ミカは彼の顔をまじまじと見つめた。

「でも組むのはこれが初めてよ。お兄さんみたいな男前、一度組んだら忘れないもの」

 精いっぱい艶やかな笑みを浮かべ、ミカは言った。実のところ、男前とはかけ離れた顔だけれど。

 彼の暑苦しいくらい濃い顔は、精悍な顔とも言えなくはないし、スキンヘッドと、それに対象的な毛深い体は男らしいとも取れなくはない。縦にも横にも大きい固太りの体躯は、頼りがいがあると思えばそんな気もする。そんな感じだ。

 ミカの言葉にトルエンは瞠目し、やがていやらしく口元を緩めた。なんて下心満載の笑みだ。分かりやす過ぎて、ミカは小さく項垂れた。そうだ、この男はこういう男だった。品定めするような目で女を見る、下品な男。

「そうか、変なことを聞いて悪かった」

 トルエンは周りを見回した。そして、ミカの肩を寄せる。

 今回は町外れの廃工場に住み着いた窃盗団退治だ。そもそも人通りの少ない北の森、その中に位置する工場は一層人気のない場所だった。今、ミカはトルエンと二人、工場近くの木陰に身を隠しているところである。薄暗く人気のない森――彼の頭の中ではめくるめく妄想の世界が広がっているに違いない。

 ――この、ハゲ面ゴリラ。

 せめて人類になってから口説いてほしいもんだわ。心の中で舌打ちをしながら、ミカは彼の胸元に顔を寄せた。彼の厚い胸板を撫でて、口元を緩めるミカ。

「早く終わらせて、仕事のことなんかパーっと忘れちゃおうね」

 ミカは甘い声でトルエンの耳元に囁いた。この台詞を、彼に言うのは二回目だ。

 ミカはトルエンの胸元の手を止めた。その左手の小指には、赤い宝石がついたリングがはめられている。リングは森の中の僅かな光を集めて、きらりと光輝いた。






「だーかーらー! 一人三千ルッツ、ペアの仕事、それ以下じゃヤダ!」

「……うるさいな。いちいち喚くなよ」

 スズの目の前には客と窓口係を隔てるプラスチック板。しかしその存在も空しく、耳鳴りがするほど通る声に、スズは思わず顔をしかめた。出所は、プラスチック板に頭をぶつけるような勢いで突っかかっている彼女である。

 スズは可能な限り身をそらすと、さてどうしたものかと考え込んだ。客が救いの手を差し伸べてくることはないだろう。なんせ相手がこの女だ。実際大半の者が、視線を送るどころか顔を上げもしない。

 またあいつか。あのギルド窓口もついてないな、あの女に当たるなんて――小出ミカはそういう女だ。

 仕事紹介ギルドの朝は早い。アサボアの町ギルドの窓口係、琴原(ことはら)スズは朝五時に起床し、案件の整頓と賞金首の刷新、そして店内の掃除をこなす。更に金庫に保管した金額の確認と、前日の売上と照会までスズが行う。ここまでくると本来はギルドマスターの仕事だが、ここのマスターは朝に弱いうえ、元来ずぼらときていて、結局全てをスズが行い、それ相応の給与をもらうことで合意している。実質このギルドの責任者は齢二十歳の少年、スズだった。

 ギルドの開店は朝七時だ。スズは南面の窓のブラインドを開けた。途端眩しいくらいの陽が店内に差し込む。窓の向こうには雲一つない、真っ青な空が広がっていた。

 スズの銀糸のような髪が陽に透ける。スズは前髪をかきあげて笑った。晴れ空は好きだ。朝独特の陰鬱な気分が消し飛ぶ。

 スズは鼻歌まじりにギルドのシャッターを開けた。ものの一秒で勢いよく上がったシャッター、その向こうには既に十数名ほどの列ができている。いつも通りだ。しかし、先頭で仁王立ちをしている人物を見て、スズは固まった。

「グッモーニン、スズ。良き爽やかな朝ね」

 太陽を背負い、小出ミカはスズに微笑む。いや、ついさっきまでは、オレもそう思ってたんだけどさ。

 今すぐシャッターを降ろしたい衝動に駆られたが、シャッターは既にスズの頭上二メートルほどのところへ上がってしまった。スズの目の前で微笑む彼女から、彼は顔を逸らすと「冗談じゃねぇ」と小さく呟く。

 一気に、陰鬱になった。

 本当に晴れ空が心地よい朝だったのに。スズは窓の向こうの空を見た。太陽の陽に輝く雲がゆっくりと空を流れている。小出にこれだけのゆとりがあれば――スズは小さく息を吐いた。

