王子の俺はカエルの俺に負けました
★もしも『カエルの王様』に出てくる王女様が、カエル好きだったら★
※ 冬の童話祭2018参加作品 ※ 諸事情により「王子様」になってます
「カエルになってしまえ!!」
魔女に呪いをかけられた日、俺の人間としての人生は終わった。呪いを解く条件が「女性によって壁に叩きつけられること」だなんて、ますます終わってる。どうしようもない。
池の周りで暮らし、虫を食料とする日々の中、そろそろ諦めてメスのカエルと交尾でもするべきなのかと考え始めた頃。
神は、俺に奇跡の出会いを与えた。
「ああ誰か、私の金の鞠を取ってくれないかしら」
隣の国の王女様だった。深い池に鞠を落としてしまったらしい。
「取って来てあげようか」
「えっ、カエルさん! 本当に?」
「ああ。その代わり約束して欲しいんだ。俺を君の城に連れてってくれ。衣食住を共にさせてもらえたら」
「もちろんよ!」
ん? 食い気味の返事が気になったが、かくして俺は王女様の城に招かれた。湿らせたハンカチに俺を乗せて帰って来た王女様に、当然周りはドン引く。
「王女様! またそのような……」
また? 召使いの台詞に首を傾げる俺。王女様は気にせず返す。
「ふふ、いいでしょう? 今度はすごい子なのよ。カエルさん、ご挨拶して」
「こ、こんにちは」
「なんと! 人の言葉を!」
「ばあや、前に言ってたじゃない。何を考えているか分からないから、動物は飼っちゃダメって。だから、お話しできるこの子はいいわよね? 私、お父様にもお見せしてくるわ」
王女様のお父上――つまりこの国の王様にも、たいそう驚かれた。王女様は、金の鞠を池に落としてしまったこと、それを取ってくる代わりに俺を招待する約束をしたことを話し、お父上も「約束をしたのならば、最後まで守りなさい」と俺の滞在をお認めになった。
どうやら王女様はずーっと前から動物を飼いたかったらしい。が、周りにストップをかけられていたらしい。可哀想に。いいじゃないか、ペットの一匹や二匹。まぁ、カエルをペットに選ぶ人間(しかも女性で)は珍しいと言えば珍しいが。
***
王女様は約束通り、俺を晩餐の席にも連れてきてくれた。机の上に用意された小さなクッションの上、俺のために湿らせた布が添えてある。待遇良いな、有難い。
けど俺は、呪いを解くために「壁に叩きつけられなければ」ならないんだ。こっからは容赦なくイヤな奴に成り下がってやらなきゃな!
美しく盛られた料理が並ぶ卓上で、俺は出来る限り行儀悪く、そりゃもうマナーなんて俺の辞書にないぞってぐらい悪く、めちゃくちゃに振る舞ってやった。お父上には申し訳ないが、これも王女様に叩きつけられるためだ。最終的にミネストローネの皿に飛び込み、王女様のドレスに飛び散らせた。
「カエルさん!」
お、来た来た。さすがに動物好きでも怒るだろ。
王女様は俺を両手で抱えて部屋を出る。自室に戻り、投げ飛ばすかと思ったら、彼女は、ミネストローネでベタベタになった俺の身体を、湿らせた布で丁寧に拭き始めた。
「何、してんだ?」
「汚れちゃってるから、キレイに。ジッとしててね」
「俺より、王女様のドレスが」
「それよりダメよ、さっきの。さすがにお行儀が悪いわ。カエルさんはずっと池に暮らしていたんだろうけど、今日から私の家族なんだもの。お父様に怒られないよう、マナーを覚えてちょうだいね」
天使のような微笑みを見せ、彼女は優しく俺の身体を拭く。イボだらけの、醜いカエルの身体を。待て、待て待て。違うだろ。そうじゃないだろ。何故だ、どうしてこの人は……
「……いい、自分で拭くから」
「え? でも、」
「王女様、着替えてきなよ。ドレス、早く洗わないと、シミが残るだろ」
返す言葉が、見つからなかった。挑発なんて、なおさらできず。怒らせて、逆上させて、叩きつけられればそれで終わりなのに。
