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決定版   初心者のための俳句入門  奥義秘伝虎の巻 増補・改訂版

作者: 舜風人

 初心者のための俳句入門      奥義秘伝虎の巻




以前書いたものの増補改訂版になります。







俳句を作ってみたい、

あるいは新聞の俳句欄に投稿してみたいという初心者、向けに

老婆心ながら

マニュアル?を、以下のごとく作ってみました。

私ですか?

俳句の実作歴は長いです。

いろんな俳句大会の入賞歴もありますので、

以下の文章がまんざらウソ?ではないことは保証しますよ。




第1条


四季折々の風景や動植物(人間も含む)にあなたの素直な思いを託して詠うのが俳句の王道です。

派生として、、、夢句?、幻想句?もアリですが、、。





第2条


俳句とは一期一会の誰かへの「贈る言葉」でもある。






第3条


俳句の解釈に定則はない。(どう解釈しようと自由)


その理由、たった17文字で全宇宙を表現しているのだから、無限の解釈があって当然。

逆に、深みや、含み?のないような単純な句ではいけない。






第4条


俳句は、気の利いた警句や、名文句・名セリフではない。


「失敗したっていいじゃないか。人間だもの」


これは俳句ではない。







第5条


分かりやすい句を目指す。といって幼稚な、凡庸な句ではだめ。

大いなる平凡、言うならば?神のごとき平凡の究極?あるいは、無作為の作為、ということだ、

さらにさらに、愚でもよいが、大愚でなければならない。

反対に、、、

難解語を振り回したり・新語やら奇語を連ねたり・奇想俳句・突拍子もない表現に溺れたらおしまい。


芭蕉いわく「俳句は3歳の童子にさせよ」





第6条


あくまでも俳句は日本的な原風景にこだわるべきだ。


最近、ゴビ砂漠がどうしたとか、

   ベネチアのガラスがどうしたとか、セーヌ川がどうしたとか、


そういう外国俳句?をよく見かけるが、あれは邪道だ。








第7条


俳句バカになるな。


俳句しかできない、、俳句のエライ宗匠先生になったらおしまいだ。

俳句以外の世界にも通じる豊富な知識が本当に良い俳句を生む原動力となる。





第8条


類句・類想句を過度に恐れるな。


というのは、、そもそも、たった17文字ですから、どうしても類句だらけになってしまうんですよ。

人間だれしもおんなじような発想で句作するからね。

そこを乗り越えて、どうやって、独自の俳句世界を構築するか、それがまあ最終目標でしょうね。







第9条


不易流行は俳句の黄金ルール。


俳句の歴史的な伝統的な立脚地にしっかり立って、そこから、新味も獲り込めた俳句を作ること、

それこそが温故知新でしょうね。




第10条


季語。575のお約束は外せないでしょう。


だってこれを取り払ったら、俳句じゃないものね。

無季俳句も、自由律俳句もあるじゃないかって。

うーん、でも、今、自由律ってそんなに流行して?もてはやされてますか?

ここはやっぱり定型俳句・伝統俳句でしょ?

定型俳句だからって、、字余りでもいいんだよ、でも、せいぜい6,8,6以上はやめようね。

ああ、そうそう、7,5.5っていう破調でもいいんだよ。、







まとめ




俳句の心は大和心のひたぶるなる発露である。


だから外人には永久に作れないし、分かりもしない。


今世界で流行ってるという


「HAIKU」なるものは、しょせん形だけをマネた単なる3行詩でしかない。


あれはあくまでも、英語で3行で書いただけの西洋的なポエムですよ。


あんなもの俳句じゃないよ。


外国人に以下の和歌の意味がわかるだろうか?


もしわかるなら?その外人は本当の俳人だよ。




『大和なるうたの神代に催いするその心根は敷島の心』




わかるわけないよなあ?外人には?






さて


以下は実作の際の具体的な留意事項です。






1、とにかく、、作ってみよう。


2、どう作る?自分の素直な心情を読み込む。



3、自分の心に映った風景(心象風景でも可)を読み込む。


4、俳句歳時記で先人の秀句にも触れて俳句のコツを養おう。


5、出来上がった俳句は、時間をおいて、また、別の角度から見直しても見よう。


6、自分本位な独善的すぎるのはだめです。



7、平明な語句で、万古不易なことを読み込むこと、


8、上っ面だけの新奇さを追ってはだめです。



9、一応の俳句のお約束事は守ろう。(575、季語、切字、)


