インナーブルの射手 2/2
トレーニングを終えた私は、居住スペースにある風呂のシャワーで汗を流していた。
覗いたらマジで殺す、と言っておいたので、流石のオッサンも自重しているようで、脱衣所にすら入ってこなかった。まあ、かんぬき型の鍵は付いてたが。
「……」
鏡の曇りを手で払い、私は自分の身体を眺める。上半身を捻って鏡を見ると、体中におびただしい数の古傷がまだ残っていた。
これは私が、恩師のじいさんの所に行く前に、変態共にたらい回わされ、散々オモチャにされたせいでついた物だった。
「嫌な事、思い出したな……」
その記憶を洗い流す様に、私は頭から湯を浴びる。
身体の水分を拭き取り、ベッドの上で下着姿のままダラダラしていると、
「お嬢さん、もうお昼だし、屋上で流しそうめんをしよう」
ドアの向こうに居るオッサンが、浮かれた様子でそう訊ねてきた。
「断る。オッサンと2人でやって何が楽しいんだよ。あと季節考えろ」
だが、私はそうばっさりと切り捨てた。
「そうかい、それは残念――、おっとと」
竹が床に落ちる音がしたので、本当にやる気だったらしい。その謎の行動力はなんなんだ……。
ややあって。
飯を買い出しに行こうと、適当にティーシャツとショートパンツを着たところで、ドアが微妙に開いているのが見えた。
「はあ……」
思い切り戸を開け放つと、ゴンッ、という音と共に、案の定、扉の向こうにいたオッサンが廊下に転がる。
「……おい、何覗こうとしてんだテメエ」
銃口をオッサンのこめかみに、ぴったりと着けて睨み付ける。ああもう、また白髪が……。
「じ、冗談だ。冗談だから銃をどけてくれないか?」
「良いか、今度やったらマジですぐ撃つからな」
とりあえず銃をしまって頭を抑え、深い深いため息を吐いた。
「今からそば茹でるけど食べるかい?」
すると、何事も無かったかのようにオッサンは立ち上がり、私にそう訊いてくる。
「そうめん無かったのかよ!」
私が乗ってきたらどうするつもりだったんだ……。
「すまんね」
コンビニに弁当でも買いに行こうと思っていたので、まあ、面倒が省けて助かった。
茹で上がるまで待ち、店舗部分にあるカウンターで、さっさと平らげて部屋に戻った。
出入り口の鍵とカーテンを閉めてから、室内のそこら中に銃器を隠してベッドに転がった。
石膏ボードの天井を眺め、ぼんやりとしていた私は、ふと、この前の仕事での移動中に寄ったファミレスで、高校の先輩・後輩っぽい女の子2人が、漫才のような調子で会話しているのを思い出した。
……あれが、普通の女の子、なんだろうな。
その様子を思い出し、私は不意に泣きそうになった。
「なんで……、こうなっちまったかな」
『体質』持ちでも無く、親も家庭も平凡なものだったなら、あの子達の様に、私もなれただろうか。
私を"こんなもの"に作り上げた要因を否定すると、私の個性は無くなってしまうだろう。
だけど、そんなものはいらなかった。
下水管を這い回るドブネズミの様にしか、生きられないような物なら無くてもよかった。普通に生きられるなら、没個性でもかまわなかった。
目頭が熱を持ち、視界が歪みだす。暖かい物が一筋、頬を伝ったような気がした。
「……辛気くせえのは、私の柄じゃねえな」
私はそれを拭って苦笑すると、冷蔵庫から水のボトルを取り出して飲む。
ベッドサイドのテーブルにそれを置くと、その脇に無造作に置かれた、屋上のドアの鍵が視界の端に入った。
……そういや、屋上の鍵閉めたっけな?