元々カエルなんて醜い存在だ。人間の家に入り込めば、呪いを解くための条件なんて即達成できると思ってた。嫌われることなんて、簡単なのだと。
着替えるついでに、王女様は入浴も済ませてきたらしい。ガウン姿で戻ってきた彼女からは、とてもいい香りがした。
「もう、聞いてちょうだいよ」
鏡台の前で髪を梳かしながら、王女様は言う。
「ばあやがね、カエルさんのこと早く捨ててきなさいって。汚い上に無礼だなんて、城に置く価値がないって言うの。ひどいわよね! だから私、今日まで野良だったから仕方ないでしょ、ちゃんと躾するからって言い返してやったわ」
「捨てないのか?」
「当たり前でしょう? 折角お父様の許可ももらったのに。だからお願いね、カエルさん、あなたがあんまり暴れると、一緒にいられなくなってしまうから」
眉を下げながら微笑み、俺の頭を撫でる王女様。俺がその指に自分の手を重ねると、「カエルさんの手はペタペタしてるのね」と笑った。
「そうだわ! カエルさん、だと仰々しいから、呼び名をつけても良くて?」
「別にいいけど」
「じゃあ……エルちゃん! そう呼んでもいい?」
「ああ」
俺の返事に、王女様は立ち上がって喜んで、俺を手の平に乗せて鼻歌を歌い出した。ワルツのステップを踏む彼女の、ガウンの裾がふわっと舞う。
「エルちゃんの舌は長いの?」
「人間よりは伸びるな」
「だったらスープは、お皿の外から舌ですくって飲んでね。お皿に飛び込んではダメよ」
知ってるよ。俺は人間だったんだから。
「お皿が深くて舌が届かなければ、スプーンを使わなくちゃね。あっ、私が薄いお皿に取り分けることも出来てよ」
バルコニーに出て、暗い森を見下ろす王女様。俺を手すりに置いて、自分は静かに目を閉じる。
「どうかしたのか?」
「聞こえる? 虫たちの声、綺麗ね」
耳をすませるその横顔に、触れたい。けれど今の俺の姿では、それすら叶わない。
「エルちゃんは、虫を食べるのかしら。欲しければ明日、一緒に取りに行きましょう」
「ここの食事で充分だ」
「そうなの?」
「ああ。満腹だ」
「残念、森へ行く理由が出来ると思ったのに」
王女様の瞳が、月明かりを含んで優しく輝く。闇夜でも分かる、薄桃色の唇。
醜いカエルの俺を好いてくれる人なんて、どこにいるだろう。もし、人間に戻れたら。彼女を抱きしめて、熱い口付けであふれる愛を返したい。
少し冷たい夜風が吹いて、王女様は俺を手に乗せ室内へ戻る。
「私、明日も午前はお勉強しなくちゃいけないんだけれど、お部屋で良い子にしていてね。ジッとしてれば、ばあやも勝手に捨てたりしないわ」
「俺、ずっとここに居ていいのか?」
「ええ」
「醜いカエルなのに?」
「エルちゃんは可愛いわよ」
ベッドに座り、手の平に乗せたカエルに向かって微笑む王女様。このままじゃ、彼女が俺を壁に叩きつけるなんて、絶対にない。頼んだってやってくれなさそうだ。
仕方なく、俺は強攻手段に出た。
「……バカな王女様だ」
「きゃっ」
舌を伸ばして、彼女の頬を舐める。
「くすぐったいわ、エルちゃん」
クスクスと笑うあたり、犬や猫がじゃれてる程度の感覚なんだろう。……嫌がられるには、もう少しか。手の平からジャンプした俺は、王女様の胸元にくっつき、ガウンの中に舌を滑り込ませようとした。
「やっ……ダメっ!」
反射的に顔を赤らめて、王女様は俺を手で払った。思惑通り、俺はそのまま吹っ飛び、壁に叩きつけられる。
「あっ、エルちゃん!」
我に返って駆け寄ろうとした王女様は、立ち込める煙に足を止めた。
「ああ、ごめんなさい、私、なんてことを……」
「大丈夫」
返事をしたその声は、今まで俺が発していたダミ声ではなく。ああ、本当に戻れた。長い悪夢のような呪いは今、解けた。カエルの姿でも受け入れてくれた彼女のことを、一人の人間として愛することができる。
煙の中から一歩、また一歩、王女様に近付く。
「だ、誰……?」