10、「字足らずの俳句に名句なし」ということわざがあるようにむしろ字余り句のほうが良い。



11.慣れてきたら、句またがりの俳句も作ってみよう。7,5,5の破調俳句も作ってみよう。


12、固有名詞俳句は本当にその固有名詞が必要なのか?を自問してから使おう。


13、俳句の要諦。俳句は徹底的に省略の極致?ですから、、何しろ、たった17文字ですよ。

   だから、、、


  A説明しない

  B解説しない

  C余計なことは言わない。

  D極力、省略の妙を極めること。



14、取り上げる俳句の題材は自由だが、汚らしいものや汚らわしいことは読み込んではいけない。

   俳句とは、あくまでも美的でなければならない。「野趣」と「下品」は全く違うものです。

   野趣は良いですが下品はいけません。


15、同様に、貧乏自慢俳句、病気自慢俳句、など自己憐憫俳句(お涙頂戴俳句)もダメ。



16、二重言い回しをしない。つまり「川が流れる」「花が咲く」などがそうだ。

   俳句は極端な短詩形だから「川」「花」だけでよい。


  川は流れるにきまってるし

  花は咲くにきまってる。

  でも、わかっていて、わざと「花は咲く」と言う効果を狙ってあえて、使うならいいけどね。



17、俳号はつけてもつけなくてもよいが、つけたほうが俳句の境地を楽しめてよいだろう。

   ここでも自己満足だけの読めないような独善的な俳号はつけるのはやめようね。

   あくまでも,雅味、雅趣のある俳号をつけてください。古臭い雅号はでもやめようね



18、俳句をすると、何のためになる?  

   何のためにもなりません。

   俳句がいくらできてもそれで食っていけませんし、金儲けとも全く、無関係です。

   地位が上がるわけでもないし、女にもてるわけでもありません。


   俳句とは、あくまでも「夏炉冬扇」であり、道楽であり、遊行であり、三昧です。

   粋人であり、風流であり、ハグレ者です。異端者、外道?アウトサイダーです。

   漂泊の俳人とか、、世捨て人とか、隠者とか、、出家者とか、

   まあ、、そういう、たぐいなのです。それが俳句なのです。


   ですから、、

   金持ちで、超健康で、病気なんかしたこともない、外車乗り回し、

   愛人が5人いて、セレブマンションに住んでいて

   腕にはロレックス、服はブランド物、靴はアルマーニ、、、、、、


   そういう手合とは全く無縁の「風流と清貧の極み」それが俳句境、、なのです。


   逆に、、そういう金持ちセレブが俳句やったら、、これほどつまらない俳句もないのです。


   まあ、、そもそも、、こういう手合は最初っから俳句なんかやらんだろうけどね。





19、俳句の題材は?   以下の4つです。


   ①写生風景、客観写生、     ありのままの風景描写、

   ②季節感のある心理描写     季節に託して心を詠う。

   ③幻想とか心象風景       空想の翼を広げる。

   ④俳諧味のある高等な言葉芸術  粋な言葉のたしなみ。



20、いわゆる、時事俳句、政治俳句、ニュース俳句、、はだめです。

   なぜなら?それは,こういう俳句は、ただの「報告文」レポートに

   なりかねないリスクがあるからです。





21、いまだに、文語、旧かな、旧漢字で作句する俳人もいる。確かに文語の古雅な響きは捨て難い

   面もあるが、伝統俳句ではそれも許されるのだろうが

   あなたや私たちは、口語、新かな、新漢字で、読むのがこれからは正道だろう。



22、季語、歳時記を熟知して、それを使いこなせるようになったらあなたは、立派な俳人だ。





23、俳句はたった17文字だから、実は俳句とは、類句、類想句のオンパレードなのが実態なのです。

   だからいたずらにおそれずに

  まずは先人の句の形を真似てみることも初期には許されます。もち論、

   いつまでもマネではだめですよ。





24、俳句の達人になりたい。


   といって、、本屋に行くと、いっぱい有名俳人が書いた「俳句入門」書が売ってますが

  実は、、こういう本をいくら読んでも俳句の達人にはなれません。

 (その有名俳人の亜流にはなれるかもしれませんが、、、)

 そこが俳句の難しい?ところ?


 というのも、、その人なりの、、もともとの俳句の素質(才能?)の、ある・なし、ってのもあるし、 まあ才能がない人が、いくらやってもダメな人はだめだろうし。向いてないなら、

 そういう人は、いくらでもほかに趣味道楽はあるから俳句以外の趣味をやったほうが良いでしょうね。





 まあそれでも一般論としてどうしたら俳句の名人になれるか?とお尋ねならば、


  以下のように、そのように、したらよいでしょう。




① とにかく、物おじ、しないで作句してみる。最初はマネでもよい、

   型から入るってのも初心者なら

  OKです。大学ノートを用意してどんどん、思いつく俳句を

  書き留める。1日に最低10句は作ることです。歳時記を首っ引きで、確認しながらね、。




② 作句の内容は、 以下の4つです。


   ・写生風景、客観写生、花鳥諷詠。

   ・季節感のある心理描写,心情吐露。

   ・あなたが見た?幻想とか心象風景、原風景。

   ・俳諧味(軽味)のある高等な言葉芸術(高尚な言葉遊び)