宗司によく、屋上の鍵は出たら絶対に閉めるように、と言われている。
正直、面倒くさいとは思ったが、クビとかにされたら堪らないので、渋々屋上までやってきた。
やっぱり閉めてなかったか……。
鍵どころか扉が半開きになっていたので、閉めようとドアノブを持ったとき、
「――ッ!」
ドアが勢いよく開き、私は外に引っ張り出された。
「しまッ――」
視界の隅に男が居るのが見え、すぐに銃を抜こうとした。だが間が悪い事に、部屋に銃を置き忘れていた。
その隙に、男は私の後ろに回り込んで、紐か何かで私の首を締め上げた。
なんとかそれから逃れようとするが、近接戦闘が絶望的に下手な私では、藻掻くぐらいしか出来ない。
やがて全身の力が抜け、意識も次第に薄れていく。唾と小便が垂れ流しになって、ひどいことになっている。
だ……、れか……。
目の前が真っ白になって、私の悪運もこれまでか、と思ったとき、突然、私を締め上げていた男の力が緩んだ。
その場に崩れ落ちて横倒しになった私は、何度もむせかえりながら必死に息をする。
「なんとか間に合ったか」
私を襲った男が、棒立ちのまま横にぶっ倒れると、その後ろに、いつの間にか黒いジャージを着た若い男が立っていた
「おう……、大森……。助かった……」
その男は、同僚の殺し屋である大森亨一だった。刃の部分に血が付いた、刀身の細い短剣がその手に握られていた。
大森は、自分の気配をコントロール出来る『体質』を持つ殺し屋で、宗司の切り札だと聞いている。
「もう大丈夫だぞ、鈴」
男の服で剣に付いた血を拭って鞘に収めた大森は、屋上への出入り口の方を見てそう呼びかける。
「大丈夫、帆花?」
すると、やせ形で背のちっさい女の子が出てきて、私に簡易式の酸素ボンベを手渡し、心配そうな様子でそう訊ねてくる。
腰まで届くほど長い髪を持つ彼女――杉崎鈴は、殺し屋ではないが、何か複雑な事情でこっちの世界にいる子だ。
「ああ、何とかな……」
中身を吸い込んだ私は、1つ息を吐いてそう答えた。
そのすぐ後、急いで階段を昇ったのか、息が切れているオッサンが現れた。
「おっ、生きてたか」
ほっとした様子で、私を見ながらそう言ったオッサンは、大森に死体袋を手渡した。
「ごめんな帆花ちゃん。ワシの警戒が甘かった」
最初からずっとふざけた態度だったオッサンが、今は珍しく殊勝にしていた。
後で宗司から聞かされたが、最近、宗司の関係者の周りで不穏な動きをする連中がいて、ヤツはその対策で今日は不在だったらしい。
「気にすることはねえよ。私が間抜けなだけだ」
やっと落ち着いた私はオッサンにそう言うと、ふらりと立ち上がって2回目のシャワーへと向かう。
まだ足取りがふらつく私を鈴が支えようとしてくれたが、いろんな汁で汚いからって断った。
シャワー浴びてすっきりした私は、また何か有ったらアレなので、他の3人と一緒に店部分で宗司の帰りを待つ事にした。
私と大森とオッサンは、バーカウンターの椅子に座っているが、鈴はカウンターから見て左奥にある、ボードで囲われた応接スペースから持ってきた、1人掛けのソファーで昼寝していた。
「それにしても、亨一君にロリコンの趣味が有るとはな」
そんな鈴を見ながら、大森へそう言ったオッサンは、タバコを取り出して一服しようとする。
「誰がロリコンだ。あとタバコ吸うな」
大森はそのタバコを奪い取ると、カウンター横の植木鉢の土に突っ込んだ。
「酷いなあ、亨一くんは。良いじゃないか1本ぐらい」
「うるさい。外で吸え」
「ええー。それじゃ、女の子見られないじゃないか」
「じゃあ吸わなきゃ良いだろ」
オッサンは、そりゃそうだが、と言いつつ電子タバコを使おうとしたが、
「吸うなと言ってるだろ」
「電子タバコもダメ?」
「ダメだ」
大森に睨み付けられて断念した。コイツは基本人当たりがドライなのだが、鈴に対してだけは何故かやたらと過保護になる。
同じ事やられたら、私は煩わしく思うだろうが、端から見ても分かるぐらい、大事にされているのに羨ましさを感じる。
私を狙撃手に育て上げたじいさん以外、私は性欲とか征服欲を満たすための、使い捨ての道具みたいに扱われていたから、余計にそう思うんだろうな……。
私はそんなことを考えつつ、気持ち良さそうに寝る鈴を見ていた。