「信じられないかもしれないが、俺は呪われてカエルにされてたんだ。君のおかげで、魔女の呪いが解けた」
「エルちゃんは……?」
「だから俺が、」
「うそ! うそよ!」
「ほ、本当だって! 君は俺の恩人で」
「いや! 返して! エルちゃんを返してよ!!」
目に涙をいっぱいためて叫ぶ彼女の姿に、俺は呆然とした。そのうちに、騒ぎを聞きつけた召使いが、部屋の扉を叩く。
「王女様! いかがされましたか!」
「ばあや!」
扉を開けて泣き縋る彼女と、室内にいた俺を交互に見て、召使いは口をぱくぱくさせた。
「あ、貴方は……行方不明だった、隣国の若君……!」
***
それからは、かなりトントン拍子に話が進んでいった。いや、運ばれていった、という方が正しいかも知れない。
俺が人間に戻ったという知らせは、隣国の父王の耳にも入り、ただちに帰還するよう命じられた。呪いが解かれた経緯を話すと、父は「是非その王女を妻に迎えよう」とおっしゃり、圧力をかけるがごとく彼女のお父上に書状を送った。俺の国の方が大国であるため、彼女のお父上は断ることもできず、まして、彼女の同意の有無が問われるはずもなかった。
俺、元の姿に戻った瞬間、思いっきり拒絶されたんだけどな……。その話も父にはしたが、どうやら無意味だったらしい。個人的には、あの王女様と結婚できるなんて喜びの極みだし、彼女がお望みならどんなペットだって許したいぐらいだ。
そうだ、もしかしたらあの時は、急にカエルが俺になったせいで、めちゃめちゃ錯乱してたのかも知れない。改めて会えば、カエルだった俺に向けてた笑顔、見せてくれるんじゃないか……。
神は、俺のささやかな希望を全力で砕いた。
「なんと美しい。倅には勿体ないくらいだ」
父が絶賛する前で、彼女はただ静かにお辞儀をした。自室で跳ねるようなステップを踏んでいたとは思えないほど、お淑やかに。
父王たちと周囲の召使いたちが「美男美女だ」「お似合いだ」と頷き合う。そんな中、長旅で疲れているだろうから、と俺は彼女を部屋に案内するよう言われた。
「来てくれてありがとう。また会えて嬉しいよ」
「私が意見できないことくらい、ご存知でしょうに」
同じソファに腰かける。が、間に一人分の距離。
「それでも、嬉しいんだ。君は俺の、恩人だから」
「……だったら、エルちゃんを、」
王女様は薄桃色の唇をきゅうっと噛みしめ、一粒の涙を零した。
ああ、やっぱり彼女が受け入れてくれたのは、ここにいる俺じゃなかったんだ。彼女を笑顔にできるのは、醜いカエルの姿だった俺……。
でも、どうしろって言うんだ。俺は彼女を幸せにしたい。長く苦しい呪いから解き放ってくれた、美しく優しい王女様のことを。
次々と溢れる涙を堪えきれず、彼女はとうとう両手で顔を覆ってしまう。肩を抱こうと手を伸ばすものの、「触らないで」と涙声で拒まれる。
「……俺じゃ、ダメか?」
すすり泣く彼女に、絞り出すように尋ねる。
「君を、幸せにしたい。笑顔でいて欲しい。そのためなら、」
「私は、エルちゃんが好きだったの……」
止まらない涙をそのままに、彼女はゆっくりと顔を上げ、俺の目を見る。
「気持ちは変わらないわ……ごめんなさい」
このままでは、彼女の笑顔が永遠に失われてしまうんじゃないか。あの夜を境に、その心が喜びで満たされることはなかった、なんてバッドエンドは勘弁して欲しい。
俺の幸せを取り戻してくれた彼女を、幸せにできないなんて。俺が彼女の幸せを奪ってしまったなんて。
咄嗟に抱きしめると、彼女は身体を強張らせ、暴れた。
「いや! 放して! 放してよ!」
「放さない! もう二度と放さない!」
彼女は拳で俺の背中を叩いたり、服を引っ張ったり、出来るだけの抵抗をする。けれど俺はひたすらに、彼女を強く抱きしめ続けた。
「君がどう思っていようと、俺は君に救われた。呪いを解いてくれたこと、本当に感謝してるんだ」