「聞け! この黒ぼっくり!」

「黒ぼっくりって何?」

「黒焦げた松ぼっくりに決まってんでしょ」

「そこまで黒くねぇよ、オレの肌」

「知ってるわよ、どうでもいいのよそんなことは!」

 小出ミカは眉を吊り上げ、手のひらでカウンターを叩いた。それから――勢いよく叩き過ぎたらしい、彼女は顔をしかめて手を振った。彼女の手のひらが赤い。

 スズは彼女に呆れ顔を向けた。いちいち間抜けで決まらない。これで文句だけは一人前なのだから堪ったもんじゃない。

「東の森のコウモリネコ退治で千六百ルッツ。交通費は別途清算」

 スズが言う。

「オレだって結構譲歩したと思うんだけど」

「ダメ。全然ダメ。女心をわかってない」

 女心は関係ねぇよ。スズは思う。口に出しても無駄だろうから言わないけれど。

 ミカは肩にかかったストレートの髪を払い、身を乗り出すようにして右肘をついた。元来目つきの悪い彼女は、下から覗き込むようにして睨むとなかなか迫力がある。

 これで職業が暴力団であれば、まだ紹介できる仕事があろうものを。暴力団になるには度胸が足らないと診断されたと彼女は言った。どこまでも底辺な女だ。

「一攫千金。あたし、安い仕事には興味ないの」

 ――――知るか。

 ミカは盛大にため息を吐き出し、カウンターに頬杖をつく。スズは小さく息を吐き出した。盛大にため息を吐きたいのはこっちの方だ。

「あのなぁ、文句を言う前に腕を磨いてこいよ。このど底辺勇者が」

 スズが独りごちる。それから、ミカが焦茶色の目を真ん丸に見開くのを横目で確認して、スズはカウンターから身を仰け反らせた。

 数秒後には耳をつんざくような怒鳴り声が、ギルド中に響き渡るに違いない。通りのよいミカの声を反芻し、スズは顔をしかめた。顔をしかめるぐらいなら言わなければいいのだが、そこはスズの性分というものである。

 ミカが言葉を口にしようと息を吸う。スズは椅子に座りながら、できる限りカウンターから身を離した。そして――――

「え? ごめん、なんて言った?」

 ――聴力もないのか。

 スズはがくりと項垂れ、盛大にため息を吐き出した。


 小出ミカ、二十五歳。職業、勇者。

 この『勇ましき者』という職業はとても不明確な職である。勇ましいという基準がひどく主観的なものだからだ。

 時に職業は三角形のピラミッドで表され、頂上に近付くほど稀少価値が高く、それに伴い地位は高いとされる。では勇者という職がピラミッドのどの部分か。答えは明確な二つに別れる。『最上端』か『ど底辺』である。そして小出ミカは――ミカは不本意だが――ど底辺の女だ。

 事実、ミカは僧侶になれるほど知恵はなく、吟遊詩人にはほど遠い歌下手、召還すれば固形ですらない液体を召還してしまう。全くもって特技のない女、小出ミカ。当然ど底辺勇者の地位は限りなく低い。

 地位が低い。すなわち、紹介できる仕事は少ない。

「小出の主張はわかった。でもお前に難易度の高い仕事を任すと、とんでもないことやらかすだろ。詐欺、騙し討ち、窃盗――やりそうなことを言い出したら切りがねぇよ」

 指折数えだしたスズをミカは睨んだ。そこまではしない、多分。

「何のことかしら。さっぱりわかりませんことよ」

「どの口が言うんだ」

「事実よ。私、賞金首になったことないもの。私の経歴は真っ白だわ」

 狐目を更に細め、ミカはスズから目を逸らした。ミカの言葉は事実だった。賞金首等々、経歴に傷がないからこそ、ミカのレベルであっても仕事紹介を受けられるのだ。それはギルド窓口のスズが誰よりもよく知っているはずだ。

 ――ただ、スズはそれが事実であって事実でないことも知っているけれど。

「オレに言う言葉じゃないね、それは」

 スズは青の目を鋭く吊り上げ、一際低い声で言った。普段は若干高めの声で話すスズが、ドスの効いた声を出すと迫力がある。ミカはびくりと体を振るわせてスズを見た。マズイ、調子に乗り過ぎた。ミカはカウンターから身を引き、僅かに肩をすくめる。

「ごめん。調子に乗り過ぎた、謝るよ。だから怒らないで」

 ミカは、母親の機嫌を伺う子供のような目でスズを見た。結局のところ、こうしてミカがお金を稼いでいられるのは、レベルの割にお得な仕事をまわしてくれるスズのおかげなのだ。スズの協力がなければ今の仕事は続けられない。

「わかったんならいい」

 しばらくミカを見ていたスズは、やがて小さく息をついた。スズの声から怒気が消えていたのを感じ、ミカはほっと胸を撫で下ろす。

「でも紹介できる仕事がないのは事実なんだよ。ペアの仕事は今、ほとんどないからな」

「ほとんどって、全くないわけじゃないんでしょ」

「一つだけ」

 スズは引き出しから一枚の書類を取り出すとミカに差し出した。書類は仕事内容が詳しく書かれた仕事票だった。怪訝そうに顔をしかめながら、ミカは書類に目を通す。そして、

「一人、二十万ルッツ?!」

 思わず叫んでしまった。それもそのはず、ミカの平均報奨金額は千八百ルッツだ。それだって二人組の仕事ばかり受け、相手に半分以上の負担をさせて得た報奨金の平均である。それに対して十倍レベルの仕事――当然、ミカの手に負える仕事ではない。

