インナーブルの射手 1/2
私の名前は芙蓉帆花。殺し屋をやっている。
数ヶ月前まで、思い出すのも嫌なクソ気持ちの悪い変態に、私は狙撃手として飼われていた。
だが今は、諸々(もろもろ)あって店番兼狙撃手として、ふざけてはいるがまともな雇い主の下、『情報屋』で働いている。
しかしまあ、人生ってのは分からないもんだ。
あのまま、前の雇い主に「壊される」かと覚悟してたんだが、私はアレから解放されただけで無く、ヤツのキモい面と汚い下の棒と玉まで蜂の巣に出来た。
今もまあ、多少のストレスはあるが、少なくとも監視されてないだけマシだ。
昨日まで、仕事でかなり遠出していた私は、『情報屋』に帰ると、雇い主の天谷宗司と交渉して、1週間の休みを半ば脅す形で貰った。
『情報屋』は繁華街の少し外れに建つ、4階建てのビルの2階にある。宗司はやけに信頼が厚いらしく、店には怪しい探偵から刑事までが情報を買いに来る。
ちなみに私が住まわせて貰ってるのは、その上の階にある、アパートみたいになっている所だ。
「ん……、暇だな……」
休みを取ったはいいが、私は暇を持て余してしまって、自室のベッドに横になっている。格好はショーツとスポーツブラだけを着て、それ以外は何も着ていない。
暇つぶしに、所有している銃を全部整備することにした。
拳銃20丁と、アサルトライフル5丁、1点物のスナイパーライフル3丁、サブマシンガン5丁の整備をしたが、何年もやっている事が災いし、大して時間を潰せなかった。
……筋トレでもするかな。
そう思い立った私はうだうだと起き上がり、2丁の愛銃が横向きに刺さった、ヒップホルスターをベッドの上にそっと置く。
「――っと」
だが端っこに置いたせいで、床に落ちそうになった。
「危ねえ危ねえ」
それをすんでの所でキャッチした私は、そう言って大きくため息を吐く。
私の愛銃は、金持ちの特殊部隊が使う9ミリの自動式で、サイレンサーを付けられるタイプだ。
何年も連れ添ってきた、ツヤ消しがされた黒い銃身を、私はじっくりと眺める。こいつらには、随分とくたばってもおかしくない所を助けられた。
「……お前らは、私が主人でよかったか?」
当然だが、2丁の銃からは一切返答がない。銃身を撫でても金属の冷たさを感じるのみだった。
今度はサイドテーブルの上に置いて、私は灰色のタンクトップを着た。
下着の上に黒いスパッツを穿いた私は、念入りにストレッチをしてから、護身用のちっちゃい銃を腿に巻くホルスターに収め、もらい物のヨガマットを持って屋上に上がる。
今日は春先にしてはかなり暖かいし、筋トレにはもってこいだろう、
と思って、私は屋上へ出るドアの鍵を開けて外に踏み出すと、
うわ、臭え……。
いきなりタバコの臭いが鼻に襲いかかってきた。
その臭いの元は、私から見て左側にある、フェンス近くでタバコを吹かす、見慣れない中肉中背の男だった。
そいつは警官の制服みたいな、青いシャツと紺のスラックスを着ている。
後ろを向いていて顔が見えないが、髪に白髪が混じっているから多分中年だろう。
最大限警戒して拳銃を抜き、自分とほぼ同じ背丈の男に銃口を向けながら、私はじわりとにじり寄る。
「おっと、物騒な物をもってるなあ」
すると、男がスッと振り返り、両手を挙げて敵意が無い事をアピールする。
「って、あんた、彩音先生んとこの警備員じゃねえか」
そいつはよくお世話になる、医者の天谷綾音の医院が入っている雑居ビルの、裏口近くにある警備員室にいつもいるオッサンだった。
私はそう言って銃を下ろしたが、一応、引き金には指をかけっぱなしにする。
「いやー、休日にうら若き娘さんから銃口向けられるなんて、今日は良いことありそうだな」
愉快そうに笑うオッサンは、タバコの煙を吸い込んで鼻から吐き出した。とりあえず偽物という可能性を考えて、その様子をうかがう。
「どうだい、一服」
それを、吸いたくて見ていた、と勘違いしたのか、タバコの箱を取り出して私に差し出す。
「いや、遠慮しとく。健康に良くないからな」
いっぺん吸ってみた事があるが、身体が受け付けなかったので、それからは一切吸ってない。
「そこは律儀に守るんだなあ」
オッサンはそう言うとしゃがんで、タバコの火を床にこすりつけて消した。
「たがが外れてんのは、人殺しに関してだけなんだよ」
「その格好で言われても、あんまり説得力ないねえ」
「そうか?」
目のやり場に困っている様に、視線を彷徨わせるオッサン。
多少露出癖があるって言っても、隠すところはしっかり隠してるし、下着でもないはずなんだがな。
「嘆かわしいとは言わないがな」
上から下までじっくりと私の身体を眺めてから、
「ところで、おじさんと良いことしないかい?」
オッサンは悪ガキのような顔で、ろくでもない事を口走った。
「おい、エロオヤジこの野郎。おまけ付きの仏にしてやろうか」
カチンときた私はそう半ギレで言い、銃口をオッサンの額に突きつけて睨む。
「まてまて、冗談だよ。冗談」
オッサンはその顔のまま、両手を挙げて後ずさる。
「笑えねえんだよこの野郎!」
「まあそうカリカリなさんな」
胸ポケットからタバコの箱を引っ張り出して1本取るか、と思ったら、その箱を床に放った。
すると、それから猛烈な勢いで白い煙が噴出して、オッサンの姿が見えなくなる。
「おい、何を――ッ、ほぐっ」