「ええ、そうでしょうね! 貴方は呪いを解くためだけに私に近付いて、利用したんでしょ! そんなのっ……あんまりだわ!」
「最初はそうだった……けど今は違う! 君を愛してる。君が望むなら、どんな動物だって探しに行く。一生をかけて、君への永遠の愛を誓うよ……」
疲弊したのか、彼女の抵抗は俺の服を引っ張るだけにとどまった。
「人間だったことを隠していたのは謝る。でも言ってしまえば……呪いは永久に解けなかった……」
「やめて……聞きたくないわ」
彼女の笑顔を見たい。彼女を笑顔にしたい。たったそれだけの願いなのに、抱きしめても愛情を伝えても、叶わない。
「……会いたい、エルちゃんに会いたい……」
俺の腕の中で、カエルの俺に想いを馳せる王女様。どうしたものかと悩む俺に、彼女は小さく尋ねた。
「ねえ、どうして貴方はエルちゃんになったの?」
「え? それは、よくわかんないんだけど、突然魔女の呪いを受けたんだ」
「悪いことをしたの? 怒らせたの?」
「多分、怒らせたんじゃないかと……狩りの最中にすごく珍しい獲物見つけて……」
次の瞬間、王女様はバッと顔を上げた。
「だったら、その魔女に頼めばもう一度貴方はエルちゃんになれるんじゃなくて?」
「ちょ、ちょっと待て! また醜いカエルになれってことか!?」
「醜くないわ! 失礼ね!」
思わず腕の力を緩めてしまい、彼女はスッと距離を取って座り直す。
「貴方がエルちゃんに戻ってくれたら、私、毎晩抱きしめて眠るわ。食事も食べさせたいし、お散歩したいし、泳ぎに行きたいし、一緒にお風呂だって」
「そ、それって! 今ここにいる俺じゃダメなのか!?」
「ダメよ。エルちゃんがいいもの」
な、何故だ! 悔しいが俺は今、カエルの俺に完全に負けている。王女様は「よしっ」と気合を入れて、出掛ける準備をし始めた。
「え、何処か行きたい場所でも」
「決まってるでしょう? 魔女を探しに森へ行くの。手伝わなくても結構よ、貴方はエルちゃんに戻りたくないようだから。私が魔女を見つけないように祈っててもいいわ」
カエルになれば、毎日一緒にいられて、好きになってもらえる……いや! ダメだろ! そこは頑張るべきだろ、人間の俺のままで!
ああでも、きっと彼女はこれから毎日、朝から晩まで森で魔女探しに明け暮れてしまう。俺が彼女の心を掴むには、一緒に魔女探しに行って共に時間を過ごすしか……いや! 魔女探しちゃダメだろ! けどなるべく長く一緒にいたいし……!
退室しようとする彼女の前に立ち、その両肩を掴んだ。
「わ、分かった! 俺も手伝う!」
「まぁ、どうして? エルちゃんになってもいいってことかしら」
「良くない! カエルって割と大変なんだからな!」
「知ってるわ。だから私がお世話するのよ」
真直ぐな瞳。ああ、可愛すぎる。この人を幸せにできるなら、カエルになっても……あ、ちょっと待て。
「け、けどさ、俺も一応、一国を担うべき王子なワケで……父上の後を継がなくちゃいけないからさ、今すぐカエルにってのは……」
「あら、そんなこと」
「そんなことって」
「早く世継ぎを産めばいいんでしょう?」
「…………へ?」
固まる俺に、彼女は変わらぬ真直ぐな瞳で言った。
「それが嫁いだ女の務めですもの」
「務めって……嫌じゃないのか? 俺と、その……」
「もちろん嫌よ」
一刀両断される俺の気持ち。にしても、そんな簡単に割り切れる問題なのか!?
「でも、男の子が生まれれば、貴方は心置きなくエルちゃんになれるでしょう? そのためなら私、耐えてみせるわ」
笑顔じゃない。超真剣な顔だった。
俺、どんだけカエルの俺に負けてんだよ! けどこれってもしかして、チャンスかも知れない。生まれてくる子供が男か女かなんて、その時までわからないんだし。
「……今、ズルいこと考えたでしょう」
「さぁ?」
とりあえずは、ハッピーエンドということで。誓いのキスでも交わそうか。
「愛してるよ、王女様」
読破ありがとうございました!