③句ができたら、その俳句をもう一度、時間をおいて、見直してみる。

 作りっぱなしにしないで見直すってのも大切です。

 練り直す、推敲するってのも大事です。俳句は作品であり、、創作です。

 文芸作品ですから、推敲や、見直しは当然です。芭蕉も推敲の要を説いてます。




④推敲して、これはという作品ができたなら、投稿してみる、他人の評価をうけててみるってのも大事。

  新聞や、雑誌、俳句大会にどんどん投稿してみよう。




⑤俳句結社・雑誌に入会してもよい。それなりお金はかかるがこれはという

選者や宗匠が見つかったらそこで武者修行もよいだろう。

日本には俳句結社、俳句雑誌は何百ってある。それらは流派も作句方針も、考え方も千差万別ですから、それらの中であなたと相性がいい宗匠がいたなら、

加盟してもよいでしょう。




⑥句会や吟行もあれば参加してみると面白いです。



しかし、、、、



あまりにも俳句の達人?というか、、俳句の名人?に成り上がる、、成り下がる?ようになったらある意味オシマイでしょうね。


そういうプロ俳人?というか、

小器用な「俳句巧者」?になってる人が実は多いんです。

そういう人はいわば俳句とは一種の、その人の芸?であり、

得意技?なんですね。

俳句芸人?といってもいいでしょう。


こざかしい作為と嫌味なわざとらしさ

いかにも手慣れた作句の小細工


こういう俳句巧者になったらオシマイです。



本当はそうじゃなくっていつまでも素人ぽっくって?

半端者で?

半ぐれ者であってほしい。


だって俳句なんて、ハグレ者のアウトロー文芸なのが本筋なんですからね。

本来は、

俳人が文部省推薦の優等生になったらおしまいなんですよ。


東大出て、、医者で、、金持ちで、、すごい健康で、、ヒマ?だから俳句やってますというような

偉い俳句の宗匠先生では本当はいけない?んですよ。


そうじゃなくって、名も知れぬ庶民で、一家離散で、、放浪生活で、病気で、貧乏で、、

そういう人が、絶望の果てに、俳句というものを、偶然?見つけて、、やってます、、というようなのが俳句の本筋なんですよ。


つまり俳句とはあくまでも,ハグレ者文芸であるのです。

金持ちで健康で東大出ててなんにも困らないような名家のお坊ちゃんがやるようなものではないんですよ。


例えば、、、


山頭火は家を捨て妻を捨てて無一文の、俳句と酒を取ったら何も残らないような、生活破綻者でしたし


放哉は東大出た後、家も仕事も捨てて離島で堂守生活でした。



子規は寝たきりの病人でしたし


鬼城は、耳が聞こえませんでしたし、


波郷は、ずっと、結核で早世しましたし、


菊舎は29歳で出家して以後放浪生活です。


そういう部外者?の文芸を、大改革して、、いわばお大臣のお遊び文芸にして

宗匠制度(徒弟制度、家元制度)を確立したのが高浜虚子ですね。

彼のおかげでそれ以後俳人は、弟子をとり、その納付金で俳句の流派を維持して

俳句で食っていけるようにした大功労者?です。


いわば俳句の、華道や茶道の家元制度化ですね。

俳句の流派であり、俳句の宗匠はその家元です、弟子がいてその流派の流儀の俳句しか作らない、認めない、弟子は上納金を納めて、やがて師匠が死ねばその俳句流派の新家元になる。

こうして代々受け継いでゆく、まるでこれでは華道や茶道ですよね。

俳句が食うための家業?になってる。


だが、、それでいいんだろうか?

誰憚ることもなかった世捨て人文芸のままのほうが良かったのではないか?

野垂れ死に文芸のほうが良かったのではないか?

アウトロー文芸のままのほうが本道だったのではないだろうか?


「野ざらしを心に風の染む身かな」これこそが俳句だったのではないのか?

弟子に囲まれて上納金でぬくぬく暮らして、先生とか宗匠と呼ばれて

文化勲章ゃ紫綬褒章をもらって、、それでいいんだろうか?


俳句とはそんなものじゃなかったはずなのに、、、。

そう思うのは私だけでしょうか?



俳句に限りませんがそもそも、文学(小説。詩、俳句、短歌など)というものは、お金持ちで健康でなんにも困らないようなお坊ちゃんがするようなものではありません。

何らかのことでこの世に不満を持ってる人がやるというものなんですよ。

弟子からの上納金でお金持ちになったエライ宗匠先生が作る俳句っていったい?

そんなものが俳句でしょうか?

ただの金持ちの暇つぶし遊芸❓でしかないじゃないか?

そう思うのは私だけでしょうか?



まあいくら言ってもきりがありませんね?

話が長くなりすぎたのでそろそろ、

まとめとして。



そもそも日本のポエムの原点は短歌も俳句も同根です。


その心は大和民俗固有の歌心です。



その神髄は以下の和歌にシンボライズされているのではないでしょうか?


この和歌の心がわかるなら、、、あなたは立派な?大和の歌びとあるいは立派な俳人ですよ。




「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」   本居宣長





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