言い切る前に私の身体は宙に浮き、床に背中から落ちて変な声が出た。
すぐ起き上がろうとしたが、後ろから組み敷かれて腕を固められた。その弾みで拳銃はどこかに吹っ飛んだ。
「いってえ! 何のつもりだお前!」
「隙というのは、イライラから生まれるからな」
オッサンはそう言うと、すぐに私を掴んでいる手を放した。
「いやー、スマンスマン。天谷の旦那から試してやってくれ、って頼まれてな」
いたずらに成功した悪ガキの様な顔でそう言い、オッサンは吹っ飛ばされた銃を拾って私に返す。
あの野郎……。嫌がらせのつもりか。
宗司は後で蹴り倒してやろう、と内心で思いつつ、銃をホルスターに納める。
「まあ、油断は禁物っていうことさね」
穴の開いた箱からタバコを取り出し、着火して燻らせる。いたずらのために、わざわざそれ作ったのか……。
「それは……、身に染みて分かってるんだがな」
私はどうにも勘が鈍いらしく、そのせいで何回も捕まって、何回も――。……これ以上は止めとこう。
「よく生き延びてこられたもんだね」
その珍獣を見るような目やめろ。
「そうだな。自分でも不思議でしょうがない」
こめかみに銃口突きつけられたり、全方向から弾が飛んできたりしても、無傷で切り抜けたりした事さえあるほど、私は何故か悪運だけは良い。
「そういや娘さん、その白いのはおしゃれかな?」
「……地毛だよ」
何十回と訊かれたせいで、それが何を指しているかは、もう聞き返さなくてもわかる。右耳の上にある、1房固まって生えてる白髪の事だ。
「おっと、すまんね」
どうせ白髪ならまだ、斑模様になってるほうが良かった。
「普通そうにしか見えねえんだから、気にすんな」
まあ何度か黒染めしてはみたが、途中で面倒になって放置していた。結果、私の渾名は『白い彗星』になってしまったわけだが。どっかのお面か私は。
敵さんの狙撃手がスコープ越しに見て、そう発言したのが私の渾名の元らしい。
話を切り上げた私は、マットを床に敷いて腹筋を始める。ホルスターは腿から外して頭元においてある。
「で、なんでここに居るんだよ。休みならどっか行ったらどうだ」
出入り口横に置いてある、ベンチに座っているオッサンは、普通のタバコを切らしたらしく、電子タバコに切り替えていた。
「どこ行っても退屈だからね。ここで君を眺めてる方が有意義だよ」
「……魂の重さって何グラムか知ってるか? オッサン」
私は上体を起こすときに銃を拾い、鼻の下を伸ばすオッサンを睨みながら、また銃口をオッサンに向ける。
「おっと、すまん」
オッサンはニヤニヤして、おお怖、とわざとらしく降参のポーズをする。
「実の所、出かけるから、君の護衛をやってくれ、って宗司の旦那に言われたんだよ」
……なんかバカにされている気もするが、私も一応心配されて――、
「目の保養にもなるし、と言われちゃ、引き受けない訳にもいかないだろ?」
よし、絶対ぶっ飛ばしてやるあの野郎……。
それからしばらく、オッサンが何も言って来なかったので、私は淡々と筋トレのメニューをこなした。
「なあオッサン」
マットの上で座って休憩していた私は、水蒸気をふかすオッサンに話しかける。
「オッサンじゃなく、将光さ――」
「私の勘の鈍さは、どうにかならないもんか?」
オッサンの言うことを無視して、私はそう訊ねる。
前に、同僚の大森に頼んで特訓してみたが、結局どうにもならなかった。
とは言っても何故か、自分に火線が向けられてる、っていう勘だけは良く働くんだが。
「勘っていうのは天性の物だからなあ」
どうにかしよう、と思っても改善できないもんさ、とオッサンは水蒸気をはき出す。
「そうか、どうにもならねえか……」
「ならせめて、護身術ぐらいは身につけたらどうかな?」
教えようか? と言うオッサンの手つきがなんかいやらしかったので、私は半ギレですっぱりと断った。
私は近接格闘のセンスが一般人以下で、やっても意味が全然ないから、ってのもあるが。
筋トレが終わって、私は次に射撃練習に入った。
短く切った細めの鉄パイプを、私は出入り口から1番離れた所に5本並べる。それから入り口の前に戻って、それらと向かい合う。
私は持ってきた愛銃を抜いて、その銃口にサイレンサーを付ける。
鉄パイプを狙って引き金を引くと、わずかな発砲音と共に、それらがはじけるように倒れていく。
もう1度並べ直して、反対の手でもう1度同じ事をやり、次は本数を増やして2丁でも発砲する。いつもの様に、3回とも打ち漏らしは一切ない。
「お見事」
オッサンは電子タバコの電源を切って、それを胸ポケットにしまってから拍手した。
「こんなもん、遊びにもならねえよ」
空になった弾倉を交換してサイレンサーを外し、安全装置をかけてホルスターにしまう。
次に、その銃を素早く抜いて撃つ練習をする。これは、片手・両手共にかなり念入りにやっておく。
物珍しそうな顔で、オッサンがその様子を眺める。
「そういえば、さっき見たんだけど、君は武器商か何かかい?」
おいこらテメエ、何覗いてんだ。
練習の流れで、私はオッサンに銃を向ける。露出狂気味だといっても、別に見られたいわけじゃない。
「すまんすまん。つい覗きたくなって」
女風呂を覗こうとするバカな男子か、お前は。
オッサンの逆サイドに座った私は、タオルで汗を拭い、水を半分ぐらい一気飲みして息を吐いた。