 二十万ルッツがあったら、高級ホテルに百回くらい泊まれるな、とミカは思った。今、ミカが住んでいる部屋は一ヶ月千五百ルッツの安部屋だ。

「そう、二人で四十万ルッツ。小出と組んだら相手は三十九万八千二百ルッツ分働かなきゃいけないってわけ」

 それだけ言うとスズは仕事票を引いた。そして代わりにコウモリネコ退治の仕事票をミカに差し出す。

「だからこの仕事で我慢しときな」

 ミカは仕事票を見た。コウモリネコ退治で千六百ルッツ、交通費は別途。コウモリネコは危険指定動物の中でもランクの低い動物である。ミカでも退治できるようなレベルだ。しかも今回の退治数は一匹、そう考えると内容の割にルッツの高い仕事だった。

 簡単なのにルッツが高い仕事なのは、依頼者が世間知らずの高齢者だからだ。南エリアでも有名な高齢化の村からの依頼であることを確認し、ミカは「なるほどね」と頷いた。

 若者にはたいしたことのない仕事でも、高齢者にとって大変な仕事はいくらでもある。そのうえ国からの援助金が出る高齢者は、仕事の報酬を高く出してくることが多い。こういった仕事は、報奨金が変に高くても裏はないし、ミカレベルの勇者にとっては願ってもない仕事だった。

 ――しかし、ここで満足しないのが小出ミカである。

「さっきの仕事」

「……なんだよ」

「拠点がポポになってたけど」

 ミカの言葉にスズは目を見開いた。

 ポポはログザリア国の北西に位置する町である。拠点がポポ、すなわち本来なら北エリアの仕事だが、人不足のため対応しきれず、南エリアに人員要請が来ている仕事ということだ。

「しかも締め切りが今日になってた。今すぐ相方を決めないと間に合わないでしょ? 間に合わなかったら、一人で仕事対応することになるんじゃないの?」

「一人目が決まってなければ期限が伸びるだけだよ」

「一人目は決まってたじゃない。相方欄に名前が書いてあったのを見たもの」

「めざといな、お前」

 スズは苦い顔をミカに向けた。しかしそんな表情にかまっていられない。なんせ四十万ルッツだ。一人だったら半年経っても稼げない額、それが一日で稼げる。しかも二人組なら相手を利用すれば、解決できないこともないのだ。

 更に言うなら、二人組の仕事の場合、期限までに相手が決まらなければ一人で解決しなければならなくなる。それを承知で受けるぐらいだ、相当腕に自信のある人間に違いない。それこそ一人で解決できるぐらいの。

「一人でやるくらいなら、あたしに行かせてよ。千八百ルッツレベルの女でも居ないよりマシでしょ」

 ミカは言う。けれどこれは建前だ。一人に四十万ルッツを持っていかれるのは惜しい。せめて十万ルッツでも手に入れたい。

 ミカの性格を知っているスズなら、ミカの本音はわかっているはずだ。スズは口を固く結んでミカを見返した。スズの表情はミカの申し出を却下している顔である。

 それでもスズの青い目が、迷いに揺れているのをはっきりと感じ、ミカは真っ直ぐにスズを見た。ここまできたら、どれだけ目力で訴えられるかにかかっている。なんだかんだスズは甘い。ここで粘らなければ大損だ。

「……わかった」

 そして、負けたのはスズだった。

「承認すりゃいいんだろ」

 スズは降参というように肩をすくめると、四十万ルッツの仕事票を取り出し、自分の印鑑とギルドの支店印を押す。そしてそれをミカに差し出した。小出ミカ、勝利の瞬間である。

「さすがスズ! 好き好き大好き! ありがとう!」

「あぁもうわかったから、それ持って早くポポに行けって」

 プラスチック板に額を張りつけてお礼を言うミカに、スズは犬を追い払うような仕草で手を振った。椅子の背に体重を乗せ、プラスチック板から全力で体を仰け反っているスズ。これでもかというくらい、彼はしかめっ面を浮かべている。

「言っとくがどの地域でも埋まらなかった仕事だからな。小出みたいに寄っかかろうとしてるやつが仕事を受けたかもしれないし、経歴に問題あるやつが審査を通ってるかもしれない。それだけは覚えとけよ」

 それでもミカを心配するあたり、スズも人が良い。ミカは仕事票を抱きしめると、大きく首を縦に振った。

「うん、わかってる。任せて! うまくいって四十万ルッツが手に入ったら、スズにも分けてあげる」

 そう言ってミカは左手の甲をスズに向けた。ミカの左手の小指には、赤い宝石のリングが輝いている。ミカはリングを右人差し指で差し示すと、満面の笑みを浮かべた。


短編連作のファンタジーです。じわじわアップします。最後までお付き合いいただければ幸いです。■■コメントは励みになります。一言でも構いませんので、なにかお伝えいただけるとうれしいです■■

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